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「おい、新藤晴人」
クレアは声を潜めて言う。
「離れろ。いますぐ離れろ」
全力で新藤を押し退けようとするクレア。どれだけ力を込めているのか、顔が赤い。しかし、新藤も物影から出るわけにはいかず、全力でその場に止まり、二人の距離は僅か数センチのままだった。
「クレア、静かに。見付かっちゃうから!」
新藤も声を落としながら訴えるが、逆に彼女の感情を刺激してしまったのか、押し退ける力がさらに強くなる。
「関係ない。お前があっちに隠れれば良いだろ」
二人は、高月邸にいた。二人とも黒ずくめに目出し帽という、怪しい格好だ。目的はもちろん、高月邸にある、会田真司の記憶が封じられた石。一人で忍び込むというクレアだったが、あの夜のように人形が動き出す恐れもあったため、新藤も行動を共にすることになった。
時間は午後七時。この時間であれば、高月は帰っていないはずだ、と文香に聞いていたが、明らかに人の気配があった。
身を隠すために新藤とクレアは同時に物影へ隠れたが、スペースが限られていたため、二人の距離は近くなってしまった。クレアは何とか新藤を押し出そうとするが、明らかに近付く足音に、二人とも黙って気配を消すしかなかった。
高月が警戒して屋敷を見回っているらしい。彼が遠ざかるまで、二人は殆ど密着した状態で、息を潜めなければならなかった。クレアは拒絶したい気持ちを必死に耐えているのか、顔を引き攣らせて体を抑え込むように黙っていた。しかし、足音が遠ざかると凄まじいスピードで新藤から離れる。
「何でこんなことに…。別に石をすり替えるくらい、私一人で十分なのに」
そう言って、クレアは懐に手を入れた。恐らくは、そこに隠した石のレプリカに触れているのだろう。それは文香に何とか撮影してもらった画像データをもとに、如月の知り合いである手先が器用な博士が作成したものである。高月がどうしても石を手離さないのであれば、偽物とすり替えるしかない、という如月発案による作戦だ。
「人形が動き出したとしても、私は一人で対処できるんだ」
クレアは不満気に呟くが、新藤だって文句の一つくらい口にしたい気分だった。泥棒のように、人様の家へ忍び込むなんて。思わず溜め息が出てしまう。
「なんだ、その溜め息は。わ、私と一緒にいることが不満だとでも言うのか?」
「そんなことより、仕事を済ませましょう」
「そんなこと、とは何だ。不満なら言え。お前の気持ちが分からない!」
なぜか向きになって詰め寄ってくるクレア。声が大きい、と新藤は手の平で彼女の口元を塞いだが、少しばかり遅かったようだ。
「お前たち……この前の盗人だな?」
新藤たちの背後から、その声はあった。
「どうやって入ったか分からないが、今度こそ捕まえてやる」
確認するまでもないが、振り返ってみると、そこには高月文也が立っていた。もう一度溜め息を吐いてから、クレアの方を見ると、彼女は反省をしているのか、目を逸らして心許なさそうに縮こまっている。
「先に行って、仕事を済ませてください」
と新藤は囁く。クレアは大人しく頷き、その場を去った。
「逃がしても意味はない。二人とものしてから、警察に突き出してやる」
どうやら、高月は先日訪ねてきた探偵であることは、気付いていないらしく、自宅に侵入した泥棒を捕まえることに対し、楽しみを抱いているように見えた。
高月はシャツをはぎ取るように脱ぐと、上半身を露わにする。それは、自らの裸体を見せつけるような、意味のない行為でしかないが、本人は高揚しているのか得意気な笑みを浮かべながら、拳を構えた。
適当にあしらって、クレアが仕事を終えたタイミングで立ち去ろう。無駄に相手する意味はないはずだ。新藤は自分に言い聞かせてから、拳を構えてみせる。
高月は前傾姿勢で飛び出すと、距離を詰めると同時に、前手で突き出すような速い拳を放ってきた。ボクシングのスタイルだ。新藤は僅かに下がりながら、高月の拳が届かない距離を保つ。
このまま捌いて時間を稼げば良い……と考えているうちに、新藤は壁際に追い詰められてしまった。
「逃げられると思うな」
高月はそう言いながら、何度かフェイントを見せつつ、確実に仕留めるための一撃を放つタイミングを計っている。僅かに変化した威圧感。それを察知して、新藤は体を大きく左側へ移動させた。
高月が体勢を整えるよりも先に後ろに回る。今ならその背中に飛び付いて、首を締めれば動きを止められる、と接近を試みた瞬間――。
いけ好かないタイプだな。一発ぶん殴ってやろうか。そう思ったでしょ、新藤くん。
からかうような如月の笑顔を思い出した。




