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如月は先日請け負った事件を一人で追っていた。
女子大生の失踪。失踪者の名前は瀬崎ありす。数日の間、連絡も取れず、自宅も不在のため、彼女が所属するボランティアサークルのメンバーが心配して、探してほしいと依頼があった。
如月が瀬崎ありすの身辺を調査したところ、彼女の家族は母親のみということが分かった。ただ、その母親は、つい最近、亡くなってしまったらしく、彼女は孤独の身であった。
それでは、父親は何者か…と彼女の母親の古い友人や知人をたどった。それで出たきた名前は、錠本亮二という人物だった。以下は瀬崎ありすの母親が大学生だったころの友人による証言だ。
「彼女が妊娠したと聞いたときは驚きました。相手は、錠本くんだと思います。あの頃、二人はいつも一緒にいたから。子育ても錠本くんは積極的に協力していたように見えました。二人とも、いつも幸せそうに笑っていて、誰が見てもお似合いでした。大学を卒業しても、それは続いているみたいだったから、どうして結婚しなかったのか…それは、私にも分かりません。聞いても彼女は、ただ笑顔を返すばかりで、教えてはくれませんでしたから」
しかし、いつの間にか錠本亮二は、瀬崎ありすの母親の周辺から姿を消していたらしい。
「喧嘩したとか、そういうことではないそうです。錠本くんには、錠本くんの人生があるから、と彼女は言っていました。たぶんですが、実家の仕事を継ぐとか何とか…そんな感じだと思います。はっきりとしたことは聞けませんでした」
また、瀬崎ありすの母親は、誰の支援も受けることなく暮らしていたかと言えば、そうではないようだ。
「彼女のお兄さんが色々と支援していたみたいです。確か名前は…瀬崎博史さんだったと思います。自営業でそれなりに裕福だったらしく、一時は一緒に住んでいたとか。ありすちゃんもお兄さんに懐いていたと聞いています。ただ、それも十年くらい前の話なので…ここ数年については、私も詳しいことは分かりません」
だとすれば、と如月は考えた。瀬崎ありすにとって、父親とも言える伯父、瀬崎博史が何かを知っているのかもしれない。次はその辺りを調べることにした。
瀬崎博史の現住所はすぐに把握できた。都会の喧騒から少し離れた場所にある、大規模な住宅団地の一室が、瀬崎博史の住まう場所だった。かなり築年数を重ねているだろう、暗い団地を見る限り、母親の友人が話した「それなりに裕福だった」という暮らしは、過去のことらしい。
二階にある、瀬崎博史の部屋。如月はインターフォンを押した。数秒待つと、痩せ細った中年の男が顔を出す。頭部は白髪が混じり、服装もくたびれた印象がある。
「どなた?」
瀬崎博史らしき男は怪訝そうな顔で如月に尋ねた。
「瀬崎ありすさんの伯父様、瀬崎博史さん…でよろしいでしょうか?」
如月は悪い印象を与えないよう、笑顔で確認すると、瀬崎博史は明らかな動揺を見せた。
「そうだけど…ここ数年、あの子と会っていない。何も知らないよ」
「瀬崎ありすさんのことで、お聞きしたいことがあるのですが」
「だから、何も知らないって」
親族であれば「何かあったのか」と心配するような状況だが、それどころか最初から関係を否定するような言動だった。
それでも、如月は質問を重ねた。
「彼女が今、どこで何をしているか、知っていますか? もしくは、彼女にとって親族と同じくらい親しい人間がいるかどうか」
「しつこいよ」
瀬崎博史はドアを閉ざしてしまった。それは強い拒絶を示すかのようだった。
如月は瀬崎博史が何か知っている、と踏んで、彼の行動を監視することにした。すると、三十分もしないうちに、瀬崎博史は部屋から出てきた。周囲を警戒するように、左右を確認してから、団地の裏へ。駐車場に向かうようだ。
如月の読み通り、瀬崎博史は車に乗り込むと、どこかへと移動を開始した。如月も車に乗り込み、それを追跡する。
十分も移動が続くと、周りの風景は賑やかなものとなり、商業施設やオフィスが増えた。瀬崎博史は、ある商業施設の駐車場に車を停め、徒歩で移動を開始する。如月も十分に距離を取りながら、徒歩で追跡を継続した。途中、久しぶりに探偵らしいことをしている、と思わず口元が緩むのだった。
瀬崎博史が商業施設の上階にある、レストランフロアのカフェに入った。誰かと待ち合わせかもしれない、という如月の予想は当たっていた。五分も経つと、その男が現れた。
黒いコートに身を包み、横顔を覆うほどの長い髪にはウェーブがかかり、髭もやや伸びている。服の上からでも、胸板の厚みが分かるところを見ると、かなり鍛えられた体だ。歳は三十後半に見えるが、それは若く見えるだけかもしれない。ただ、如月の目から見ても、常人ではない何者かのようだった。
その男はカフェに入ると、瀬崎博史の横に腰を下ろす。何らは会話を始めたようなので、如月もカフェに入るべきかと考えたが、瀬崎博史に顔を知られている以上、それはあまりに危険だ。
「こういうときこそ、探偵七つ道具の出番かな」
如月は呟きながら、懐から手の平に何とか収まる程度の球体を取り出した。それは、真ん中を境に上下で色が違うため、おもちゃのカプセルのようにも見えるが、簡易異能発生装置という、とんでもない代物だ。如月はそれを握り締めると、一定の時間だけカプセルの中に納められた異能力を使用できるのである。
如月が使用した異能力は、聴力を飛躍的に向上させるものであり、今のシチュエーションにぴったりと言えた。如月は聴力を、瀬崎博史と謎の男にフォーカスした。
「いや、違う。誤解なんだ」と瀬崎博史の声が聞こえた。
「既に言ったと思うが、俺は騙されることは、大嫌いなんだ。誤解だと言い張るなら、ちゃんと説明してくれ」と謎の男。
「確かに、あんたに教えた住所に、あの娘は暮らしていた。でも、あんたらが実行する前に、男が訪ねて来て脅迫めいたことを言ってきたんだ。あの娘に手を出すな、と」
「関係ないだろう。お前は異能力を持つ女を差し出す、と約束した。誰かに邪魔されたのだとしても、約束は守らなければならない。違うか?」
「分かっている。分かっているよ。でも、私にはその男を捕らえることはできない。危険な男なんだ」
「……相手に心当たりがあるって?」
僅かな沈黙。恐らく、瀬崎博史が頷いたのだろう。
「さらに言えば、その男も異能力者だと思う。こいつの情報も引き渡すってことで、今回のミスは帳消しにしてもらえないか?」
謎の男は迷ったのか、少しだけ黙った。いや、恐らくは笑ったのだろう。如月にはそう感じられた。
「良いだろう。ただ、もう一度言う。俺は騙されることは嫌いだ。まだ人生を続けたいと思っているのなら、正確な情報だけを寄こすんだ」
「分かっている。分かっているとも」
「じゃあ、まずはそいつの名前を」
またも瀬崎博史が頷く気配があった。そして、彼はその名を口にした。
「名前は、錠本亮二。あの娘の父親だ」
「錠本亮二…?」
謎の男は、何かを吟味するように、その名を何度も呟くと、瀬崎博史に聞いた。
「もしかして、山の上の神父か?」
「……知っているのか?」
驚きと焦りを交えながら聞き返す瀬崎博史に、謎の男は言った。
「知っているとも。俺はこの世の誰よりも、その男のことを知っている」




