18
波止場の先で、哲也はほくそ笑む。
もう少しで、巨大な台風を作り出し、雷を落とすこともできる。
どれだけの人間が、後悔に嘆くだろうか。今まで自分に偉そうにしていたやつら、全員が絶望の表情を浮かべ、今までの自分たちの行動がどれだけ浅はかだったのか知ることになるだろう。
しかし、そんな目的を達成するための、最後の障害が迫っていることを、彼はその目で確認した。
波止場の向こうに、スーツ姿の男が立っていた。何度も自分に綺麗事を説き、何度も止めようとした、あの男だ。
どうやら、今度は赤い髪の女は連れていないらしい。いや、きっとどこかに隠れているだろう。今も哲也の能力を封じるため、虎視眈々と狙っているはずだ。油断はできない。
「哲也くーん!」
嵐の中、スーツ姿の男…確か、新藤とかいう男が、大声で呼びかけてきた。
「もうやめよー! こんなことをしても、多くの人が悲しむだけだー!」
それが目的なのだ、と哲也は心の中で呆れた。もうこの新藤と言う男とは、話したくなかった。あの男がどんな人生を歩んできたのかは知らないが、あまりに価値観が違い過ぎる。ここで潰して、分からせてやるしかない。
「やめてくれないならー! 僕も少しだけ無理矢理な方法をー! 選ぶからー!」
新藤の叫び声に、哲也は少しずつ苛立ちが募って行く。
「うるさいよ」
哲也の呟きが嵐の中に吸い込まれる。それと同時に、哲也の手の平から発生したエネルギーが、真っ直ぐ新藤の方へ向かった。
不可視の攻撃は、普通であれば大人だろうが吹き飛ばすものだった。しかし、この男はそうではないことを知っている。実際、新藤はその一撃を躱した。しかも、余裕を持って回避行動に移ったかのように見えた。
そうか、と哲也は思い当たる。雨が降っている影響で、哲也が放つ攻撃の軌道が見えるのだ。力が存在する場所は、雨が避けて通る。不可視の攻撃を認識できるだろう。
我ながら墓穴を掘った、とは思うものの、大した問題ではない。縦横無尽に飛び交う哲也の攻撃からは逃れられないのだから。
哲也は念じる。今度は直線的な攻撃に加え、新藤の斜め上から鉄槌を落とすような攻撃も放った。
新藤は直線的な攻撃を回避しつつ、次の攻撃も躱してみせる。哲也さらに連続で攻撃を放った。
右から左から。上から下から。
時には挟むように。囲うように。
そして、少しずつ攻撃のスピードを速めて行く。
流石に新藤は反応し切れなくなったのか、肩に攻撃をかすめた。それだけでも、衝撃は大きい。新藤はバランスを崩して、倒れ込む。逃がしはしない。哲也は複数のエネルギーによって、新藤を包囲した。新藤の周辺だけ、不自然に雨が逸れていることから、彼がどれだけ窮地に陥っているのかは一目瞭然だ。
哲也が勝ち誇った笑みを浮かべ、力を込めようとしたそのときだった。波止場の上を何かが真っ直ぐとこちらへ進んでくる。あれは何だろう。それほど大きいものではない。ボールだろうか。哲也が両腕で抱えられるサイズの球体のように見えた。目を凝らしてみると、それはボールなんて可愛いものではなかった。
銀色に輝く鉄球だ。如何にも重々しいそれが、宙に浮いて勢いよくこちらに向かってくるのである。ドッヂボールの球さえ恐れていた哲也である。あれが何かは理解できないが、早急に破壊すべきだと判断した。
哲也は同じようなサイズのエネルギーを手の平から発生させ、それを鉄球に向かって放つ。哲也の攻撃によって鉄球は砕けたが、どこからともなく別の鉄球が浮遊してきた。今度は波止場の上を浮いているのではなく、哲也の右手側、海の上を滑るように浮遊している。
さらに、直線的な動きではなく、不規則な動きだ。哲也は意識を割いて、その鉄球の破壊に専念する。先程のように、真っ直ぐとエネルギーを放って、鉄球を破壊するつもりだったが、それは哲也の攻撃を明らかに躱した。その証拠に哲也が何度も攻撃を放っても、右へ左へと掻い潜って接近してくるのである。
「子供だと思って舐めるな!」
哲也は苛立ちを露わにしつつ、複数の方向、あらゆる角度からエネルギーを発生させて、鉄球を捉えた。鉄球は確かに粉砕されたが、それは哲也から数メートル離れた場所でしかなかった。
何とか間に合った、と安心するのも束の間、鉄球はまたも現れる。しかも、二つ同時に。これが何度も繰り返されたら…と哲也は焦る。複雑な軌道を描いて、別方向から接近する鉄球に、哲也は集中力を分散させなければならない。
だが、哲也は注意を払うべきものは、鉄球だけではなかった。波止場を真っ直ぐ進んでくる影。それは新藤だ。
「そういうことか」
哲也は敵の作戦を理解する。三方向からの同時攻撃。集中力を分散させて、どれかが自分を捉えれば良い、という考えだ。
下らない、と哲也は頭の中で吐き捨てるが、効果的であるのは確かだった。哲也は両サイドから迫る鉄球を打ち落とすことに必死で、波止場を走る新藤への対応が雑になっていた。直線的で単調な攻撃。異常な身体能力を持つ新藤は、それらを悉く躱して、少しずつ距離を詰めてくるのである。
哲也は右側の鉄球に意識を集中する。右へ左へ、下へ上へと移動する鉄球を何とか捉えて粉砕し、次は左側を見た。だが、それは殆ど目の前にあった。哲也は反射的に身を屈め、それを回避する。だが、回避しただけでは鉄球の攻撃から逃れたとは言えない。
哲也は顔を上げて、鉄球を探す。鉄球は右側に浮遊し、再び哲也へ突撃する寸前だった。哲也は広範囲にエネルギーを発生させ、それを壁のようにして鉄球を防いだ。鉄球は哲也の作り出した壁に阻まれながらも、さらに直進しようと少しずつ迫ったが、それは停止しているのと同じだった。
哲也は別方向から発生させたエネルギーによって、鉄球を破壊する。これで終わりではない。正面を向くと、新藤は後数歩と言う場所まで迫っていた。
「ふざけるなぁ!」
哲也が右手を振り回すかのような動作を見せると、彼を守るように衝撃波が発生した。そして、それは迫る新藤の体側を薙ぎ払ったのだった。その威力に、新藤は体が宙に舞い、海へと投げ出される。
勝った…。
鉄球が再び現れることはない。例え新藤が海から顔を出したとしても、哲也の攻撃を躱せることはないだろう。勝ったんだ。哲也が安堵の息を吐こうとしたとき、嫌な予感が過った。
そうだ、あの赤い髪の女はどこにいるんだ。新藤が落ちた海面から、顔を上げたのを見つけたときだった。その声は背後から。しかも降ってくるように聞こえた。
「少年、これで終わりだ」
哲也は振り返る。すると、赤い髪の女が、空から降りてきた。まるで、雲の上からゆっくりと階段でも下りてきたかのように。




