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あのとき、彼女に好きだと伝えていたら。
何年も経った今でも、そんなことを考えて、後悔し続けている。だからと言って、今の人生が不幸なのか、と問われたら、僕は否定するだろう。だって、幸せな日々を送っているつもりだから。
それでも、ふとした瞬間に考えてしまうことがある。あのときの僕に、もう少し勇気があれば、今でも僕の隣に彼女がいたのかもしれない、と。
その頃の僕はまだ大学生で、夢があった。役者になりたい、という夢だ。そして、その夢について彼女の前で語ることもあった。だが、それを聞く度に彼女はこんなことを言ってからかった。
「君みたいな冴えない男子は、もっと堅実に生きるべきだよ」
悪戯に笑う彼女。その度に僕は、不機嫌になったり自慢話をしたり、彼女の言葉を否定しようとした。
でも、本当は彼女に認めて欲しかっただけ。周りから美人ともてはやされ、性格も良いと評判の彼女に、見合うだけのスペックが自分にはある、とアピールしたかったのだ。
そんな浅はかな考えを知ってか知らぬか、むきになって饒舌になる僕を見て、彼女はいつも笑っていた。
そして、彼女は僕の夢を応援してくれていた。役者募集の情報を見付けては、せっせと足を運び、打ちのめされて帰ってくる僕に、彼女は真っ先に声をかけてくれる。
「君が追う夢は、簡単に叶うものじゃないって、自分でも分かっているでしょ? だからこそ本気になれる。自分でもそう言ってたじゃん。根気強く、一歩一歩前に進めば、きっと何かが待っているよ」
有り難いと思う一方、妙なプレッシャーを感じてわずわらしいと思うこともあった。
お前、本当はあの人とそういう関係なんだろ?
僕たちの関係を見て、こんな感じで茶化す人間もいたが、その度に僕は否定した。僕たちはそういう関係になるべきではない、と思っていたから。それに、あのときの距離感が僕にとっては一番楽で、安心できるものだったのだ。
そんな関係性が壊れてしまったのは、僕が初めてオーディションで最終選考まで残ったときのことだ。次の日に備え、台本を何度も読み直していると、彼女から電話があった。
「明日の約束、覚えている?」
もちろん、覚えている。オーディションが終わったら、彼女が一緒に食事をしようと言ってくれていたのだ。
「申し訳ないけれど、一緒に行けない。と言うか……もう、会えない」
どうして、と聞く僕に、彼女は静かに答えた。
「分かるでしょう?」
分からない。何度も言った。
どうして、僕たちが会えなくなるのか、理解できない、と。
「貴方にとって、私はどういう存在なの?」
これが、僕の運命を決定付ける瞬間だったのだろう。きっと、僕は言うべきだった。ずっと前から君が好きだった、と。
それなのに、僕は黙ってしまった。僕は自分たちが抱える多くの問題の、責任を取ることができるのか、と躊躇してしまったのである。
「明日はオーディション、最終選考だったよね。頑張って」
黙っている僕を見かねたのか、彼女は電話を切ってしまった。
次の日、僕はオーディションを投げ出して、街中を走っていた。自分の気持ちを確信したのだ。しかし、電話はつながらず、彼女の家まで走ったが、無駄だった。僕は彼女の家までたどりつことすら、できなかったのだ。
あのとき、彼女は僕の言葉を待っていた。もちろん、僕の勝手な解釈かもしれないし、彼女にはそんは気はまるでなかったかもしれない。
それでも、だからこそなのか、長い年月が経っても、気持ちを伝えなかったことを後悔し続けている。
だけど、今の幸せは誰にも否定されたくない。そう、そのはずだったのに…僕の感情は誰かを傷付けることすら躊躇わないほど、自分勝手なものだった。




