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どうやら、彼女も教師らしい。哲也の担任の身に何かあったのか、と心配するように眉を潜めながら話を探ってきた。同僚想いなのか、それともただの噂話が好きなのか、新藤には判断できなかった。


「いえ、ちょっとお聞きしたいことがいくつかあっただけなので。彼自身に何か問題があったとか、不審な行動があったとか、そういうわけではありませんよ。あ、ちなみに僕は警察でも何でもありませんから」


「そうなんですか。てっきり…彼が問題を起こしたのかと思いました」


彼女は何かを含んでいる表情を見せながら、目を逸らした。


「何かあったのですか?」


と逆に聞かずにはいられなかった。


「あの…何かあった、というわけではないのですが、彼はちょっと問題があるタイプだったので、ついに何かしでかしてしまったのかと」


「問題がある?」


女性は頷いた。

新藤が聞いていた話とは、どうも違うらしい。


「生徒からも親御さんからも評判は良いと、教頭先生からは聞きましたが」


「はい、そうなんです。上からも評判が良いのですが…私たちには、態度が違うんです」


「もしかして…外面が良いタイプ、ということですか?」


新藤は苦笑を浮かべると、その女性は二回頷いた。


「たぶんですけれど、一部の生徒は気付いていたのではないでしょうか。もしかしたら、ご両親の中にも察している方はいるかもしれません」


「問題を起こしそうなほど酷かったのですか?」


「いえ…自分を良く見せることには凄く気を使っているみたいだったので、そういうわけではありません。ただ、恨みを買うことはあると思います」


「恨み、ですか」


「はい。人によって、彼のことを信じてしまうと思います。ただ話を聞いてほしいだけの人なら、彼はそれらしい相槌を打って、何かあったら任せてください、といったことも言うので、とても真面目で熱心な教師に見えるんです。でも、実際に助けを求めたとしても、手を差し伸べてくれるタイプだとは思えません」


「期待してしまった分、助けてもらえなかったら…裏切られたと感じてしまうかもしれませんね」


「そうなんです。以前もそんなことがありました。それで辞めてしまった先生もいます」


そう言いながら、女性は当時の出来事を思い出したのか、眉間に力が入っていた。


「私はあの人の責任感のない言葉が許せませんでした。本人からしてみると、悪気はないのかもしれません。でも、信じた人間からしてみると、一つの拠り所のようなものだったはずなんです。

なのにその役目を放棄してしまったら、大きな失望を生むことは間違いありません。それを理解していないのか…それとも故意でやっているのは分かりませんが、どちらにしても許すべきことではないと思います」


女性の目はどんな過去を映し出しているのだろうか。そこには、不誠実な裏切りに対する怒りが、確かにあるように見えた。


「僕は…誰だろうと他人に優しくしたいという気持ちは持っていると思います。きっと、彼もその気持ちは持っていて…でも、最後まで示し続けるやり方を知らなかったのではないでしょうか」


「……そうでしょうか。私が穿った見方をしているのでしょうか」


「いえ、決してそうではありませんよ。僕はできるだけ他人の良い部分を見よう、って意識しているだけなので。そのせいで、いつも上司に怒られてしまいます。他人の悪意に鈍感過ぎる、って。それでも最近は腹の底が読めるようになってきたつもりではあるんですけどねぇ…まだまだです」


「でも、大事ですよね。人の良い部分を意識して見るってことは。私も見習わないと」


「いやー、今のままで十分だと思いますよ。ある程度は疑わないと、詐欺に引っかかってしまうかもしれませんしね」


新藤が笑うと、女性も合わせて笑ってくれた。少しは気が晴れただろうか。


「すみません、引き止めて変な話をしてしまって」


「いえ、とんでもないです。とても参考になりました。また、この学校に伺うことがあったら、ぜひお話を聞かせてください」


「はい、喜んで。それでは」


女性は去って行った。名前を聞き忘れてしまったが、あれだけ美人であるなら、また会ったときに思い出すだろう。


新藤は車に戻って、エンジンをかけずに女性が口にした、哲也の担任が恨みを買うタイプだ、という話を頭の中に巡らせた。だとしたら…哲也はどう感じていたのだろうか。もし、彼が自分の生活に何かしらの負担を抱えていたとしたら、勇気を出して教師に相談したことがあったかもしれない。


きっと、助けてくれるだろう大人。


きっと、理不尽を正してくれるだろう大人。


きっと、困難の中でも道を示してくれるだろう大人。


それが教師なのだから。それなのに手を貸してくれなかったら、耳を傾けてくれなかったとしたら、裏切られたと感じても仕方がないはずだ。哲也だって、彼を恨んでも仕方がない。だとしたら、と新藤はひらめく。だとしたら、哲也を探すよりも、教師をマークする方が近道ではないか。


新藤は車の中で、哲也の担任を待ちながら、先程の女性と話したことについて考えた。新藤はこれまで、可能な限り人の良い部分を見ようと心がけてきた。特に二十歳前後は特に。周りの影響もあり、その傾向が強かったのだ。他人が困難に直面しているなら手を差し伸べて、孤独に涙を流させるようなことはしない。怒りや憎しみは抱かず、共に助け合い、和を貴ぶ。そうすれば、自らが窮地に立たされたとき、誰かが救ってくれるだろう、と。


しかし、それはすべての人間に善生があることを前提にした考えでしかない。裏切られることがあれば、誰かを裏切ってしまうことがある。それは、自分が弱いから裏切られたと思ってしまい、誰かを裏切ってしまうのだ。強ければ誰かの裏切りを許容し、誰も裏切ることなく行動できる。新藤はそんな風に自分の無力を責める時期すらあった。そんなときに出会ったのが如月である。


もっと、気楽に生きることを教えられ、自分の中にある衝動を解放することも教わった。それでも、未だに他人の善生を信じたいと新藤は思っている。だけど、それを何一つ信じられなくなってしまった人間に気持ちも分からなくはない。


きっと、志水哲也はそうだ。

いや、もしかしたら最初から他人の善生を信じられなかったのかもしれない。


他人は悪で、どこまで行ってもそれは変わらないと認識しているかもしれない。だとしたら…新藤は彼を説得できるのだろうか。


日が沈みかけた頃、哲也の担任の教師が現れた。


他の教師が帰る様子がないところを見ると、彼は早めに帰るつもりらしい。しかも、何かを警戒するように辺りに視線をさ迷わせているようだった。


それを見た新藤は、彼が恨みを買っているという自覚があるような気がした。彼を追跡すれば、哲也の居場所は案外早く見つかるのかもしれない。


新藤は車内で少しだけ身を低くして、教師の姿を目で追う。教師は鍵を取り出し、車に乗り込もうとしていたが、何かに反応したかのように振り返った。新藤も教師が視線を向けた方を見る。


そこには数名の少年たちがいた。

彼の生徒たちだろうか…と一人一人の顔を確認すると、その中に哲也がいた。


写真で見た彼とは、明らかに印象が異なる。何が違うのだろうか…と新藤は彼の表情を注視した。


そうだ、あの感情を抑圧した表情が消えている。その代り、彼の表情は自信と悪意に満ちていた。思っていたよりもまずい状況かもしれない。新藤は車を降りた。

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