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クレアは商店街から少し離れたところにある、豪邸から出てきたところだった。
その豪邸は宗谷骨董店と長年良い関係を続けている大企業の重役のもので、今日は壺を売りたいという話があり、クレアが引き取りにきたのだ。
クレアは小学生低学年くらいの大きさはある壺を軽々と担ぎ、商店会を歩いていた。重たいものを持ち運びするだけで店長は喜んでくれるのだから、クレアとしても高いモチベーションを保って労働に従事できる。確か、娘の美奈子の話によると、今日の夕飯はご馳走らしい。
この国でまともな生活を築くまでサポートしてやろう、と言ってくれた店長。さらに、その娘夫婦にまで可愛がられているため、もっとこの骨董店の力になりたいと思っていた。
しかし、数日前の失敗を思い出してしまい、気持ちが暗くなる。なぜ、あの場所に新藤晴人がいたのか。そして、姿まで見られてしまったのだから、彼女にとって最悪な展開だった。
――小金欲しさに泥棒なんて。
新藤が自分を見て、今にも頭を抱えそうな勢いだったことを思い出す。誰も小金欲しさで泥棒をしていたわけではない。ただの恩返しだったのに。そして、帰ってから店長に失敗したことを伝えると、しなびたような笑顔で
「無理を言って悪かったね」
と言われてしまったことも堪えた。
もう店長のあんな顔は見たくない。
それに、しっかりと骨董店で働いて、自立した生活を得たら、新藤晴人に見せつけてやらなければならない。小金欲しさに泥棒したわけではない、と理解させるためにも。そのためには、次こそ例の石を持ち帰り、さらに店長からの信頼を得なければ。
「見ていろ、新藤晴人」
思わず、その名を口にしたそのときだった。
「何を見ていればいいんですか?」
背後からあった突然の声に思わず壺を落としそうになる。何とかバランスを取り戻し、振り返るとそこには新藤と如月の姿があった。
「ど、どうして…ここに!」
動揺するクレアだが、新藤は子供に説教する親のように、大きく息を吐いた。
「それはこっちのセリフです。いえ、クレアを見付けたことで、推測が確信になったとも言えますが」
推測が確信に?
それを聞いて、店長の身に危険が及ぶのではないか、と焦燥を抱いた。まずはこの探偵を撒いて、店長の安全を確保する必要がある。
颯爽と立ち去ろうとするクレアだったが、体が後ろへ引っ張られてしまった。どうやら、新藤に襟首を掴まれたらしい。
「は、離せ!」
壺を片腕で抱えつつ、反対の手で拳を握り、振り向きざまに新藤のこめかみへ叩き付けてやるつもりだった。しかし、新藤は襟首から手を離しつつ、身を退いてそれを躱してしまう……が、それで良い。新藤の拘束から自由になったのだから。
今度こそ、と背を向けて走り出そうとしたが、今度は服の裾を掴まれてしまったようだ。
「離せと言っている!」
クレアは新藤の爪先を踏み付けようとしたが、素早く足を退かれてしまう。今度は膝頭を狙って蹴りを突き出すと、新藤の手は離れたが、彼は身を退きつつ、クレアの足首を掴んだ。そのせいでバランスを崩し、壺が手から離れてしまいそうになり、慌てて両手で支えたが…その隙に新藤は再びクレアの襟首を掴んでいるのだった。
「大事な壺のようですね」
と新藤は言う。
「当たり前だ。店長から預かった商品。死んでも守り通す」
その言葉に、新藤は僅かに目を見開いた。驚きを覚えたらしい。
「真面目に働いているのなら何よりです」
「こ、この前だって、別に泥棒するつもりはなかった。真面目に恩返しをしていただけだ」
「なるほど。それは安心です。何となくですが、すべての話が繋がった気分です」
クレアは奥歯を噛み締める。
何とか新藤に一泡吹かせられないか、と。
「取り敢えず、店長のところに案内してもらいましょうか。一緒に事情を聞いた方が早そうですから」
「誰がお前のような危険な人間を店長のところへ連れて行くものか。ここで排除する!」
クレアは新藤の手を振り払い、壺を支えつつ蹴りを放つ。最初の一撃は、新藤の足元を狙うもの。それが躱されてしまうと、すぐさま頭部を狙った回し蹴りを放った。
しかし、新藤は難なくそれを躱すと、すぐにクレアの手首を掴んで逃がすまいという意志を見せるのだった。
「クレア、その壺を抱えた状態で、僕から逃げられると思っているのですか?」
何でも良い。言い返してやりたかったが、それらしい言葉はどこにもなかった。




