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「亮二、話がある」


瀬崎神父に錠本が呼び出されたのは、彼がゆりこと一緒に教会から引っ越す前日の事だった。


それまで、錠本は瀬崎神父に多くのことを教わった。そんな彼のもとを離れるとき、何を語られるのか、錠本は緊張しながら、部屋を訪れた。


「博史が数年前に都会へ引っ越して、明日は君とゆりこがこの教会を去ると思うと、私も少しばかり寂しい」


瀬崎神父は微笑む。


「いつかこんな日が来ることは覚悟していたが、まさか君とゆりこが同じ大学へ行くなんて思いもしなかった」


錠本も微笑みを返す。錠本とゆりこはいつも一緒だった。同じものを食べて、同じものを見て、同じものを学んだ。そして、錠本にとって彼女は、人間らしさとは何か、ということを教えてくれた恩師でもある。だから、彼はゆりこの進学を知ったとき、同じ道を歩みたいと思ったのは、自分にとって自然なものだった。


瀬崎神父はそんな二人の微笑ましい想い出をいくつか語ったあと、少しばかり表情を変えて言った。


「もしもの話なのだが…ゆりこが大人として完全に自立する前に、私の身に何かあったら、君は彼女の傍にいてくれるか?」


錠本は「もちろんです」と答えた。瀬崎神父は質問を重ねる。


「できることなら、彼女が老いて命を失うその日まで、もしくは君自身がそうなるまで、共に人生を歩んで欲しいと願っている。きっと、ゆりこも同じ気持ちだ。だから、これからもよろしく頼む」


瀬崎神父がそんな未来のことを考えていると思わなかったし、ゆりこの気持ちについて触れるとも思っていなかった。錠本は非常に戸惑う。そんな未来のことを、彼自身も考えたこともなかったが、瀬崎神父から気持ちを託されたとき、自分もそんな日々が続くことを望んでいるような気がした。




都会に引っ越してから、錠本とゆりこは同じアパートの別部屋に住んだ。

新しい環境の中、それぞれの生活、それぞれの交友関係が築き上げられたが、二人は夕食を共にすることは殆ど毎日欠かすことはなかった。


「二人って夫婦みたいだよね」


ゆりこの友人たちは、よくそんなことを言って、二人をからかった。


「そんなことないんだから」


照れ臭そうに笑うゆりこの胸元でロザリオが揺れる。錠本もそれを否定することはなかった。

そういう日がいつかやってくる。彼はそんな想いを秘め、アルバイトでもらった給料を地道に貯めたり、社会勉強を重ねたり、彼女を幸福にする準備を続けた。


順調に人として、幸福の階段を上がる錠本だったが、暗い影は着実に忍び寄っていた。




都会へ引っ越してから、三年目に入った時のこと。アルバイトを終えて、夜道を一人歩いていると、錠本は自身に近付く嫌な気配を感じた


。これは悪意があるものだと、錠本は身構え、それが明確な暴力として姿を現す瞬間を待った。


その気配は、背後から錠本に覆い被さろうと、接近してきた。恐らくは首を絞めようと狙っている。襲撃の瞬間、錠本は身を屈めてそれをやり過ごすと、背後に向かって肘を突き出す。手応えはない。物取りにしては素早いようだ。


錠本は振り返りつつ、相手との距離を把握し、右の回し蹴りを放った。この素早い攻撃を捌ける人間は、そうそういないだろう。


しかし、相手は必要最低限のバックステップでそれを躱してみせた。錠本は警戒心を一気に高め、戦闘態勢に入る。何者かは知らないが、次こそ一撃を入れて動きを止めてみせる、と。


「待った」


錠本が一歩前に出ようとした瞬間、相手は手の平をこちらに向けて制止した。


「俺だよ、亮二」


名前を呼ばれ、錠本は動きを止めて、相手の顔を窺う。すると、そのタイミングを察していたかのように、月明かりが二人に降り注いだ。目の前に現れた男の顔は、


忘れもしない、満樹だった。


「生きていたのか…」


面を喰らう錠本の表情を見て、満樹は微笑んだ。


「当たり前だ。お前はかなり人間の生活に溶け込んでるみたいだな」

「人間だから、当然だ」


そう言い返しながらも、錠本は親友の無事を素直に喜んだ。この十年、彼がどうしていたのか、今は何をしているのか、いくつか質問を投げかけてみたが、満樹はどこか苦々しい表情で、曖昧な笑顔を見せるだけだった。


「じゃあ、なぜ今になって僕の前に姿を現したんだ?」


満樹は、その言葉を待っていたらしかった。


「実は、金儲けの話を持ってきた。お前が一生かけても手に入らないような大金だ」


嫌な予感がした。満樹が説明した金儲けの話は、錠本の予感が間違っていなかった、と証明する。また、その話は今まで彼がどんな人生を送ってきたのか、その片鱗を想像させるものでもあった。


「そんな危険なことをやるのか…?」


錠本の問いかけの意味を理解していないのか、満樹は得意気に答える。


「確かに、危険な話だ。でも、俺とお前なら絶対に成功する。あれから十年経ったが、お前も鍛錬を欠かした日はなかったんだろう?さっきの回し蹴りを見て確信した。お前も埋め込まれた技術を忘れてはいない、って。だったら、この程度の危険は、ありきたりな仕事って程度のものさ」


「……断るよ」


錠本の拒絶に、満樹から表情が消えた。数秒の沈黙が流れ、そこには殺気に近い何かが漂っていた。だが、満樹は微笑みを取り戻すと、錠本に言った。


「分かった。なら、仕方ない」


踵を返し、その場を去ろうとする満樹を、錠本は呼び止める。


「そんな仕事はやめるんだ。お前も、まともに生きろ」


満樹はその言葉に振り返ると、鼻で笑った。


「無理に決まっているだろう。俺たちは、そういう道を進むために生み出されたんだ。お前だって、今は人間らしい生活を送っているかもしれないが、すぐに道を外して自覚するよ。俺たちみたいな人間は、誰かの幸せを奪わないと生きて行けない、って」


「そんなことはない。僕は今、普通の人間として生きているつもりだ」


「嘘を吐くなよ、亮二。だったら、なぜ鍛錬を続けるんだ? いつか誰かの何かを壊すためだろう」


錠本が答えに窮している間、満樹は歩き出してしまう。そんなタイミングも知っていたかのように、雲が月明かりを遮り、満樹を闇の中へ隠してしまうのだった。




満樹は十年前と変わらず、まだ血なまぐさい世界で生きているらしかった。再会できないと思われた親友が目の前に現れたことは嬉しかったが、きっと二度と会うことはないだろう、と錠本は確信した。


なぜなら、もう自分と彼とでは住む世界が違う。自分はこっちの世界で、人として生きる。満樹はあちらの世界を選んだ。それは交わることのない二つの世界だ。


しかし、錠本の過去はなかったことにできるものではない。数日後、満樹が再び彼の前に現れるのだった。


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