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満樹が姿を消してから、錠本は人間らしい生活を身に付けて行った。それは、もちろん瀬崎神父によるものだったが、ゆりこの存在も大きかった。彼女は、錠本に多くのことを教えてくれた。それは主に感情に関するものだった。


「簡単なことだよ。自分が嫌だと思うことは、他人に言っちゃダメ。自分が言ってほしいことは、他人に言ってあげる。それだけのことだ、ってお母さんが言ってた」


人の感情について、錠本に説明したあと、ゆりこは必ずそんな言葉で締めくくった。


「でも、簡単なことだけれど、誰でもできるわけじゃないんだって。私もたまに、嫌なことされたら、誰かに同じことしちゃうこと、あるんだ」


そう言って、ゆりこは照れ臭そうに笑った。




錠本は、学校に通うようになった。

そこで少しずつ他人がどういうものか理解して、ゆりこが言っていたことも理解し始めた。すると、ゆりこが特別な人間であることに気付くのだった。


人は案外、簡単に他人を傷付けるものだ。錠本のように、誰かの命を奪う訓練をしていたわけでもないのに、誰かを傷付けようとする人間がいる。


しかも、無自覚に。そんな人間が多い中、ゆりこは他人を傷付けないよう、細心の注意を払って、善行を心がける。


「私はお母さんの真似をしているだけ。でも、良いことを真似するって、簡単なことじゃないんだって。だからこそ、真似できるよう頑張らないとダメなんだって、私は思うの」


良いことを真似る。それは簡単なことではない。それは錠本の心に強く刻まれ、神父やゆりこの行いを目に焼き付けては、真似をするようになった。




ある日、学校から帰る道。

錠本とゆりこが一緒に歩いていると、一匹の野犬と出会った。錠本は一目でそれが危険だと判断したが、ゆりこは違う。


「寂しそう。きっと家族とはぐれてしまったんだ」

そう言って、野犬に近付こうとした。

「危ないよ」


制止する錠本に、ゆりこは眉を寄せた。


「でも、寂しいときは抱きしめて欲しいでしょう?」


ゆりこの言葉に、錠本は握った彼女の手を離してしまった。だが、近付いてきたゆりこに、犬は強い警戒心を見せる。その目は、錠本に満樹を連想させるのだった。


それと同時に、野犬はゆりこに飛びかかった。錠本は咄嗟にゆりこを庇ったが、野犬の牙が彼の腕を深く抉る。錠本は反射的に野犬へ反撃し、怪我をさせない程度に追っ払うことに成功した。


しかし、錠本の怪我は酷く、血が流れて止まらず、ゆりこは泣きじゃくった。


「ごめんなさい。私のせいで、亮ちゃんが怪我しちゃった」

「大丈夫だよ」


錠本は、いなくなってしまった親友のことを想いながら、彼女に説明する。


「でも、この世界には善意を受け取ることが苦手な人たちだっていると思う。さっきみたいに、優しさのつもりで手を伸ばしても、逆に噛みつかれることはあるんだよ。その辺り、ゆりは気を付けないといけないと思う」


「ごめんなさい。ごめんなさい」


ゆりこは聞いているのか、聞こえていないのか、何度も謝った。


「あのね、お父さんには絶対やっちゃ駄目って言われているけれど、亮ちゃんには大切な人だから」


ゆりこが錠本の傷へ手を伸ばすと、彼女の手と傷口の間で、薄い緑の光が発生したように見えた。すると、錠本の傷口が見る見るうちに塞がって行く。


ゆりこは特別な人間だ。錠本は、自分も異能力を持っていることすら忘れ、そんな風に思った。ただ、彼女の特別性が遺伝によるものだということは、知ることはなかった。




高校生活も終わりが近付いた頃。二人は都会の大学へ進学が決まっていたので、引っ越すことになっていた。そんなある日、錠本はゆりこに聞かれた。


「亮ちゃんは、引っ越し先に持っていきたいと思っているものって、ある?」


錠本には、そんなものはなかった。そう答えると、彼女は少し困ったような顔を見せてから、あるものを見せてきた。


「これ、お母さんにもらったものなの。今まで、ずっと大事にしまっておいたけれど、これからは身に着けようかなって」


それは首飾りにもなりそうな、小さなロザリオだった。


「一番大事な人に幸福でいてほしい、って祈りが込められているんだって。お母さんがね、死んじゃう前に、私の幸福を祈ってくれたらしいの」


ゆりこはロザリオを首に下げて「似合う?」と聞いたので、錠本は頷いた。


「いつか私も、大事な人のために祈って、その人にこのロザリオを渡すのかな」


夢見る少女のように顔を赤らめるゆりこに、錠本はどう答えるべきか分からず、ただ「どうだろうね」と言うのだった。


だが、錠本は密かに考えた。

きっと、ゆりこにも子供が生まれるだろう。そしたら、彼女はロザリオに祈りを込めて、その子に渡すはず。


そのとき、自分の祈りも込められないだろうか。ゆりこの子供が幸福であるよう、自分も祈る日がくるかもしれない、と。


そんな未来は少しずつ、二人に近付いているように思われた。少なくとも、錠本はそう感じていた。


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