1
「三郎と妃花がいなくなったの」
無表情な少女の言葉に、新藤はどう反応すべきか迷った。歳は十四か十五だろうか。
もしかしたら、もっと若いかもしれない。
「えーっと、その三郎くんと妃花ちゃんは、お友達かな?」
その質問に少女は答えず、ただ真っ直ぐな視線を新藤に向けるのだった。
ここは、発展の象徴と言えるようなオフィス街の中、間違って紛れてしまったような薄汚い建築物である等々力ビル。その三階、如月探偵事務所は明らかに利用者の少ない探偵事務所だが、先程スタッフの新藤晴人が出勤すると、入り口の前にこの少女が座っていたのである。
「じゃあ、三郎くんと姫花ちゃんは、いつから行方が分からなくなったの?」
「昨日の夜」
新藤の質問に少女は端的に答える。昨日の夜か、と新藤は考える。行方不明と決めつけるには、まだ早いようにも思えた。
「急に連絡が取れなくなったとか?」
「二人とも、一緒だったの。だけど、急にいなくなった」
「急に?」
少女は頷く。一緒に遊んでいたら、神隠しにあった、ということだろうか。いや、そもそも彼女らは夜の間、一緒に遊んでいたということになる。それは、何かしらの危険に巻き込まれることもあるだろう。
「お父さんとお母さんには話した? 三郎くんと妃花ちゃんのお父さんやお母さんに、連絡したのかな?」
新藤は質問しつつ、少女の靴を確認した。泥と思われる汚れが目立つ。
「私、お父さんもお母さんも、いないから」
ますます訳ありらしい。少女は続ける。
「三郎と妃花の両親のことは知らない」
「警察には連絡したかい?」
少女は首を横に振る。
「警察は駄目」
「じゃあ、どうしてここに?」
「何かあったら、新藤に頼ろうって、ずっと思っていたから」
まるで、少女は昔から新藤のことを知っているかのような発言だった。
「とにかく」
少女は説明が面倒だ、と言わんばかりに区切った。
「一緒に来て。三郎に何かあったら大変」
そう言って、少女は新藤の服の裾をつまみ、引っ張った。
三郎に何かあったら、という言葉から、妃花の方は心配していないのだろうか、とまだ顔も知らない二人を含めた、彼女らの関係性を勝手に想像した。
「ちょ、ちょっと待って。もう少し詳しい話を聞いてから」
「何かあってからでは遅い。新藤なら助けてくれるでしょ?」
なぜ、これほど信頼されているのか、新藤は心当たりがなかったが、それに応えたいと言う気持ちはあり、彼女を助けるために自分の上司をどうやって説得すべきか考え始めていた。ただ、珍しく片付けるべき仕事があるし、事務所の掃除だってやらなければならない。どうしたものか、と葛藤しているところに、階段を昇る音が聞こえてきた。
「あれ、新藤くん…何しているの?」
階段を上がってきたのは、如月探偵事務所の所長である、如月葵だ。今日も彼女の特徴と言える、赤い髪は艶やかだ。ただ、その髪は彼女を攻撃的な人物であるような印象を抱かせる。
「まさか、そんな少女を…?」と如月は目を細めた。
「そんなわけないでしょう。依頼人です、たぶん」
「そう、依頼人」と少女が答えた。
そして、強い意志を示すような目で新藤を見た。
「お金なら、たくさん出す。だから、三郎を一緒に探して。あと妃花も」
事務所の中で詳しい話を聞いたが、少女の説明は拙く、十分に事情を理解することは難しかった。山の中に三人で入った。途中で三郎と妃花が消えた。だから、一人で山を下りてここまでやってきた。理解できたことは、それだけだ。
離れた場所で話を聞いている如月は、興味を持てないのか、モニターに目を向けたまま、キーボードを叩いているだけだ。
「山に戻って、一緒に三郎と妃花を探してほしい。私一人では、無理だから」
「山って、どこにあるのかな?」
「分からない。でも、道は覚えているから、案内はできる」
「三郎くんと妃花ちゃんの特徴は?」
「三郎は三郎。妃花は妃花」
「山で何をしていたの?」
「たぶん、探し物。私は、三郎と妃花に付いて行っただけだから」
そんな調子で、どんなに話を聞いても、事態の全容はつかめなかった。新藤はすがるように如月の方を見るが、彼女は顔をしかめる。
「新藤くん、分かっていると思うけれど、先日受けた依頼がある。こっちも失踪事件だ。まさか、私一人にやらせるわけじゃないだろうな」
新藤は眉を八の字に曲げ、どうすべきか頭を抱えたい気分になった。すると、少女が声を潜めて進言してきた。
「お金は通常の三倍出す。そう言えば、葵も納得すると思う」
確かに、貧乏事務所の経営者である如月からすれば、美味しい話だ。
「如月さん、依頼料は三倍払うそうです」
新藤の言葉に、今度は如月が顔を曇らせた。
「……分かった。その代り、三倍の料金を支払うよう、その子に確約させるんだぞ」
「良いんですか?」
如月が消極的な許可を意味するように、ゆっくり頷いた。
それを見て、新藤は思わず笑顔を見せる。
どんな事情かいまいち分からないことばかりだが、女の子が友人のために靴を泥だらけにしてまで助けを求めてきたのだ。何としてでも、助けなくてはならない。
「それに、どうせ私が反対しても手を貸すんだろう、君は」と如月の呟き。
新藤は苦笑いを浮かべてから、少女の方に視線を移した。
「良かった。何とか君の助けになれそうだよ」
少女は、最初からこうなると分かっていたかのように、深く頷いた。
「新藤はそういう人だって、信じていた」
少女の確信に満ちたような言葉に、新藤は自らのモチベーションが上がっていることに気付いた。
新藤は少女を車に乗せ、彼女の言う「山」を目指した。
少女は迷う様子なく「次は右」「ここは真っ直ぐ」「左」とナビゲートした。一時間も車を走らせたところで、新藤は思い出す。彼女の名前を聞いていなかった、と。
「そう言えば、名前は何て言うの?」
「……もし新藤に会っても、名乗るなって言われている」
「誰に?」
しかし、少女は口を結んでしまい、答える気はない、という意志表示だ。
「参ったなぁ」と新藤は呟く。
こうして、少女の依頼を受けた新藤だったが、この事件によって驚くべき事実が発覚することは、この時点で知る由もなかった。




