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一時間前のこと。如月は言った。
「その男が咄嗟に適当な名前を口走った可能性は、もちろんある」
瀬崎からの電話を受け、一度事務所に戻った二人は、会田と言う名前について調べていた。
「しかし、これを偶然の一致と言うには、あまりに出来過ぎているかもね」
合流していた瀬崎も固唾を飲むような表情で、如月の説明を待つ。
「これを見てみて」
瀬崎がいるせいか、如月の喋り方はいつもより柔らかい。そんな彼女が見せたモニターには、高月文香の名前を中心に、いくつか人物名が並んでいた。
「瀬崎さんが見付けてきてくれた、会田さん。この人はたぶん、会田真司というサラリーマン。色々と調べて行ったら、彼は二十年前、高月文香と同じ大学に通っていた。親密な関係だった可能性は、十分にある。もしかしたら、当時の恋人だったかもしれない」
「これは、核心に迫った情報に違いありません。だって、例の人魂らしいものには、この人の顔が浮かんでいたんですよね?」
新藤の質問に瀬崎が答える。
「あの、一瞬のことでしたし、何日も経っているので自信はありませんが…たぶん、この人だったと思います」
縮こまってしまいそうな瀬崎だが、如月は自信満々といった様子だ。
「いや、私は彼で間違いない、と思っているよ。私が彼の名前に行きついた経緯を含めて説明すれば、二人も納得すると思う」
「その経緯とは?」
と新藤が促す。
「まず、会田のフルネームは、高月文香の交友関係を探って出てきた名前ではない。二人の関係は二十年も前のことで、今は一切連絡も取っていないみたいだからね。だから、私は高月文也と取引している骨董屋や美術商の人間関係を洗い直してみたんだ。そしたら、この骨董屋」
如月がモニターの中のポインターを操作して、一つの名前を示した。そこには、宗谷雄二郎と書かれている。
「ああ、娘さんと二人で店をやっていた、あの人ですね」
如月は頷くと、嬉しそうに言った。
「宗谷雄二郎の娘、実は名前を会田美奈子って言うんだ」
「会田!」
新藤と瀬崎の声が揃う。如月は満足気な表情で続けた。
「もう言わなくても分かるだろう。会田美奈子の夫が会田真司。そして、彼の過去を遡ったら、高月文香との接点が見えてきた」
如月の説明により、新藤にも事件の全容が見えてきた。
「会田真司の魂が入った石を、義父で骨董屋である宗谷雄二郎が、高月さんに売った。そして、会田真司の魂が人形に乗り移って、文香さんを襲った…ということですね」
「もしくは会田本人が商品の中に石を紛れさせたのかもしれない。高月文香を襲撃するために」
「でも、どうして会田さんは文香さんを襲ったのでしょうか?」
「二十年前、二人の関係は何かしらの原因があって崩れてしまった、と考えるのが自然だろう。復讐なのか執着なのか、それは分からない。どちらにしても、私たちには関係ないことだよ。私たちの仕事は、高月文香を襲う謎の亡霊の正体を突き止め、彼女の平穏な日常を取り戻すことだからね」
「そうですね。まずは宗谷雄二郎にもう一度話を聞きましょう」
話がまとまったところで、新藤は瀬崎の方を見た。
「ありがとう、瀬崎さん。行き詰っていたところだから、本当に助かったよ」
新藤の言葉に、瀬崎は頬を赤らめながら、笑顔を見せる。
「ほんと、たまたまだったんです。偶然、高月先生がその人を探しているって知っただけで…。でも、新藤さんの役に立てたなら、嬉しいです」
その言葉の通り、彼女は嬉しくてたまらない、という表情だ。薄暗い事務所だが、笑顔の瀬崎の周りだけ、春の光に照らされているような錯覚を起こすほどに。
しかし、彼女の表情が困惑の色に染まる。
「でも、会田さんは高月先生の名前に心当たりはないようでした。嘘を言っているようにも、誤魔化しているようにも見えませんでしたけど……」
納得いく説明を求めて、新藤が如月の方を見ると、彼女は瞬時に答えた。
「もし、あの襲撃が彼も無意識のうちに発動させた異能力によるものだとしたら、高月文香のことを本当に忘れてしまった、とも考えられる。二十年も前のことだからね。逆に、悪意を持って行ったことだとしたら、近いうちに誰かから問い詰められることもあると常日頃から覚悟していて、反射的に惚けられたのかもしれない」
「なるほど。どっちにしても、宗谷雄二郎が何かを知っているはずです」
新藤の前向きな言葉に、瀬崎は頷く。そうですね、と。
「あと、考えられるのは…」
如月の呟きは、新藤と瀬崎の耳に届かなかった。如月本人も、浮かび上がった可能性について、それ以上は考えなかった。




