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哲也は教師を見つけて、笑みが溢れるのを止められなかった。卑怯なくせして偉そうにしていた教師に、自身の無力さを如何に理解させてやるか。そして、その教育には痛みが伴うだろう。あの教師が避け続けてきた痛みも、哲也が分からせてやるのだ。
今の自分にはそれが可能だ。
数日前はただの子供だった。いや、それ以下だったかもしれない。
それなのに、今は誰であろうが正しさを説いてやることができる。
あまりに大きな全能感によって、一歩足を進めるだけでも恍惚に満たされて行く。生まれてきて、初めて楽しいと感じられた。
これが特別であるということだ。
特別でなければ、人生なんて面白味のないものだったのだ、と彼は思った。
彼が後ろに引き連れる少年たちは、ただの有象無象でしかなく、こんな愉快な気持ちは知ることがないであろうと思うと、同情と優越感に身震いしてしまいそうだ。
「て、哲也くん」
教師は哲也の顔を見て少なからず驚いたようだ。既に母親から何か連絡があったのかもしれない。そこに明らかな動揺があるからだ。動揺があるということは、疚しい気持ちがある証拠だ。
だとしたら、彼を痛めつけるのは、正当性のある行為だ。哲也はそう認識して、教師の前に立った。
「先生、僕が彼らにイジメられているのに、どうして助けてくれなかったのか、説明してくださいよ」
哲也は悪意ある笑顔を浮かべながら教師に問う。教師は顔を引き吊らせながら答えた。
「何を言っているんだい? 遊びが行き過ぎたところはあったかもしれないけど、君たちは友達だろう? 今だって仲が良いじゃないか」
教師の苦し紛れの言い訳に、哲也の顔から笑顔が消える。振り返った哲也は、自分が従える少年たちに言う。
「先生はそう言っているけれど、お前たちはどう思っているんだ? 僕と遊んでいたのか? 僕をイジメていたのか?」
少年たちは顔を見合わせて、どのように答えるべきなのか、示し合わそうと目配せするが、彼らの意思がまとまることはなかった。そして、一人が声を上げる。
「い、イジメなんてやってないよ!」
次の瞬間、発言した少年は急に膝を付いた。まるで、彼だけ重力に異常があったかのように、膝を付いて何かに耐えている。もちろん、それは哲也によるものだと、他の少年たちは察した。
「おい、嘘を吐いて良いと思っているのか?」
哲也の一言で全員がイジメがあったと主張した。教師はその様子に困惑する。自らイジメていたことを告白するどころか、それが事実だったと、これだけ強く主張されることなど、想像したこともなかった。
「ほら、先生…こいつら全員、僕をイジメていたんだ。どうして叱らなかったの? どうして僕を助けようとしなかったの? 守ろうとしなかったの?」
「な、何を…皆で先生をからかっているのか?」
苦笑いを浮かべた教師は、まだ状況を理解していなかった。哲也によって自身が試されていることを。真実を話さなければ、誠実に向き合わなければ、彼に裁かれるのだということを。そんな教師に、哲也は溜め息を吐いた。
「もう良いよ。ここまで、無能だとは思わなかった」
「……なんだって?」
教師の顔色が変わった。
彼は他人の痛みに鈍感であると同時に、他人に向けられる悪意にも鈍感だった。ただ、自分自身が貶されることは、何よりも許せないことである。
しかし、そんな彼の小さなプライドは、哲也にとっては何の価値もない。哲也が少しだけ力を込めると、教師は何かに圧し掛かられたかのように、立っていられなくなった。
何が起こったのか理解できず、言葉も出ない。ただ混乱しつつ重みに耐えるだけで精一杯である彼を見下ろすと、哲也は少年たちに振り返って、指示を出した。
「おい、お前ら…僕をどんな風にイジメたのか、こいつに同じことをやって分からせてやれよ」
少年たちは、再び突き付けられた無理な注文に、躊躇いを見せたが、指示が明確だっただけに、迷ってはならないことだけは分かった。全員で教師を囲み、殴って蹴り上げ、押し潰した。
子供の力とは言え、哲也からの圧力を受けている教師にとっては、耐えられるものではなかった。そして、その表情は痛みだけでなく、屈辱にも染まって行く。それこそが、哲也が見たいものだった。
「君たち、それ以上は駄目だよ」
ほくそ笑む哲也だったが、別の大人の声がした。他の教師が駆け付けてきたか、という考えも過ったが、聞いたこともない声だったし、この異様な光景に落ち着いているような気がした。振り返って確認すると、やはり知らない顔の大人が立っている。しっかりとしたスーツ姿は、学校の教師らしくない。
「志水哲也くんだね」
「そうだけど…」
初めて見る大人に名前を知られていることは、何となく不快だったが、哲也は素直に肯定する。
「僕は新藤晴人。お母さんに頼まれて、君を迎えに来た。これ以上、人を傷付けてはいけない。家に帰ろう」




