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新藤と如月が、リストに並ぶ人々に片っ端から会っている頃、瀬崎有栖は高月文香を尾行する日々を送っていた。
尾行されているなんて思いもしないのか、文香は初日から奇妙な行動を見せた。大学で講義を終えると、文香は都市の方へ出る。もしかしたら、彼女のアトリエや世話になっている画廊に向かっているのか、と考えたがそうではない。なぜなら、そこはオフィス街だったからだ。
そして、文香はどこにでもあるコーヒーショップに入ると、そこで何をするというわけでもなく、ただ時間を潰す。誰かと待ち合わせか、と瀬崎も根気強く何者かが現れることを期待したが、何も起こらなかった。
どれだけの時間が経過しただろうか。一時間や二時間の話ではない。半日に近い時間をコーヒーショップで過ごした。退屈な時間が永遠に続くのではないかと、瀬崎の心は折れかけたとき、状況の変化が突然現れる。午後の七時を回った頃、文香が何か思いつめた様子で席を立ったのだ。
瀬崎も慌てて外に出て、文香の姿を探すと、彼女の姿はそれほど離れていない場所にあった。どこを見ているのか、帰宅を始めているだろうスーツ姿の人々を見て、途方に暮れているように見えた。
この日、彼女はスーツ姿の人々に紛れるようにして帰宅して行った。
次の日も、文香の行動は似たようなものだった。
大学の講義を終え、オフィス街に出たらコーヒーショップで時間を潰す。きっと、誰かを待っているのだ、と瀬崎は思った。
それにしても、尾行やら張り込みは、思っていた以上に骨が折れる作業だった。ただ、待つだけ。目的もなく、一人の人間の行動を監視し続けることは、肉体的にも精神的にも擦り減って行く。
新藤もこれだけ大変な仕事を日常のように行っているのだろうか、と考えながら、疲労を感じて目元をほぐしてから、再び顔を上げたとき、目標である文香の姿がなかった。動揺しながら、視線をさ迷わせたそのとき、背後から声があった。
「瀬崎さん?」
肩を震わせ、振り返ると、そこには文香の姿が。
「あ、あれ。先生…どうして、こんなところに?」
動揺しながらも、相手よりも先にその質問を言葉にできた自分を褒めてやりたいところだが、文香がどんなリアクションを見せるのか、それを確認するまでは安心できない。
「ちょっと、人を待っていて…」
やっぱりそうなんだ。
「お友達と待ち合わせですか?」
これを正直に答えてくれたならば、瀬崎の目的は簡単に達成されるのだが、文香は曖昧な笑みを浮かべるだけで、何も答えてくれなかった。
「一緒に座っても良い? ちょっと時間を持て余していて…お話しに付き合ってほしいの」
自分が尾行されていたなど知らない文香は、自分の飲み物を持って、親し気に瀬崎の正面に座った。
「瀬崎さんは忘れられない人っている?」
それがどういう意味なのか、瀬崎には分からなかった。ただ、なぜか新藤の顔が思い浮かび、自分の頬が熱を持ったことに気付く。こんなにも簡単に顔に出たら、茶化されてしまうだろうか、と思ったが、そんなことはなかった。文香の視線は窓の外に向けられていたからだ。
「瀬崎さんはまだ若いし、そんな人はいないか。これから出会うのかな」
「先生は、そういう人がいるんですか?」
好奇心があるように取り繕うと、文香は視線を戻すこともなく、答えた。
「まぁね。今の旦那と結婚していなかったら、どうなっていたんだろうって想像したとき、顔が浮かんでくる人はいるかな」
文香は言う。
「何だか、そういう気持ちって脳の片隅にずっとこびりついているんだよね。考えたからと言って、何かが変わるわけでもないのに、思い出してしまう。消えない傷跡をたまに見つめて、それにまつわる過去を思い出すのと似たような感じ」
瀬崎にはそんな傷はなかったため、上手く共感はできなかったが、今の文香がどんな言葉を求めているのか、必死に考える。
「どんな人だったんですか?」
瀬崎の質問に対し、文香は照れ臭そうに首を横に振った。
「昔のことだし、恥ずかしくて話せるようなことではないから」
それから、とりとめのない話がいくつか続いたが、午後七時を前にして、文香は席を立った。
「付き合ってくれてありがとう。時間だから行くね」
伝票を取って去って行く文香。瀬崎は数秒置いてから追いかけたが、次見つかってしまったら、もう尾行はできないだろう、という不安が過る。
そうなってしまったら、新藤の役には立てない。何としてでも、文香の目的を突き詰めなければ。




