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「乱条、何しているんだ、コラぁー!」
成瀬の怒号に小さな悲鳴を上げたのは…乱条だった。成瀬は怒りの表情で乱条まで詰め寄ると、胸倉を掴んで引き寄せる。
「てめぇ、随分と勝手なことしたみたいだな」
「な、成瀬さん…あたしは、異能対策課の敵である如月探偵事務所をぶっ潰そうとしただけで、さぼってたわけじゃないんだよ。決して、誉めてもらいたくて、勝手に動いたわけじゃねぇ…」
「それが勝手なことって言ったんだよ、ボケなすが」
「ぼ、ボケなす…。ひでぇよ、成瀬さん。あたしは後一歩で如月葵をぶっ殺せたんだぜ?」
成瀬は乱条を突き飛ばすと、その頭に拳骨を落とした。
「いてぇ…」
頭を抱える乱条を睨み付け「頭冷やせ、バカが」と成瀬は言うと、如月を見る。鬼の形相が、瞬時に凛々しい紳士のものになった。
「葵さん、お怪我はありませんか? 私の部下が、大変な失礼をしたようで」
「ぶ、部下ですか?」
新藤が成瀬に事情を求めるつもりで言ったが、彼はそれをスルーした。
「その手の怪我は! まさか乱条が?」
「いえ、別の件で」
「そうでしたか…私がいれば、こんな酷いことには」
そう言って、成瀬は如月の手を両手で包んだ。新藤は「勝手に如月さんの手に触れないでください」と言おうとしたが、なぜか先に乱条が声を荒げた。
「て、てめぇ…成瀬さんの手に触れるんじゃねぇよ!」
「え?」
「は?」
顔を赤くする乱条を見て、新藤と如月は同時に口を開けたまま、呆気にとられて固まった。拳を握り、如月の方へと詰め寄ろうとする乱条。如月はまたも小さく悲鳴を上げて、新藤の後ろに隠れる。
だが、そんな乱条を制したのは、新藤ではない。
「おい、乱条…てめぇ、何のつもりで夜中に大声出しているんだよ。市民の皆様が、てめぇの汚ねぇ声に驚いて目を覚ましちまうだろうが」
成瀬の剣幕に、乱条は停止して頭を下げた。
「す、すまねぇ…成瀬さん」
「ぎゃんぎゃん騒ぐな。葵さんにも失礼だろうが。お前みたいな、腕っぷししか自慢のねぇやつは、黙って俺に従えば良いんだよ、分かったか?」
「はい! 一生付いて行きます!」
「だから、でけぇ声出すなつってるんだよ。おい、あの手錠された男は何だ?」
「はぁ…それがあたしもよく分からなくて」
「てめぇ、よく分からねぇくせに、人に手錠かけたのか? 馬鹿なのか? アホなのか?」
「そ、それは…」
「あ、成瀬さん。それは僕から説明していいですか? いや、色々説明してほしいことはありますが、先にそれを話した方が良いと思うので」
流石に乱条を不憫に思った新藤が割って入った。すると、成瀬は驚いたように眉を上げる。
「なんだ、新藤くん…いたのか。葵さんの手を煩わせるわけにはいかないからな、説明を頼もう」
新藤の説明の後、成瀬は入嶋晴香の自宅と思われる部屋を確認した。やはり中には、女性の死体があったそうだ。成瀬は一通り把握したのか、如月に頭を下げてから言った。
「事情は何となく分かりました。犯人と思しき男、それから宮崎静流さんの身柄は一度、こちらで預かりましょう。現場もこちらで保存しますので、お任せください」
「成瀬さん、かっこいいぜぇ!」
成瀬の言動に最初に反応したのは乱条だった。
「うるせぇ、乱条。てめぇはすぐに犯人を車の中にぶち込んでおけ」
「はい、成瀬さん!」
そう言って、乱条は犯人の男を担いで、車の方へ向かおうとした。だが、それと同時に宮崎が目を覚ます。
彼女を支えていた新藤は、きっと混乱しているだろう、と思ったが、そんなことはなかった。彼女はすぐに目を見開くと、表情を怒りのそれに変えて行った。
宮崎は新藤を突き飛ばすと、乱条が担ぐ犯人の方へと詰め寄ろうとした。そして、彼女が決して言わないような罵声を発するのであった。
「殺してやる! この人でなし! 殺してやる! 絶対、殺してやる!」
それは今にも飛びかかり、首筋にでも食らいつきそうな勢いだった。新藤は慌てて背後から彼女を拘束し、それを制した。彼女の怒号を浴びながら、犯人は車の中に押し込まれる。
「葵さん、まだその猫は彼女の中に?」
成瀬の質問に、如月は首を横に振った。
「ミャン太氏はもういません。彼女はミャン太氏の怒りに感化されたのだと思います。あの怒りと憎しみは…当分の事、彼女の中に残り続けるでしょうね」
「……そういうものですか」
その後、何台かパトカーが駆け付けた。それから、新藤と如月は、時間に取り残されたかのように、警察が慌ただしく動く姿を遠目で眺めていた。気付けば、死神の姿も消えている。事件は終わったようだった。
二人は成瀬が手配したパトカーで、病院へ向かうことになった。傷の応急処置は済んでいるが、しっかりとした治療が必要だ、という話になったのだ。
「如月さん、ミャン太さんは…どうなったんですか?」
「……どうだろうね。行き場のない魂としてさ迷った後、死神にエラーデータとして処理された、と考えるのが自然かもしれないね」
「他の人に憑依した、とは考えられませんか?」
「それはないよ。彼の異能は私がデリートしたからね。憑依できないのであれば、彼の魂はさ迷うだけだ」
「……そうですか。宮崎さんの心には、やはり後遺症が残るのでしょうか?」
「残るだろうね。犯人の男を殺したい、という衝動に駆られることがあるだろうし、強い喪失感に襲われ、自ら命を断つことを選ぼうとするかもしれない」
「それは…どうにかできないのですか?」
「私には無理だ。心療内科か、彼女を支える存在が必要だろうね」
それから二人は病院まで一言も口を利かなかった。窓の外は、黒く塗りつぶされた夜の景色だ。どこまで進んでも、それは変わらない。ただ、黒い闇が続くている。夜明けの時間は、まだ遠いようだった。




