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僕はこの世界から必要とされていない。そのことは良く分かっている。必要がないのだから、存在しているべきではないはずなのに、今日も生きてしまった。同じクラスのあつらが言うように、早く死ねば良いのに、僕は何をしているのだろう。
土手に座って目の前を流れる川を見る。小さくて穏やかな川。それは何の印象も抱かせない、取るに足らない存在だ。まるで僕のように。
だからこそ想像する。大きな台風が来て、この川が氾濫する様子を。そうなったら、ここに座る僕なんかは真っ先の飲み込まれてしまうだろう。川は僕を飲み込んだことなど、意に介さず、暴れたいだけ暴れるが急に異変を感じるのだ。川はいつの間にか僕の怒りと恨みに支配されたことに気付く。だけど、そのときにはもう遅い。僕は濁流になってこの街を飲み込んでやるのだ。学校も、先生もあいつらも、お母さんも。この街に住む誰もが飲み込まれてしまえば良い。
だけど、これは僕の妄想でしかない。僕は何も変わることなく、ただこうして座っているだけ。家に帰っても何のためにするか分からない勉強をやって、明日が来ないことを願いながら眠りに付く。そんな人生が続くだけなら、早く終わってしまいたかった。
「少年、そこで何をしている?」
何も変わらない最悪な毎日のはずなのに、その声は僕に革命を予感させた。声の主は大人の女の人だった。不良なのか、髪の毛が真っ赤だ。僕は逃げ出そうかと腰を浮かせたが、その女の人は僕を引き止めた。
「待て待て。君、只者じゃないだろう?」
「……え?」
思ってもいないことを言われたので、僕はその女の人の顔をまじまじと見つめた。彼女は微笑む。それは、お母さんや先生と同じ大人だとは思えないくらい、楽しそうな笑顔だった。
「君は只者じゃない。私には分かる」
そう言いながら、女の人は僕の隣に腰を下ろした。
「小学生?」
「四年生、です…」
女の人がこれだけ近くに寄ってきたのは初めての事なので、僕はどうすれば良いのか分からなかった。僕の動揺は伝わっているのかいないのか、彼女はふと笑ってから変な質問をしてきた。
「何か特別な力がないか?」
「特別…って?」
「念じただけでスプーンを曲げられるとか、誰かの心を読み取れるとか、実は空を飛べるとか。そういう特別な力だ」
「ぼ、僕は…何も。普通って言うか…むしろ駄目なくらい…です」
「……そうか。でも、君には才能がある。私はね、君みたいな才能がある人間をとても尊敬してる」
「尊敬?」
「そう、好きってことだ。そして、同時にそんな人たちに、間違った才能の使い方をしてほしくない、と思うんだ」
「……よく分かりません」
「まだ分からないかもね。だけど、いつか分かるときがくる。自分は特別なんだってことを。だからね、そのときが来て、君が間違った才能の使い方をしないよう、おまじないをかけさせてもらっても良いかな?」
「おまじない?」
首を傾げる僕に、女の人は手を伸ばした。怒られるのかと思って、肩に力が入ったが、その人の手の平は僕の髪をなでるように触れるだけだった。
何となく、その人の手は温かい気がした。そのまま眠ってしまいたいと思うくらい、心地の良い何かが、流れ込んできているかのようで、僕は自然と目を閉じる。手が離れてしまうと、僕は少し寂しい気持ちになった。
「これで大丈夫だ」
「何をしたのですか?」
その質問に答えることはなく、女の人は微笑んだ。そして、立ち上がると腰の辺りを手で払った。
「少年、大人になることはつらいことだが、平凡な毎日こそが幸せであると気付く日がくる。自分の特別性を知ったとしても、驕り高ぶることなく、ありきたりな日常を守って幸せを掴むことに専念すると良い」
そう言って、女の人はいなくなってしまった。僕は意味もなく自分の手の平を見つめる。あの人が言うように、僕の中に特別な何かがあるのだろうか。
あるかもしれない。あったとしたら、こんな世界でも毎日が楽しいだろうな、と想像した。それだけでも、何だか楽しくなって、あの女の人に言われたことが、本当である気がしてきた。
僕はきっといつか特別になる。そしたら、きっとイジメられることもないだろう。お母さんに怒られることもないかもしれない。
きっと、そうだ。僕は特別だ。すぐにそうなる。だから、きっと我慢できるはずだ。そう思って自分を元気付けながら帰った矢先…。
「どうして貴方はそんなにノロマなの? 本当にお父さんにそっくりね!」
顔を見るなり、お母さんは僕の頭を叩いた。今日、学校で僕だけが宿題のプリントを提出しなかったことを、先生からの連絡で知ったらしい。
「貴方のせいで恥をかいたわ。本当に最悪。小学生なんて宿題くらいしかやることないのに、どうして忘れるわけ?」
そう言って、また引っ叩かれる。でも、僕は宿題を忘れたわけじゃない。クラスのやつらにプリントを破られてしまったのだ。やつらからは
「プリントを破ったこと先生に言ったら、もっと酷い目に合わせてやる」
と言われていたので、僕は黙っているしかなかった。
そんなことを伝えても、お母さんは
「そんな子たちと友達になんかなるんじゃない」
と言うだけだろう。僕はただ我慢して叩かれ、お母さんの気持ちが落ち着いたら自分の部屋に入った。部屋の隅で三角座りしながら、どうしてこんなに酷い目に合うのかと考えたら、少しだけ泣いた。
でも、泣いたところでどうにもならないことは知っている。
どうすれば、全員が僕に優しくしてくれるのだろう。僕が強かったら。僕が特別だったら。でも、僕は特別じゃない。
さっき会ったあの女の人だって、ただ気まぐれであんなことを言っただけに決まっている。明日も、明後日も、きっとこんな日が続くのだろう。もし、僕が本当に特別なら、こんな毎日はいつか変えられるはずなのに。




