18
如月はすぐ飯島に追いついた。彼は慌てているらしく、車の前で懐から取り出した鍵を落として、しゃがみ込んでいた。地面に落ちた鍵を拾おうとして、屈んだ飯島の尻を如月は思い切り蹴り上げてやった。飯島は言葉にならない声を上げて、カエルのように跳ね上がった。
「な、何をするんだー!」
振り返ったところを、如月は容赦なく殴りつける。飯島は情けなく、尻餅をついて、また妙な声を上げた。飯島は如月を見てどう思ったのか、悲鳴を上げるように言った。
「お、お前たち…何者だ!」
しかし、如月は黙って、飯島の胸倉を掴んで、引っ張るように立たせると、思いっきり車に叩き付けた。飯島は「げぇ!」と声を上げて、ずるりと崩れる。
「飯島さん、妻と息子はどこに行った?」
「し、知らないと言っただろう」
どうやら、木戸たちの仲間と思われているらしい。
「だったら、さっきの大男にもう一度聞いてもらうしかないな。あいつは、しつこいぞ」
「わ、私は暴力に屈しないぞ!」
実際に、本当の暴力を知れば、すぐに屈することは、一目で分かった。しかし、そうするわけにもいない。もう一押し、恐怖を味合わせてやる必要がありそうだ。如月は悪魔のような笑みを見せてから言う。
「そうか。でも、暴力で済むと良いな。言っておくが、あの男は、男でも女でも、どっちでも良いタイプだ。あいつからしてみると、あんたが喋るかどうかは、それほど重要ではないかもな」
「ひ、ひぃっ!」
「あのとき話しておけば良かった、って後悔するころには、あんたはもうボロ雑巾みたいなっているよ。嫌だろ、そんなの?」
「わ、分かった…話すよ!」
飯島は恐怖が限界まで達したのか、目には涙を浮かべている。簡単だ、と如月は心の中だけで呟いた。
「私たちはそこの別荘で休んでいたんだ。外で物音がしたから、私は何か異常がないか様子を見に行ったんだ。ガラスが割れていたが、誰もいなかった。それでも嫌な予感がして、妻と息子のもとに戻ったら、誰もいなかった。で、電話もなぜか持ち去られていたから、警察にも通報できなかった。どうしようかと迷っていたら、急にお前たちが現れたんだ。だから、妻がどこにいるのか、本当に知らない」
どうやら、筋書きはしっかり準備していたようだが、本当のところは、飯島と殺し屋の男が、何らかの手を打って、彼女たちを移動させたのだろう。
だとしたら、百地はかなり危険な状況にある。ただ、殺し屋は飯島のアリバイをつくるためにも、すぐに百地と陸を殺すことはないはず。すぐに追えば、間に合うはずだ。
しかし、それよりも厄介なのは、成瀬の姿が見えないことだ。成瀬自身は如月からしてみれば、恐れるような相手ではない。
恐ろしいのは、その相棒である奏音だ。
彼女の異能力は、異能力者を察知する能力で、その位置を高性能なGPSのように探し出すことができる。発動の条件があるのかどうか、制限があるのかは知らないが、きっと百地がどこにいるのか、把握しているのだろう。
だから、成瀬はここに姿を現さず、既に百地の方へと向かっていると考えるべきだ。
如月は這うようにして逃げ出す飯島を見て、もう一度蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、その姿があまりに惨めで呆れてしまった。飯島は車のエンジンをかけようとして、何度も失敗していたが、やっと成功したのか、走り去って行った。
すると、タイミングを見計らったかのように、成瀬から電話があった。
「もしもし?」
と如月は声のトーンを上げて返事をする。
「あ、葵さん? どうやら、こっちに着いたみたいだね」
「あら、成瀬さん。何のことかしら?」
「あははは。葵さんだって、奏音の優秀さは知っているだろう。貴方の位置だって、筒抜けさ。それにしても、やっぱり葵さんたちも飯島優花梨の件に絡んでいたんだね。依頼人は夫かい? それとも、飯島優花梨…本人かな? 新藤くんが子供から無料で依頼を引き受けた、ってこともありそうだ」
確かにそれはありそうだ、と如月は心の中で呟く。
「そんなことよりも、成瀬さんは、今どちら?」
「いやいや、そんなことよりも、約束は覚えていますよね?」
流石の如月も声を詰まらせる。成瀬が勝ちを確信しているほど、圧倒的な不利な状況らしい。
「覚えているみたいですね。葵さんは約束を破るような人ではないと思っているけど、念のため確認しておこうと思ってね」
「勝ちを確信するには早いと思いますけれど」
「確かに、油断はできない。毎回、あと少しというところで、葵さんには一本取られるからなぁ。おまけに、新藤くんもなかなか面倒なタイミングで入ってくるし」
「今回もそうなる猶予はありそうですか?」
「ないよ。じゃあ、終わったら、また電話しますね」
電話が切れてしまった。
成瀬は勝ちを確信しているようだが、まだこちらに勝機がないわけではない。
こちらも百地を探し出す方法が一つある。優花梨だ。
優花梨は百地の異能の結果だ。奏音ほどではないにしても、きっと百地を感知できるだろう。実際に、優花梨は飯島の別荘の存在を知らなかったはずだが、木戸と共にこの場所までやってこれたのは、その力を裏付けているはずだ。
後はどうやって優花梨に百地を探させるか、だ。如月はそんなことを思案しながら、速足で新藤たちがいるだろう、別荘の裏へと回った。
「そろそろ終わったかい?」
如月の声は虚しく響き、誰の鼓膜も震わせることがなかった。新藤たちがいたはずのその場所には、誰もいなかったのである。