18
瀬崎がそれを目撃したのは、尾行を始めて三日目のこと。
昨日、一昨日と同じ場所で、文香の行動を見張っていた。今までと違うところは、少し離れたビルの影から、という点だ。この日も、午後七時を回ったタイミング。文香が明らかに落ち着きを失い、コーヒーショップから出ようとしていた。
文香は外に出ると、何かを目指して駆け出す。瀬崎はその視線の先にあるものを探した。人混みに紛れ、その人物はいた。やや長身のスーツ姿の男。うろ覚えではあるが、あの人魂のような物体に浮かび上がった人相に酷似しているように思えた。
瀬崎はやや離れた場所から見ていたため、二人の位置関係を把握できたが、文香はそうではない。人混みに進行や視界を阻まれ、距離を詰めているはずが、目的の人物から少しずつ離れているようだ。
それは、まるで泳ぎ方を知らずに海原でもがく遭難者のようにも見える。やがて、文香は足を止め、立ち尽くす。人の波の前に、為す術がないようだった。
少し角度が違ったら、二人はいとも簡単に再会できただろう。実際、瀬崎は二人を目で追いながら移動しても尚、どちらも見失うことなかった。
「すみません!」
瀬崎は先回りし、文香が探していた男性を呼び止めることに成功する。ただ、瀬崎は何をどうするべきなのか考えていなかったため、男性が振り返って首を傾げでも、口を開け閉めして完全に不審人物と化していた。
「えっと……高月文香さんのお知り合いの方ではないでしょうか?」
これはもう単刀直入に聞くしかない、と思った。
「高月さん、ですか?」
男は心当たりがないらしい。
そうだ、きっと結婚前の知り合いなのだ。
だとしたら、文香の旧姓は……知らない。
「あの、文香さんです。ご存知ないですか?」
きっと、この男は文香と深い関係だったはず。下の名前だけでも、何か思い当たるような顔を見せるのではないか。しかし、彼は「分からないですね」と答えるだけ。
二秒の沈黙。
これ以上は引き止めることも難しいのではないか。
男は今にも踵を返し、歩き出してしまいそうだった。もう一度…イチかバチかだ。
「あの、村山さんですよね?」
適当な名前を口にしてみた。
「いいえ」
男は短く答える。これでは駄目か。それでも、強引に行ってみよう。
「でも、村山さんですよね? 絶対そうですよ。どうして嘘を吐くんですか?」
「だから、違いますよ」
男は困惑しているようだが、立ち去りたいという気持ちを全面に出している。たぶん、次の質問に答えてもらえなかったら、この男の名を知ることは難しくなるだろう。それでも、やるしかない。
「じゃあ…何さんですか?」
平静を装い、瀬崎は賭けに出る。
本当は喉がカラカラで冷汗が背を伝っていた。男が沈黙する一秒間が、果てしない時間のように思えるほど、彼女は精神的に追い詰められていたのだ。
そして、彼が口開く。
「私は、会田です」




