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「新藤くん、異能が発生したぞ」
日付が変わった頃、如月が唐突に言った。新藤は頷いてからドアをノックする。
「すみません、新藤です。異常はありませんか?」
ドアの向こう側で人が動く気配があり、中から瀬崎が顔を出した。
「今のところは大丈夫です。何かありましたか?」
確かに、部屋の中の空気は平穏そのものだ。しかし、如月が異能の発生を感知したのなら、間違いなく何かが起こる。起こっている。
念のため、部屋の中も確認させてもらおうかと、口を開きかけたとき、静まり返った屋敷の中で、
コツンッと足音が聞こえた、ような気がした。
音が聞こえた方向へ視線をやるが、廊下が暗闇に向かって伸びるのみだ。
ただ、新藤の聞き違いではなかったことを証明するように、如月も瀬崎も、同じ方向を見て耳を凝らしている。
コツンッ、と再び音が聞こえた。
一度や二度でない。一定のリズムで、音が連続して聞こえる。
何かが、この部屋に向かっているようだ。
「ドアに鍵をかけて、絶対に出てこないでください」
「わ、分かりました」
瀬崎はすぐにドアを閉め、鍵を閉める音を確認してから、新藤は廊下の方へ視線を戻した。コツンッ、コツンッ、と続けて音が響く。
やはり足音だ、と判断して間違いないだろう。
「高月さんですか?」
暗闇に向かって、新藤は問いかけた。が、返答はなく、ただ足音が迫ってくる。
「如月さんも下がって」
如月が新藤の後ろに下がると、殆ど同じタイミングで、足音の正体が姿を現した。仄かな灯りに照らされた、それは……
人形だった。
「あれ、さっきコレクション部屋にあった……!」
新藤が思わず驚きの声を上げると、後ろから冷静な如月の声があった。
「さっき見た限りは、ただの人形だった。何者かが異能で動かしているのだろう」
「うわぁ、不気味だなぁ」
人形の顔面は、西洋人のような顔が描かれているが、表情はまったくない。それが無言で近付いてくるのだ。想像していた幽霊とは、また違う恐ろしさがあった。
新藤は頬を引き攣らせるが、いつまでも驚いてはいられない。
「止まってください。それ以上、近付くようだったら、敵意があると判断します」
新藤の警告に、人形は止まることはない。それどころか、ゆっくりとした歩調を加速させ、一気に距離を詰めてくる。新藤は慌てつつも、迎撃に備え腰を落とした。
人形はある程度距離を詰めると、跳躍しつつ、回し蹴りを放つという大技を見せた。意表を突くような派手な技だが、新藤からしてみると、素人が見よう見まねで放った一撃でしかない。
回し蹴りを躱しつつ、人形の真下に潜り込んでから、その大腿部の辺りを両手で掴んでバランスを崩し、そのまま床に叩き付けてやった。
人間であれば、全身を駆け巡る痛みに悶絶してもおかしくないだろう。しかし、人形は何事もなかったかのように立ち上がると、新藤に目をくれることもなく、文香がいる部屋のドアに手をかけようとした。
「行かせませんよ!」
新藤はドアノブに手をかけた人形の腕を蹴り上げる。が、人形はすぐに逆の手でドアを開けようとしたため、それよりも先に、新藤は腕を掴んで止めた。
人形は扉を開けることに必死だったのか、敵の存在を思い出したように新藤の方へ視線を向けると、自由な方の手で拳を握り、それを真っ直ぐ突き出してきた。新藤は頭を横に傾けそれをやり過ごすと、掴んでいた腕を捻り上げ、背後に回りつつ関節を極めてやる。
これも普通の人間であれば、痛みで動きを止めるところだが、人形にそんな感覚はないのか、関節を有り得ない方向へ曲げながらも、力任せに腕を引っこ抜いた。だが、骨が折れるということもないのか、歪んでしまった腕を何事もなく使う。
再び新藤の顔面を狙って突き出された拳。しかも、単発ではなく、連続で放たれ、新藤も必死に捌かなければならなかった。タイミングや距離感を何となく掴んだ、と思えば、高速の蹴りが新藤の脇腹を襲った。流石の新藤も避けきれず、腕で防いだが、木製の人形による一撃は硬い、ということを思い知らされる。
人形は、新藤が見せた僅かな尻込みを許さず、拳による追撃を見せた。だが、新藤は百戦錬磨の格闘戦のプロである。反射的に身を反らすと、拳を伸ばしきった人形の顎に向かって、拳を突き出した。
完璧なカウンターが人形の顎に決まる。だが、何歩か後退ったものの、倒れる気配ない。逆に、新藤は自分の拳を痛めて顔を歪めるのだった。
新藤は、次に人形が攻撃を仕掛けてきた際、どのように対応すべきか考えた。これ以上、拳を痛めては、骨に影響が出てしまうかもしれない。ならば蹴りだったら…と想像するが、同じ結果になることは目に見えている。だとしたら……。
人形が動き、覚悟を決める新藤だったが、それは思わぬ行動に出た。踵を返し、暗闇の方へと駆け出したのである。
「おい、新藤くん。あいつ、逃げたぞ!」
「えっと……追いかけましょう!」
如月と新藤も走り出す。人形は広い屋敷の中を走り回り、追いつくことは難しかった。如月は早くも息を切らして足を止め、新藤と人形の持久戦になると思われたが、それは急に終焉に至る。人形が、ある部屋の中へと逃げ込んだのだ。
そこは、高月のコレクション部屋だった。
恐らく、人形はここから出てきたのだろう。鍵を開けたのは高月か。それとも、人形が内側から開けたのか。そんなことを考えつつ、慎重に中を覗いてみると、人形は他の人形たちに紛れるようにして、倒れていた。新藤は恐る恐る近付き、触れてみたが、先程のような意思は全く感じられなかった。
「君が倒したのか?」
息を切らしながら、問いかけたのは、やっと追いついた如月だ。
「いえ、ここに飛び込んだと思ったら、もうこの状態でした」
「わざわざこの部屋に戻った…ということは、人形をコントロールしていた異能力者が、今も隠れているのかもしれない」
如月が灯りを付けて、二人で確認したが、人形以外に人影らしいものはなかった。
「異能力者は、かなり遠くから人形をコントロールしているのでしょうか。それとも、僕たちが想像している異能力とは違う種類のもの、と考えるべきなのでしょうか」
新藤の問いかけに返答せず、如月は並んで飾られている人形たちを眺めていた。
「如月さん?」
「この人形たち、何かが変だ。何だと思う?」
如月に並んで、新藤の人形たちを眺める。何が変なのだろう。不気味な人形なのだから、もともと変だったのではないか、と考える新藤だが、確かに何か違和感があった。
「最初に見たときと、何かが違う」と如月が呟く。
この部屋に訪れたとき、人形たちはどのような状態だっただろうか。まるで、夫婦のように男女二対ずつ、どこかの民族衣装のようなものを着せられいた人形たち。そうだ、全部で十体だったはずが…。
「新藤くん、一体足りないぞ!」
一瞬遅れて気付くことになったが、新藤は如月がドアの方へ振り返る頃には、既に部屋を出ていた。




