19
新藤が海面から顔を出したとき、如月が空から降りてきたところだった。
これが成瀬の作戦だった。
成瀬の異能は球体を自由自在に操る能力だ。ただ、同時に操れる球体は三つまで。それが彼の集中力の限界らしい。今回、成瀬は二つの鉄球を操り、両側面から哲也の注意を引いた。そして、正面から新藤が立ち向かう。
それにより、哲也は正面と右側左側ばかりに意識を持っていかれ、背後に関しては殆ど注意を払わなかった。それもそのはず、彼の背後は荒れ狂う海だけなのだから、何者かが接近してくるなんてことは考えもしなかっただろう。
そこで成瀬は、自分が操れる最後の球体で如月を運び、背後に回らせたのである。雨の中、如月は必死に鉄球にしがみ付き、ゆっくりと陸地から海上を移動し、ひっそりと哲也の背後に回ることは、なかなか過酷だったことだろう。
しかし、そうでもしなければ、如月の異能封じの射程に、哲也を入れることは不可能だったのだ。
そして、如月が哲也の背後に降り立った。哲也は動揺したようだ。背後の守りは完璧だと思って、この波止場を陣取ったのに、後ろを取られては、慌てるのも無理ない。そんな哲也に如月は言う。
「哲也少年。ここで終わりだ。街に復讐なんて馬鹿なことは辞めて、家に帰ろう。そして、君にはまだその才能は早過ぎる。いや、人類にとって早過ぎるものなんだ。気の毒だがその異能はデリートさせてもらう」
哲也の異能は封じられた。後は如月が彼に触れ、異能をデリートするだけだ。異能を使えない彼はただの小学生。それは如月にとって、簡単な仕上げ作業のはずだった。しかし、新藤は気付いた。哲也が歪んだ笑みを浮かべていることを。
「如月さん、危ない!」
新藤は叫んだが、嵐に吸い込まれる。どちらにしても、新藤の忠告は何の意味もなかった。哲也は手の平を突き出すと、彼の異能が発生した。発生するはずがない異能が、如月を確かに捉える。そうなってしまうと、新藤がやられたときと同じだった。如月の体が宙に投げ出され、海へと落ちる。
「如月さん!」
新藤はもう一度叫んで、全力で荒波の中を泳いだ。哲也が放つ異能は、かなりの衝撃を生み出す。鍛えている新藤の体だって、一撃受ければ脳が揺れて暫く動けなくなるほどだ。決して頑丈とは言えない如月がそれを受けたら…気を失っているかもしれない。
新藤は波の抵抗を受けながら、何とか泳ぎ切って如月の腕を掴んだ。やはり気を失っているのか、呼びかけても返事はない。ただ、呼吸をしていることは確かだったので、新藤は少しだけ安心した。
新藤は如月を自分の方に引き寄せ、波止場の方へと泳いで向かうが…。そこには嘲笑を浮かべる哲也が、二人を見下ろしているのだった。
「残念だったね。僕の勝ちだ」
新藤は哲也を見上げ、その歪んだ表情を見つめることしかできない。だが、それは哲也にとって十分に屈辱的なものだった。
「この後、貴方が信じた善性と言うものは、すべて消えてなくなる!」
「いや、君は誰にも勝てない。確かに君は、この街を滅茶苦茶にできるかもしれない。でも、ここで君がこの街を破壊し尽したとしても、別の人たちがこの街を救いに来る。誰もが傷付いた人たちに手を差し伸べ、助け合い、思いやり合うことになるだろう。それはどういうことか分かる? 君は、君が否定したはずの善性を目の当たりにすることになるんだよ」
新藤の言葉に、哲也は表情にいっぱいの嫌悪感を浮かべた。
「お兄さん、そういうのを負け惜しみって言うんだよ」
そう言って、手の平をこちらに向けた。あの衝撃波が来る。頭部に直撃すれば、気を失うどころか、脳が破壊されるかもしれない。運良く、それを避けたとしても、確実に気は失う。そしたら、この荒波に飲まれて溺れ死ぬだろう。
新藤は如月を抱きしめ、彼女を守ろうとした。自分が盾になれば、彼女だけは助かるかもしれない。新藤は目を閉じて覚悟を決める。
しかし…その瞬間は訪れなかった。
「あれ…?」
哲也の声だ。何か戸惑っているらしい。新藤は目を開き、哲也の方を見上げた。彼は自分の手の平を見つめ、何だか困惑しているらしかった。再び、こちらに手の平を向け、顔を強張らせるが、何も起こらない。どうやら、異能が発動しないらしい。
如月の仕業だろうか、と思ったが、彼女は目を閉じたままだ。何が起こったのか理解できないまま、新藤はただ哲也の動向を見守った。しかし、哲也はそれ以上、何もできなかった。それどころか、急に自身の体の重みに引っ張られたかのように、その場に座り込んでしまう。
「な、なんで…」
瞼の重さにも耐えられないのか、その目が少しずつ閉じられていく。そして、新藤の視界から哲也が消えた。どうやら、その場に倒れ込んだようだ。
助かった、と新藤は心の中で呟いた。




