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哲也の教師は家は、大規模な集合住宅の一室だった。
新藤と如月が付近の駐車場に車を止め、歩いて目的の集合住宅へ向かっていた。新藤は夜空に向かって伸びるマンションを見上げ、教師が無事であることを願う。
しかし、その願いは届かなかったことを、すぐに理解した。マンションのエントランスから、哲也が出てきたのである。遠くからでも、哲也が満足そうに笑顔を浮かべているのが分かった。
「如月さん、あそこ」
「分かっている」
もし、教師が厳重にドアをロックしていたとしても、哲也からしてみれば解除は可能だろう。だとしたら、教師が酷い目にあってしまったことは想像に容易い。これ以上、哲也の異能によって被害者を出すわけにはいかない。そのためには、ここで哲也を捕らえる必要があった。
「やるぞ、新藤くん」
「はい」
新藤と如月は、哲也の方へ歩みを進めるが、彼と接触するにはフェンスが妨げとなっていた。少し回り道をすれば、すぐに哲也に接触はできたのだが…それよりも先に彼が新藤たちに気付いてしまった。
哲也は新藤の顔を見て驚いたようだった。つい先程、派手に吹き飛ばしてやった相手が、また目の前に現れたのだ。もしかしたら、幽霊でも見たような気持だったかもしれない。
だが、哲也の驚きはそれだけでなかった。隣にいる如月を見て、何らかの衝撃を受けたかのように、目を開いたのだ。とは言え、それは一瞬のものだった。フェンス越しに、新藤と如月を嘲るように笑顔を浮かべると、尊大な態度で言うのだった。
「お兄さん、無事だったんだね。死んじゃったと思った」
「僕が生きていて、安心したみたいだね」
新藤の指摘に、哲也は苛立ったのか、僅かに眉間を寄せた。
「……別に。どうでも良いよ」
「先生は無事?」
哲也はその質問に対し、得意げな笑みを浮かべる。
「生きていることが無事だと言うなら、無事だよ。ただ、当分はまともな生活はできないだろうね」
新藤は少しだけ目を細める。
如月はその横で、彼の表情の変化を見守るだけで、口を出すつもりはないらしい。新藤はそんな如月の視線に気付くことなく、ただ哲也を説得した。
「もう気は済んだだろう。家に帰ろう。そして、二度とそんな力に頼らず、普通の生活を送るんだ。これ以上は、戻れなくなってしまう」
哲也は新藤の言葉を鼻で笑た。
「これでお終いなわけがないよ。むしろ、これからなんだから」
哲也は目の前の新藤ではなく、どこか遠くを見つめた。
「僕はこの街の人間、すべてに復讐するんだ。ここに住むやつらは、どいつもこいつもクズばかりだからね。一人一人、潰してやるのも良いけれど、ちょっと時間がかかりそうだし…もう、この街すべてを滅茶苦茶にしてしまった方が早いかな、って思っているのさ」
「この街すべて…? 何をするつもりなんだ」
「そうだなぁ。大きな災害を呼ぶ、って言うのはどうだろう。たぶん、今の僕なら大きな台風を作ることだって簡単なことだ。この街を飲み込むくらいの大雨を降らして、雷もたくさん落としてやる。きっと大変なことになるよ」
「なぜそこまで? 君をイジメたやつらや、先生にも復讐したんだから、もう十分じゃないか」
新藤のような人間には、彼の怒りが理解できなかった。そんな新藤に対して説明するかのように、哲也は語る。
「ダメだよ。僕は分かってしまったんだ。この街の人間は、他人に迷惑をかけるやつばかりだ。他人を大切にできないやつばかりだ。そんなやつらは、誰もが裁かれるべきだよ。そうでなければ、世界は間違っている。
僕は世界を救うために、そうしたいんだ。だからさ、僕が手に入れたこの力は、神様が授けてくれたものだと思うんだよね。代わりにクズどもを裁いて欲しいって、神様が言っているんだ。だから、僕はやる。この街の人間、すべてを裁いてやる」
哲也は両腕を広げ、まるで神からの祝福を浴びているかのようだった。だが、新藤はそれを認めはしない。
「そんなことはない。この街には、確かに悪い人間もいるかもしれないけど、多くの人は善人だ。そんな人たちまで、巻き込んでいいわけがないよ」
声高に主張する新藤に、哲也は首を傾げる。
「善人もいる? そんなわけがないよ。僕はそんな人間に会ったことがない。誰もが僕を傷付けたし、誰もが僕を助けてくれなかった。譲り合うことも知らないし、思いやりだってない。そんなやつらに、生きる価値なんてないでしょう」
「君はきっと立て続けに人の悪い部分を見てしまっただけだ。それは飽くまで人の一部でしかない。人間は良い部分もたくさん持っている。そういう善性を持った人間が大部分なんだよ」
「そんなわけない。もし、本当に善人ばかりだと言うのなら、その証拠を見せてよ。今すぐ、
ここで見せてよ」
そんなものはどこにもない。普通であれば、説明に窮してしまうかもしれないところだが、新藤は違った。
「あれを見るんだ」
新藤はそびえるマンションを指差す。既に辺りは暗いため、それは窓から漏れる数々の灯りだけが認識される。
「あの灯りの数だけ、人間が住んでいて、家族と一緒に、恋人と一緒に暮らしている。他人と他人が一緒に過ごしたいと願ったから、あの灯りは生まれた。それは、彼らが他人の善性を見たから一緒になろと考えたんだ。一人暮らしの人だって、誰かが誰かの善性を信じたからこそ、生まれ出てそこにいる。だから、あの灯りの数だけ、善性がある証だと僕は思う。それは、いつか君が手に入れるものだ。だけど、このままでは見失ってしまうものでもある。そんな結果にならないために、もうやめよう」
新藤の言葉に、哲也はその灯りを眺めた。そこに彼は希望を見い出しただろうか。少なからず、何かを期待しているようにも見えた。だが、その表情は次第に歪んで行く。そして、明確な怒りの表情を浮かべた哲也は、吐き捨てるように言うのだ。
「……あんな灯り、馬鹿と馬鹿が寄り添っているだけだ。僕はそんなもの信じない!」
哲也の異能が猛威を振るうかのように思われた。しかし、一切の感情を省いたような声が、二人のやりとに割って入った。
「もう良いよ、新藤くん。強硬手段に切り替えよう」
黙って二人のやり取りを見ていた如月が、一歩前に出たのだ。




