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如月が話す人物について、新藤は気になったものの、このタイミングで来客があったことを少しだけ感謝した。如月にとって、その話は傷口に触れるようなものであるような気がしたからだ。
「入るぞー」
と事務所に入ってきたのは金髪にスカジャンを羽織ったチンピラ風の女性だった。
「げぇっ!」
それを見るなり、如月は押し潰されたカエルのような声を出した。
「あ、乱条さん。おはようございます」
笑顔で挨拶する新藤に、来客者…乱条は右手を挙げて「おう」と返した。如月はだるそうに座っていたくせに、乱条を見るなり新藤の後ろに隠れた。乱条は如月にとって唯一の天敵とも言えるような存在なのである。
「ふん、そいつの後ろに隠れたくらいで、どうにかなると思うなよ…如月葵」
乱条は如月を威嚇するように、その名前を呼ぶ。笑みは浮かべているものの、その表情は獰猛な肉食獣を思わせるような、迫力があった。小さく悲鳴を上げる如月だったが、新藤は冷静そのものである。
「乱条さん、また事務所を荒らしたりしたら、成瀬さんに怒られますよ?」
「ば、馬鹿。別にそういうつもりで来たわけじゃねぇよ」
「じゃあ、如月さんを怖がらせないでくださいよ。成瀬さんに言いますよ?」
「だから…そんなつもりはねぇよ。その女が勝手にびびっているだけだろうが」
「じゃあ、もう三歩下がってください。成瀬さんに言いますよ?」
「わ、分かったから、絶対に成瀬さんには言うなよ!」
乱条は部屋の隅に追いやられたが、丸椅子に座って新藤が入れたコーヒーを啜ると、少し落ち着いたようだった。ただ、どうやら猫舌らしく、コーヒーに口を付けることに対してかなり慎重だ。
「それで、乱条さん。事務所を荒らしに来たのではないなら、何しに来たんです?」
「おう、迷惑そうに言うなよ。あたしだって、あの女の顔は見たくねぇし、来たくなかったんだぞ」
そう言って乱条は如月を一瞥する。
如月はデスクの後ろに屈んで隠れてしまった。もしかしたら、頭を抱えているかもしれない、と新藤は想像しながら「なら、どうして?」と乱条に質問した。
「成瀬さんに様子を見て来いって言われたんだよ。何か異能絡みの依頼あったか?」
「特にはありませんけど…何か事件でも?」
「まぁな。これを見ろ」
そう言って乱条が取り出したのは一枚の写真だ。そこに映っているのは、どこにでもあるような緑色のネットフェンスだが…車でも衝突したかのように歪んでいた。
「アホな車が突っ込んだだけに見えるが、そうじゃないらしい。近隣の住人から、外が騒がしいから注意してほしい、と連絡があった。それで様子を見に行ったら誰もいなかったわけだが、こんな状態だったそうだ。特に妙な目撃情報があったわけじゃねぇけど、この手の異常は異能対策課に報告される仕組みでね。成瀬さんは異能者が絡んでる可能性が高いって言うわけよ」
チンピラの子分にしか見えない乱条と言う女だが、実は公安部の異能対策課に所属している。つまり、異能犯罪のプロフェッショナルあのだ。
「これだけじゃ、分かりませんねぇ」
と新藤は正直に言う。
「あたしもそう思う。もし、異能力者の仕業だったとしても、あたしが行ってぶん殴れば終わりだ。でも、成瀬さんは…」
話している途中に、乱条は突然悔し気に歯を食い縛る。そして、痛みに耐えるように言うのだった。
「成瀬さんは、如月葵に意見を求めろって言うんだよ。おい、新藤…これはどういうことだよ。成瀬さんはあたしが頼りねぇって思っているってことか?」
「いやいや、人には色々と得意不得意がありますから。異能者との戦いについては、成瀬さんも乱条さんのことを絶対的に信頼していますよ」
「…絶対、か?」
「はい、絶対…だと思います」
「本当か?」
「は、はい」
新藤は正直なところ「成瀬に直接聞いてくれ」と思ったが、これ以上面倒になるのは避けたかったので、肯定するしかなかった。
しかし、当の乱条は嬉しかったらしく、少し顔を赤らめて握りしめた拳を確認するように見つめていた。乱条が時々見せる意外な面に、新藤は笑い出しそうになってしまったが、そんなことをしたらどうなるか分かったものではないので、話を変えた。
「なんで成瀬さんは来なかったんですか?」
「あの人はな、お前らが思っている以上に忙しいんだよ。そして、このあたしはその次くらいに忙しいんだ。だから、もう行くけど…あの臆病者の女にこの写真を見せておけよ」
「分かりました。でも、うちに何か依頼があっても、お伝えはできませんからね」
「それでも良いそうだ。そんじゃあな」
乱条が去っても、如月はデスクに隠れたまま、なかなか出てくることはなかった。




