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「さぁ、陸くん…おじさんが星座について教えてあげるよ。おじさんから離れないようにして歩くんだよ」


「わかった!」


息子は、見知らぬ男にすっかり懐いていた。百地は先頭を歩かされ、男の指示に従って進む。夫の目的が何か必死に考える。もしかして、という言葉はいくつも頭の中に過った。


イチかバチか、逃げ出したいけれど、陸を置いていくなんて、絶対にできないことだ。考えれば考えるほど、絶望で頭の中が埋まって行く。


どれだけ歩いたのか。

足に疲労を感じた頃、聞き慣れない音が聞こえた気がした。縄跳びをしていると聞こえてくる、風を切る音に似ていたかもしれない。百地は不審に思って振り返る。


すると、顔のすぐ真横を何かが凄まじいスピードで通過した。


陸の後ろに立っていた、見知らぬ音が呻き声を上げて倒れる。百地の眼前を過ぎ去った何かが、男に直撃したらしい。何が起こっているのか、百地は目を凝らすと、


妙な球体が浮遊していることに気付いた。


それは、ちょうどボウリングの球のような、黒い鉄球だった。さっき、自分の真横を通り抜けた何かも、あれに違いない。あれだけの鉄の塊。自分の顔面に当たっていたら、どうなっているだろう。考えるだけで鳥肌が立った。


「いやー、見つかって良かった。このまま、山の上まで歩き続けることになるじゃないかって、少し不安だったよ」


暗闇の中から、また見知らぬ男が現れた。それはスーツ姿の男だ。しっかりとネクタイを締めて、一流企業の営業マンのような姿だが、整った顔に軽薄そうな笑みを浮かべているため、夜の街で働く男のようにも見える。


ただ、奇妙なことに浮遊していた球体が、その男の頭上まで移動すると、ぴたりと静止した。まるで、主人のもとに戻る猟犬のようだ。男は言う。


「どうも、飯島さん。私は公安部異能対策課の成瀬と言います」


公安部異能対策。百地はそれがどういう意味の言葉なのか、理解できなかった。ただ、警察と言う言葉は分かる。きっと、助けがきたのだ。百地は後ろから陸を抱き上げ、自分の方へと引き寄せた。鉄球を受けた、夫の知り合いらしい男が立ち上がる。まだ、何か企んでいるようだ。


「助けてください! この男、不審者です!」


「不審者…? 旦那じゃないのか?」


「違います! ナイフで脅されて、こんな山奥まで…!」


「そうだったのか…」


助かった、と百地は思った。しかし、成瀬という男は、なぜか苦笑いを浮かべて、照れ臭そうに頬を指先でかいた。


「悪いけど、そっちは僕の仕事ではないんですよ」


「た、助けてくれるんじゃないの? じゃあ、貴方は何しに…?」


「僕は異能力犯罪が専門でね。悪い異能力犯罪者を捕まえるんだ。何なら、その場で処刑することだって許されている。凄いだろう?」


異能力とは何のことだろうか。分からない。でも、きっと自分たちを連れ去ろうとした、この男のことに違いない。百地は必死に訴えた。


「だとしたら、早く処刑してよ! 早く私たちを助けて!」


「へぇ、早く処刑してほしい、なんて言われたのは初めてだ。大体のやつは抵抗したり命乞いしたりなんだけどなぁ。まぁ、良いか。仕事が楽になるに越したことはないからな」


成瀬が何を言っているのか理解できないが、助かるのであれば何でもいい。成瀬の背後から、先程浮遊していた鉄球とは別の鉄球が現れた。どういう原理か知らないが、成瀬はあれを操って、この男を処刑してくれるらしい。


そうだ、この男だけでなく、自分と同じ顔をした女と、あいつも殺してもらおう。そしたら、夫とは別れてやる。その後は、陸と二人で平和に暮らし、自由に生きるのだ。それに私はまだ若い。もしかしたら、旦那より良い相手だって見つかるかもしれない。


そんな妄想を巡らせる百地に、あの鉄球が猛スピードで襲い掛かってきた。


百地は突然のことながらも、防衛本能が働き、何とかそれを避ける。鉄球は百地の肩をかすめただけだったが、その衝撃は大きく、腕に響いた鈍い感触は、あまりに重たかった。


「ど、どうして?」


混乱する百地と、横で泣き出す陸。そんな彼女たちを成瀬は笑った。


「凄いな。普通の主婦かと思ったら、なかなか良い反射神経じゃないか。でも、女をいたぶるのは好きじゃないんだ。次は避けないでくれよ」


百地は自分が狙われていると、やっと理解した。なぜ、という言葉で頭がいっぱいになる。自分は被害者ではないか。自分と同じ顔をした女から嫌がらせを受け、夫には裏切られ、変な男に誘拐されそうになる。さらに、あいつまで現れて…。


成瀬の狙いを理解したのは、百地だけではなかった。百地たちを誘拐しようとした男が、自分は狙われていないと判断すると、走ってその場を離れようとしたのである。


「おっと。何者かは知らないが、ここで逃げられるのは都合が悪い」


成瀬が苦笑しながらそう言うと、彼の背後で控えていた鉄球が、またも猛スピードで移動した。そして、優秀な猟犬が喰らいつくが如く、男の背中に直撃した。それが、どれだけの衝撃だったのかは分からない。だが、男の倒れ方を見る限りでは、相当なものだろう。どうやら失神したらしい。


次は自分だと思うと、百地は慄いた。逃げなくては。そう思うが、腰が抜けてしまって、立つことすらできなかった。


「よし、オッケイ。我ながら抜群のコントロールだ」


意思を持つように動く鉄球を見て、唖然とする、百地の視線に気付いた成瀬は笑顔で説明した。


「ああ、これね。そう、俺が操っているんだ。俺の異能力はね、球形のものなら、自由に操れる、という派手なんだか地味なんだか分からないものなんだ。球形であれば、重さ関係なく操れるから、その気になれば、月も動かせたりしてね」


成瀬は笑うが、百地には何がおかしいのか分からなかったし、異能力というものが何なのかも、やはり理解できない。ただ、自分があの鉄球をぶつけられ、殺されてしまうかもしれない、という恐怖だけだ。


「なんだい、異常なものと遭遇した、みたいな顔をして。君だって異能力者じゃないか。驚くほどのことじゃないだろう」


「い、異能力者? 私が?」


「そうか、気付いてなかったのか。まぁ、良いさ。俺には関係ない。葵さんとのデートもかかっているんだ。早く終わらせてもらうよ」


鉄球が二つ、成瀬の背後に浮かび上がった。すると、陸が泣きながら、百地に抱き着いてきた。自分の母親が危機的な状況であることを理解しているようだ。


「うーん、子供に怪我はさせたくないな。飯島さん、貴方の頭だけを狙うから、ちゃんと子供を守るようにね」


成瀬の言葉は容赦がない。百地は陸を抱きしめ、自らが壁になるように、成瀬に背を向けた。


「そうそう。その姿勢だ。子供も多少痛い目を見るかもしれないが、死ぬよりかは良いだろう」という成瀬の声を背に受ける。


自分がここで死ぬのかもしれない。それでも、陸には傷一つ付けたくない。


最低な人生だったけれど、


何一つ楽しみなんてなかった人生だけれど、


誰一人として好きになれなかった人生だったけれど、


この子だけは宝物なのだ。


自分が死んだとしても、生きていて欲しい。幸せを感じて欲しい。楽しみを感じて欲しい。誰かを好きになって欲しい。誰かから好かれて欲しい。


そのためには、彼はまだ幼過ぎる。絶対に何があっても、守らなければならない。


彼女は陸を強く抱きしめた。あいつとさえ出会わなければ。そんな「もしも」の自分を少しだけ考えた。


あいつに出会わなければ、きっと幸せになれたはずなのに。どうして、こんなことに。


いや…そうじゃない。ずっと、あいつと一緒にいたら、もしかしたら幸せだったのかもしれない。そんな風に考えてしまうのだ。いつも。何度も。


それが、この事件の始まりだと、彼女は知りもしないのだが。

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[一言] 驚くほどろくでなしばっかりだ。 木戸がまっすぐでまともに感じる。
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