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昼休みの時間、細田は一人だった。

この時間は、やはり自分にとって、一人が一番良いのかもしれない、と思う。


もう誰にも、邪魔をされたくなかった。なぜなら、誰かと一緒だったことを思い出して、これほど辛い気持ちになるのだと、知ってしまったのだから。


細田は入嶋が死んだ、ということを知り、なかなか実感できなかったが、自分が一人ではなかった時間があった、ということを思い返すことで、彼女が失われてしまったと、認識し始めた。


「細田さん?」


突然、誰かに呼びかけられた。まだ誰かが戻ってくる時間ではなかった、ということもあったが、人が入ってきたことに気付かないくらい、細田は深く自らの意識に落ちていたらしい。


いつの間にか、戻ってきた社員は、宮崎静流だった。最近になって、メガネからコンタクトに変えたのか、かなり印象が変わった。


「大丈夫ですか? 泣いてません?」


「あ…」


と細田は目の下を拭う。気付かぬ間に、泣いていたらしい。


「いや、大丈夫です」


「そうですか。びっくりしちゃいました」


入嶋の件があってから、宮崎はずっと休んでいた。親しかったわけではないはずだが、それなりにショックを受けていたらしい。だが、今日は表情が明るい。何か良いことがあったのだろうか。


「どうして、こんな時間に戻ってきたんですか?」


動揺を隠すために、そんなことを聞いてみた。


「ちょっと色々あって、上の探偵事務所にお話しに」


「上の探偵事務所に?」


「はい」


あの如月探偵事務所とか言う、胡散臭いところか、と細田は思った。


「思ったより、変な場所じゃないですよ」


細田は怪訝な表情でもしていたのか、それとも宮崎に心を読まれたのか、そんなことを言われてしまった。


「細田さんも、何か悩みごとがあったら、相談すると良いかもしれません。優しくて頼りになる助手の方と、凄い美人の探偵さんが、きっと解決してくれますよ」


優しくて頼りになる助手、という人物は分からないが、上の階に出入りしていると思われる、赤い髪の女は何度かすれ違ったことがある。あの姿からは、まともな人間だとはとても思えないが…。


宮崎は忙し気に荷物をまとめながら、立ち上がってから、細田を見て言った。


「細田さん、すみません。私、今から帰らせてもらいます。澤田さんに、後で午後休を申請します、と伝えてもらっても良いですか?」


澤田とは、宮崎にとって直接の上司になる人物だ。


「分かりました。忙しそうですけど、何かあったんですか?」


興味があったわけではないが、乱れた心を整えるためにも、誰かと会話をしたかった。すると、宮崎は意外な言葉を返した。


「実は私、入嶋さんが飼っていた猫を引き取ることになったんです。それで、これから動物病院に行くところなんです」


「え?」


「猫、好きなんですか?」


「そういうわけじゃないけど…」


細田は入嶋が猫を飼っていたなんてこと、少しも知らなかった。でも、考えてみれば、彼女はよく猫のイラストを描いたり、猫のキャラクターの小物を持っていたりした。ただ好きというだけでなく、飼っていてもおかしくない。


「じゃあ、私…行きますね」


「あ、はい。引き止めて、すみませんでした。お気をつけて」


「ありがとうございます」


宮崎が出て行って、細田は再び一人になった。


そして「猫か……」と一人思う。


自分だけは、本当の彼女を知っているとばかり思っていたが、勘違いも良いところだった。彼女が細田だけに見せたと思っていた、あの笑顔は、それこそ彼女の一部でしかなかった。


きっと、猫を飼っている、という、ちょっとしたプライベートな情報を教えるような相手ですらなかったのだ。そう考えると、細田は彼女のことを何も知らないのだ、と改めて思った。出身も知らなければ、兄弟がいるのかすら知らない。


萩原も同じような勘違いをしたのだろうか。ただ、彼は勘違いをしただけではなく、嘘も吐いていたらしい。周りの人間に、入嶋と良い関係になったと、うそぶいただけでなく、彼女の前でもかなり自分を大きく見せるための嘘を吐いていたらしい。


あの日、細田が入嶋の家まで後を付けようとしたとき。たぶん、彼女は細田を見たと、萩原に言わなかったのだろう、と思う。恐らく、萩原も彼女の後を付けようとしていたのだ。そこで、細田が彼女に声をかけられていたのを見ていた。だから、細田に「ストーカーをしている」と勝ち誇ったように言えたのだろう。


そうだったとしても、自分が入嶋に黙って、後を付けたことに変わりはない。もし、萩原が犯行に及んでいなければ、やっていたのは、自分だったかもしれないのだ。




なぜ、自分のような人間が、入嶋のような非の打ち所のない女性に、執着してしまったのだろうか、と考える。自分のように、外見も醜く、性格も誉められたようなものではない人間が、入嶋に気に入られるわけがないのだ。


それでも、彼女の態度に、細田は惑わされた。冷静に考えれば、社交辞令であり、職場で上手くやるための、彼女なりの立ち振る舞いでしかなかった。


答えは単純だ。

細田は、浅はかな恋をしてしまった。


そのせいで、盲目に彼女を独占しようという思考に駆られ、妙な行動を起こした。あと少しタイミングが違ったら…と考えるだけで、寒気が彼の体を襲う。


彼女が死んで、細田は少しだけ安心した。暴走した恋心のせいで、人を殺さずに済んだのだから。


本当に、彼女がいなくなって良かった。


細田はそう心の中で呟いて、もう一度、一人で泣いた。

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