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如月が飯島から事情を聞き出している間、新藤と木戸の決着は、付こうとしていた。
木戸は最初、拳を振り回すように放った。顔面を狙った威力の大きい一撃。ただ、無駄も多い。新藤は必要最低限の動きで、それを躱すと、反撃の拳をコンパクトに放った。正確に顎を狙った攻撃を、木戸の目が捉えることはなかっただろう。
その証拠に、彼は崩れるように膝を付いた。恐らく視界は歪み、立ち上がることも難しいくらい、平衡感覚が狂っているはずだ。新藤は、そんな彼の頭をサッカーボールのように蹴り飛ばすこともできた。だが、既に決着は付いた、と判断して、唸り声を上げる木戸を見下ろす。
「木戸くん、君は自分が変わったと思っているかもしれないけど、何一つ変わってなんかいないよ。あのときと同じだ。何も考えず、ただ暴れて、誰かを傷付けて、人に疎まれ、笑われ、侮蔑され、何も遂げられない、無力な人間だ。何も成長してはいない。頭も、体力も、強さも、何も変わっていないんだよ」
新藤の冷たい視線を感じ取ったのか、木戸は顔を上げて、抵抗するように睨み付ける。十年前、一撃で倒したはずの男に、一撃で倒される。信じられない、という気持ちが大きいだろうか。ただ、悔しいと思う余裕だってないだろう。こんな力だけの男が、何かできるわけがない。木戸にそれを思い知らせた、と新藤は確信していた。
だが、それは新藤の驕りだった。木戸はゆっくりではあるが、確かな力に満ちた様子で立ち上がったのである。そして、拳を構えて戦う姿勢を見せた。
そんな木戸を見て、一瞬だけ驚きの表情を見せる新藤だったが、すぐに冷ややかな目に戻る。木戸が一歩踏み込むと同時に、新藤は高速の拳を放った。鼻を砕くような一撃に、木戸は後ろによろめく。新藤はすかさず距離を詰め、追撃に出るかと思われたが、木戸が力任せに振り回した拳によって阻まれる。
ただ、新藤は軽く身を反らしてそれを躱して、木戸の横腹に拳を叩き込んだ。顔面を守っていた木戸は、不意を打たれて、動きを止める。常人なら蹲って降参するところだが、木戸は違う。驚異的な頑丈ぶりと精神力で、一歩前に出たのだった。
木戸は新藤の胸倉を掴もうとしたのか、手を伸ばした。新藤の拳は速い。殴り合いでは勝てないが、組み付いて投げ倒してしまえば勝てる、と考えたのかもしれない。
だが、新藤はそれを許さない。木戸の腕を片手で払うと、逆の手で握った拳を突き出した。それは再び木戸の顔面を捉え、血が飛び散る。
それでも、木戸は倒れるどころか、新藤を捕らえようと前に出た。だが、新藤は木戸に一撃を入れると、すぐに距離を取って、彼の間合いから消えている。木戸が追って、新藤が確実に反撃を入れつつ逃げる。そんな展開が何度か続いた。
木戸の顔は血に染まり、変形していた。
それにも関わらず、木戸は一歩前に出る。まるで、不死身のモンスターだ。だが、新藤は冷静そのもの。あくまで容赦なく、前に出ようすると木戸の顔面を叩く。ときには、突き刺すような拳を木戸の腹部にめり込ませた。
立っていることが異常。木戸はそういう状態だった。見守っていた優花梨も、目を覆うほどだ。それでも、彼が一歩前に出る理由は、プライドなのか。それとも、執念。誓いがあるのかもしれない。
それが、新藤を捕らえる力となったのかもしれない。木戸は野獣のような咆哮を上げ、今までにない速い動きで、新藤の胸倉を確かに掴んだ。体格で遥かに上回る木戸。押し倒して、圧し掛かり、拳を振り落とせば、逆転の可能性はある。
しかし、次の瞬間、木戸は重力を失っていた。体が一瞬だけ浮いたかと思うと、地面に叩き付けられていた。柔道で言う大外刈を新藤が決めたのだった。
堅い地面に叩き付けられた木戸は、今度こそ動くことはなかった。
木戸が気を失っていることを確認し、新藤はゆっくりと離れた。新藤はゆっくりと呼吸をして、自分の中の熱を冷ます。顔を上げて、優花梨を見ると、彼女は白い顔をさらに白くしていた。
「嘘、ヒロが…」
目の前で起こったことが、信じられないらしい。それもそうだ。優花梨はきっと、何度も木戸の圧倒的な暴力を見てきたはずだ。そんな男が一分や二分足らずで、倒されるは思ってもいなかっただろう。しかも、その相手が十年前は弱々しい、線の細い男だったのだから。
新藤は…十年と言う月日、単純な努力で強くなったわけではない。彼も異能力に目覚め、これだけの強さを手に入れてしまったのである。その異能力は、かつて如月を追い詰めるほど、恐ろしい能力だ。
驚きの感情が通り過ぎたのか、優花梨は涙を流し、狼狽え始めた。相変わらず、泣き虫だな、と新藤は思う。だが、彼女は自分が取るべき行動まで忘れていないようだった。彼女は真っ直ぐ、倒れた木戸の方へと、駆け寄ったのである。そして、彼の前に跪いて、こう言ったのだった。
「ヒロ、ごめんね…こんなことになるまで、付き合わせて」
「優花梨さん…」
新藤は彼女の後ろに立つ。拳が痛かった。分かっていたことではないか、と心の中で自虐的に笑う新藤に、優花梨は言う。
「新藤くんも、ごめんね。私のせいで、ここまで来て、こんなことさせちゃったんだよね」
「……僕は百地さんに依頼されたんだ。彼女を守るためには、木戸くんは止めなくてはならなかった」
「うん、そうだよね。新藤くんの方が、正しいって…分かるよ」
新藤は彼女に何を言うべきか、分からなかった。お前は異邦人なのだから、この世界から去らなくてはならない。そんなことは言えない。
なぜなら、彼女は新藤の知る、百地優花梨だからだ。彼女は誰にでも優しく、いつも正しくあろうとして、身近な人間を裏切ることは…なかった。
だが、ここで彼女を見過ごすわけにはいかない。
彼女は人を傷付ける、異能力者なのだから。




