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ありすが生まれるまで、あっという間だった。

錠本は何も言わず、彼女の出産を支えた。ありすが生まれてからも、それは変わらなかった。


こんな生活が続くのだろうか。

時々そんなことを思ったが、何かが間違っている、と思った。


「りょうちゃんは、ありすのパパ?」


暫くして、ありすが喋るようになり、そんな質問を投げかけられた。どう答えるべきなのか分からなくて、錠本はただ笑った。




錠本が抱える違和感の正体を理解したきっかけは、瀬崎神父の死が訪れたときのことだった。彼は最後まで、ありすが二人の子供だと勘違いしたまま、この世を去ってしまった。


「あの教会は取り壊されることになったみたい。お父さんがいなくなって、代わりになる神父さんもいないみたいだから」


ゆりこは少しだけ名残惜しそうに言った。ゆりこは、あの教会がこの世界から失われることに対して、それほど大きい喪失感はないらしい。


「……教会に帰って、そこで暮らすのはどうかな?」


三人で暮らすのは、どうだろうか。錠本はそう伝えることは、躊躇った。すると、ゆりこは答えるのだった。


「それは駄目だよ。だって、いつかこの街に満樹が帰ってくるかもしれない。そしたら、ちゃんと私とありすが迎えてあげないと。だって、あの人…本当は凄く寂しがり屋なんだから」


ゆりこは愛する人を想い、さらにこんなことを言った。


「そしたら、今度はちゃんと伝えるんだ。あのとき、言えなかったことを。それから、貴方の子だよって…。亮ちゃんは早く話せって言っていたけれど、これも伝えてなかったんだ」


そう言って、笑うゆりこを見て、錠本は理解した。ゆりことありす。そして、自分と三人で、もしかしたら人生を歩めるのかもしれない、という願望が間違っていた、とうことを。


単純なことだ。

ゆりこは満樹の帰る場所を守っている。いつか彼が帰ってくると信じて、帰る場所と娘を守っているのだ。そこに、錠本の居場所はない。自分がいて良いはずがない。


「そうだね。じゃあ、僕はあの町に帰ろうかな」

「え?」

「僕は、瀬崎神父の後を継いで、あの教会を守りたい。あの人には、本当にお世話になったから」


錠本の決意を聞いて、ゆりこは数秒、茫然としていた。しかし、すぐに笑顔を浮かべた。


「そう。ありがとうね、亮ちゃん」


このとき、ゆりきが何を想ったのかは分からない。ただ、錠本が考えたことなど、彼女にはすべて見通されているような気もした。




彼は故郷に帰り、真っ先に教会を訪れた。

取り壊しは既に決定して、錠本が神父を引き継ぐと言っても、それは翻ることがなかった。錠本は入信しているわけでもないし、神学を学んでいるわけでもないのだから、当然のことかもしれない。


錠本はゆりこに借りた鍵を使って、教会の中に入った。彼がここを出てから、まだ数年しかたっていないため、その空気は殆ど当時のものと変わらない。棚の上に置かれた、ゆりこと自分が映った写真もそのままだ。


そうだ。自分がここでゆりこと出会って、人間らしさを手に入れたのだ。そんな場所が地上から失われる。それを認めたくはなかった。自分は何かを失ってしまったかもしれない。だが、この場所まで失っていいわけがないはずだ。


錠本は、教会を出るとき、そのドアのノブを掴んで、願った。

この中には、この中だけには、誰も入れさせない。瀬崎神父は失われた今、ここは自分とゆりこ、それから、その娘である、ありすだけが踏み入れる資格があるはずだ。だから、この扉は決して開くことはないのだ。


錠本の異能力が発動した。それは、実に十五年ぶりのものだった。


教会は不可侵のものとなった。町の人は驚き珍しがったが、すぐに興味を失った。錠本はその間に、神父となる準備を進めることにした。


「亮ちゃん、頑張ってね」

「りょうちゃん、また遊ぼうね!」


学びを終え、本格的に故郷へ帰ることにした錠本を、二人が送り出してくれた。これが今生の別れになるだろうか。もちろん、彼にとって名残惜しいものがあった。でも、ここは自分の居場所ではない。それでも、この二人のために、何かできることが欲しかった。


「何かあれば、すぐに連絡してほしい。何があっても、助けに行くよ」


「本当? ありす、困ったことがあったら、亮ちゃんが助けてくれるって。よかったね」


「うん。ありす、亮ちゃんのこと大好き。絶対に助けに来てね」


無邪気に言う少女に錠本は微笑みかけた。

「もちろんだ。約束だよ」

こうして、錠本はこの母娘と別れた。母親の方とは今生の別れとなった。




それから、錠本は神父としての人生を送った。開かずの教会がある、自らの故郷。そこに住む人々のために生きた。それは、瀬崎神父やゆりこからもらった恩を返す日々のようでもあった。昼は町の人を手伝い、夜はこっそり教会に入って掃除を行い、あの母娘の幸せを祈る。

それは、錠本にとって悪くない生き方だった。神父との約束は果たせなかったが、それでも彼が望んでくれた、人間として生きることを全うしている、と思えた。


穏やかな毎日。その積み重ねによって、十五年以上の年月が過ぎた。町の人々にとって、錠本という存在は信頼できる神父となり、開かずの教会はそこにあって当たり前のものとなっていた。

人生があとどれだけ続くのかは知らない。だが、このまま老いるのであれば、それでも十分だ。あの母娘のことは気掛かりだが、きっと上手くやっているだろう。自分は自分の人生を送るだけだ。




そんな風に日々を送る中、錠本の所へ一人の男が訪ねてきた。

「まさか、お前が神父をやっているなんてな」

農作業をする錠本の背後にかけられた声。


彼は振り返って相手の顔を確認することもなく、それが誰だか悟った。


「そういう君は、何をやっているんだ? もし、人様に言えないような生き方を続けているのなら、懺悔の一つでも聞いてやろうか」


そう言いながら、錠本は腰を伸ばして、振り返った。そこには昔とほとんど変わらない親友の姿があった。


「懺悔は結構だ。だが、一つお願いがあってやってきた」


親友…満樹は言った。


「お前の異能力を、俺に売ってくれないか?」

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