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「ありがとうございます。宮崎さんのおかげで、ミャン太さんのお願いに応えることができそうです。それから、ハルカさんの命も」
新藤は笑顔で感謝を伝えたが、宮崎は浮かない顔だった。新藤は思わず首を傾げると、彼女は怯えた目で言う。
「私、あと少しで入嶋さんのこと、殺してしまうところだったんですね」
「…そういうわけでは、ないと思いますよ」
否定する新藤の声には、それほど力はこもっていなかった。
「入嶋さんという方は…どういう人なんですか?」
新藤は話題を変える。自分の感情を誤魔化すつもりはなかったが、そんな響きが残ってしまった。宮崎は戸惑いながらも答える。
「えっと…誰にでも、丁寧に接する人でした。凄い大人しくて美人なんですけど、はっきりと物を言う人だったので、会社の人たちからは、好かれていたと思います。だから、入嶋さんが何かの事件に巻き込まれるとは…思えません」
「だとしたら…ますます助けないとですね」
そう言って笑顔を見せる新藤だったが、宮崎はどこか疑うような目で見返してきた。
「あの、怒らないで欲しいのですけれど」
「なんですか?」
新藤は大抵の事なら怒らない自信があった。
「…あの、入嶋さんを助けることで、私に追加料金は発生しませんよね?」
「もちろんです。宮崎さんの依頼は、あくまでご自身が取り憑かれているのか、という調査ですから。それが、こんなことに付き合わせて…申し訳ないです」
「お金とか時間のことを心配しているわけではないのです。ただ、お金も発生しないのに、どうして新藤さんは、入嶋さんを助けようと思うのですか?」
「え?」
「だって…それは新藤さんの仕事じゃないはずですよね」
「確かに…そうですね」
そう言われてみれば、そうだ。
珍しく、如月が依頼されてもいない事件の解決に乗り気なので、仕事でもない人助けに、違和感がなかった。
「でも」
と新藤は言う。
「助けられる人は、助けたいので」
「それだけ、ですか?」
「困っている人がいるのに、誰も手を差し伸べてくれない。そんな気持ちにさせてしまうのは…嫌なですよ」
「新藤さんは、そういう経験があったんですか?」
新藤は言葉が出てこなかった。別に驚くべきような質問ではなかったかもしれない。話の流れとして、予測できる質問だったのかもしれない。だけど、相手が無意識とは言え、不意に自分のトラウマを触れられるのは、慣れていなかったのだ。そんな人間は、如月くらいのものだから。
誰もが自らの傷を癒してほしい、と主張するが、他人の傷には興味がない。
それを思い知ったからこそ、そうはならないと誓った。自らの傷はどこまでも隠し、どこまでも他人を癒すために戦うのだ、と。しかし、そんなことは無駄だった。過去なんて思い出したくもないことばかりだが、特に癒えないまま残った傷なのかもしれない。だから「そうかもしれません」とだけ言って、新藤は苦笑いを浮かべた。
「私には分かりません」
宮崎は視線を落とした。
自責の念なのか、新藤の顔を見たくないようだ。
「他人のために、そこまで頑張れる理由が、分かりません。私は…自分自身のためにも、どうやって頑張れば良いのか、分かりません」
「それは悪い事ではないと思いますよ。頑張るときが来たら、頑張れば良いのですから」
「そういうものでしょうか?」
縋るような目で見つめてくる宮崎に、新藤は頷く。
「はい。まずは除霊を成功させて、それから考えましょう」
「……はい」
宮崎が少しだけ笑顔を浮かべた、その瞬間だった。彼女は痛みを覚えたのか、顔をしかめると、頭を手で抑えた。
「宮崎さん!」
新藤が駆け寄ろうとしたが、宮崎は大きく後退った。いや、後方へ高く飛び跳ねた、と言うのが正しいだろう。人とは思えない跳躍力を見せ、遠くから新藤を睨むような目で見ている。
「すまないが、探偵…吾輩はここで除霊されるわけにはいかない」
「ミャン太さん…」
「除霊除霊と言ってくれるが、そうはさせない。吾輩にも目的がある。宮崎には悪いが、危険を他人に強制してでも、助けなくてはならない人がいるのだ」
「ミャン太さん、気持ちは分かります。ハルカさんは、必ず僕が助けるので、ここは宮崎さんを自由にしてあげてください。彼女はとても怯えているんです。大事な人を助けるためでも、他人を巻き込んじゃ駄目でしょう」
「誰を巻き込んでも、吾輩はハルカを助ける。それだけだ。幸い、記憶も戻った。吾輩の家もどこか分かったのである。だから、君の助力は必要ない。吾輩だけで、ハルカは助ける。さらばだ」
新藤に背を向けてからの、ミャン太は速かった。新藤も全速力でそれを追ったが、とても追いつけるものではない。
「クソ、速過ぎる」
見失ってしまうと、流石の新藤も悪態を付いた。如月に電話をすると、彼女はすぐに出た。
「ちょうど私からも電話しようと思っていたところだ」
「すみません…ミャン太さんがまた宮崎さんの意識を乗っ取って、逃げ出しました。除霊されることを恐れただけではなく、自宅の場所を思い出したそうです」
「なるほど。だとしたら、話は簡単だな。入嶋晴香の家に向かえば良いということだ。位置情報を送る」
如月から送られてきた位置情報は、新藤のいる場所から、それほど離れてはいなかった。
「新藤くん…もしかしたら、ミャン太氏は人間を傷付けるかもしれない。そんなことになったら、宮崎静流は異能犯罪者と認識されてしまうかもしれない。成瀬さんが出てきたら、また厄介だ。私も急いで向かうが…頼んだぞ」
「分かりました」
入嶋晴香の家は走って十分とかからない場所にあった。閑静な住宅街の中にある、二階建てのアパートで、宮崎の住まいと良く似ていた。そして、その前には宮崎の後姿…ミャン太がそこにいた。
「早かったな、探偵。君が到着する前に、すべて終わらせるつもりだったが、世の中、それほど甘いものではないらしい」
そう言って、ミャン太は新藤の後ろに回ると、隠れるように背中に取り付いた。
「探偵、さっきのあいつだ…吾輩はあれが怖くて仕方ない。頼んだぞ」
「何でだろう、ついさっきも、別の人からそんな言葉をかけられた気がする」
新藤は溜め息を吐きながら、ミャン太の視線の先にいる存在を確かめた。
「やっぱり、貴方ですよね…」と新藤は肩を落とした。
そこにいたのは、黒いローブを身にまとい、赤い双眸を光らせる、巨大な姿である。
言う間でもなく、死神だ。
まるで、ミャン太がこの場に来ることを知っていたかのように、マンションの前に立っている。その姿からも、とてつもないプレッシャーが感じられ、ネズミ一匹も通してもらえそうにはない。
「ミャン太さん、僕は貴方を守るために、あの死神と戦います。だから約束してください」
「どんな約束かね?」
「絶対に勝手なことはしないでください」
「……約束しよう」
猫は無表情で、そう答えた。
とても信じられる顔ではないが、疑っても仕方のない状況だ。
新藤は一歩出た。
勝てる相手ではない。だが、如月であれば、あの死神を止められるらしい。
だとしたら、彼女が到着するまで、どれだけ自分が粘れるか、という勝負になるだろう。




