5
哲也は自分の力が想像を遥かに上回るものになったことに興奮していた。沢木が消えてしまってから、間もなくのことである。最初は少しずつスプーン曲げの成功率が上がって行った、という程度の変化だと思っていたが、日に日にパワーも精度も上がっていることに少しずつ自信を付けて行った。
試しにガラスを割ったときは、その場にいた母親が怯えに怯え、本当に爽快だった。あの暴力ババアを自分の力で黙らせてやったのだ、と思うのは愉快でたまらなかった。
さらに、力が増してそろそろ復讐を始めようと決意し、学校へ向かうと、いつものように背後からランドセルを蹴りつけようとする人物の気配を感じた。哲也は背後を意識して、ちょっとだけ念じてみる。
すると、ランドセルを蹴り付けようとした男子生徒は空中でバランスを崩し、アスファルトの上に転がった。擦り傷くらいで済んだらしく、特に大騒ぎにはならなかったが、明らかに不自然な倒れ方だったので、その場にいた生徒たちは不審がっているようだった。
宿題を破りにきた生徒の机はひっくり返してやったし、給食に牛乳を混ぜに来たやつは足を滑らせてやった。牛乳を頭から被った姿を見れたのは、本当に良い気味だった。
いつものように哲也をからかえない生徒たちは、フラストレーションが溜まって行った。放課後に哲也を空き地まで連れて行き、痛めつけることに決めたのだが…。
哲也自身がそれを待っていた。いつもの生徒たちが
「哲也、一緒に帰ろうぜ」
と言ってきたときは、我慢していた笑みが零れてしまい、不気味がられてしまった。哲也としては、いつもと変わらない様子で付いて行き、死ぬほど怖がらせてやろうと思っていたのに、その兆候を見せてしまったのは、ちょっとした失敗だった。
しかし、小学四年生の子供でしかない彼らが、そんな哲也の微妙な変化に気付いたとしても、危機が待っているとは想像もできなかった。あまり人目のない空き地に連れ出された哲也は、五人の男子生徒に囲まれ、笑いを堪えるのに必死だった。
「おい、哲也」
とリーダー格の少年が言った。
彼は哲也を小突くと、籠に入った虫を眺めるかのような表情で笑った。哲也のことなど、自分の気分次第でどうにでもできる、と確信しているのだ。
「お前…今日、調子に乗ってたよな。俺たちのこと、笑っただろ?」
リーダーの後ろで、牛乳を頭から被った少年が、今にも哲也に飛びかかろうとしていた。その興奮した顔に、哲也は我慢できずに失笑する。
彼を囲う少年たちは、それを見て顔色を変えた。ただ、リーダーの少年だけは、悪意に満ちた笑みを浮かべる。哲也の態度が大きければ大きいほど、痛めつける価値があると思ったからだ。
「お前、なんで笑った?」
リーダーの質問に哲也は腹を抱えて笑う。これにはリーダーも苛立ちを覚え、殴りつけてやろうと拳を握りしめる…が、哲也が口を開いた。
「お前ら、全員が並んで土下座するところを想像したら、笑っちゃったんだよ。土下座って知っている? 馬鹿だから分からないだろうね」
リーダーは溜め息を吐く。
「哲也、もう良いわ。今までは遊んでやってるつもりだったけど、今日はもうダメだ。マジで謝っても知らないから…」
リーダーが言い終わる前に、少年が一人飛び出した。牛乳を被った少年だ。牛乳を被って笑われた屈辱に加え、哲也の態度に我慢できず、一足先に拳を振り上げたのだ。
しかし、その行為はすぐに悲鳴に変わった。少年は宙に浮いていた。まるで、見えない巨人にでも摘み上げられたかのように、足は地を離れ、どんなに暴れても、その力から解放されることはない。自分に何が起こっているのか理解できず、得体の知れぬ恐怖に悲鳴を上げるが、それもやはり意味はなかった。
周りの少年も、その光景に唖然とするばかりで、哲也の仕業であると想像すらできていない。宙に浮いていた少年は、突然投げ出されるように、その地面へと落下した。それほど高い場所からの落下ではないため、ちょっとした痛みがあった程度であるはずだが、少年にとってはあまりに恐ろしい体験であり、感情が爆発するかのように泣き出した。
「泣くなよ、大人がきたら面倒じゃないか」
哲也のせせら笑う態度に、誰もが彼の危険性を理解した。そんなはずはない、と思いながらも、信じるしかない状況だったのだ。一人が青ざめた表情で踵を返し、空き地から逃げ出そうとした。
しかし、空き地を囲うフェンスの一部が、押し潰されたかのように歪んだのを見て、彼は足を止める。
「逃げるなよ。逃げたら、あんな風にぺちゃんこにしちゃうからな」
これには、リーダー以外の少年たちが、あまりの恐怖に泣き出すことになった。
「泣く暇があったら、土下座して謝れよ。この僕に」
少年たちは、まだ泣くだけの余裕があった。泣けば、許してもらえると、子供らしい経験的な判断を無意識で行っていたのだ。しかし、そんな理屈は同じ子供である哲也には通じなかった。
「そうか、土下座のやり方が分からないのか。教えてやるよ。ほら」
哲也が言うと、また別の少年が宙に浮いた。
「うわぁー!」
悲鳴を上げた少年はすぐに地に這いつくばることになる。どんなに抵抗しても、凄まじい力で四つん這いの状態を強制させられ、ゆっくりと頭が地面に押し付けられた。額が地面に設置しても尚、その強制力は増し、頭が潰れてしまいそうだった。
「や、やめて! 頭が頭が!」と必死に訴えるが、恐ろしさのあまり何を言えば良いのか分からない。
「殺すつもりはないけれど…頭が潰れっちゃったらごめんね」
「助けて助けて助けて!」
「おい、こいつの頭が潰されたくないなら、全員で土下座しろよ」
哲也の指示にリーダーを除くすべての少年が従った。リーダーは自分以外が地に額を擦りつけるのを見て、焦燥感に顔を青くした。それでも、彼のプライドは屈することを許さない。拳を握って、薄ら笑いを浮かべる哲也へと向かって踏み出した。
拳を哲也へ向かって突き出そうとしたが、それは届かない。誰かが後ろから引っ張っているかのように、途中で静止してしまったのだ。見えない力に体が支配されるのは気味が悪くて仕方がなかった。異常な支配力を振り払おうとしたが、それは決して彼の腕を離すことはない。次第に恐怖が大きくなり、ついにリーダーは悲鳴を上げた。
しかし、彼の恐怖はこれだけでは終わらなかった。今度は勝手に腕が前へと伸ばされたかと思うと、有り得ない方向へと力が加わり始めた。その力は、ゆっくりと確実に彼の腕を曲げようとしている。このままでは、どうなってしまうかは、考えなくても分かる。
「や、やめてくれ! 折れる折れる折れる!」
必至に懇願するリーダーに、哲也は薄ら笑いを浮かべたまま言った。
「僕がやめてくれと頼んで、君はやめてくれたかな?」
リーダーの顔が凍り付く。
少年の悲鳴が再び夕暮れの空に響いた。




