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少女は謎の気配のすぐ傍まで移動し、木の影に隠れる。この距離であれば、目視でその正体を確認できるはずだ。木の影から顔を出し、師の亡骸の方を見た。
そこには、影が二つ。あれは…新藤晴人と如月葵だ。冷静に考えれば、この気配の正体が新藤晴人であることは、当然に思えた。だが、これはある意味、都合が良い状況でもある。マフィア連中はほぼ壊滅。先生の仇は、新藤晴人を殺せば、達成したも同然だ。
少女は木の影から木の影へ移動し、少しずつ新藤晴人との距離を詰めて行く。後十歩程度の距離まで近付いて、少女は突然躊躇いを覚える。あの男を殺すだけで、自分は満足するのだろうか、と。それよりも、あの男が守る、如月葵を殺した方が、効果的かもしれない。そうだ、私と同じ苦しみを味合わせてやれば良い。
膝を付いて、失ったものの大きさに嘆くあの男の姿。それを想像するだけで、少女の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。決めた。もう躊躇う必要はない。如月葵を殺そう。そう言えば、そもそもそれが仕事だったではないか。この国の言葉、一石二鳥というやつだ。
少女は木の影から離れる。いつものように、世界からその存在を消し去り、如月葵の背後に迫った。いつも通り、誰も少女の気配を捉えることはない。今回だってそうだ。何事もなく接近し、このナイフを突き刺してやるだけ。
後二歩。少女はナイフの柄を強く握りしめ、その距離を詰める。そして、ナイフを突き出した。人の肉を裂く感触が返ってくる。そのはずだったが…。
「え?」
手応えをまるで感じない。ナイフが空を切った、と理解したときは、既に遅かった。少女は頭に痛みが突き抜けたことを感じると同時に、視界が歪んだことを認識した。
「伝説の暗殺者の弟子…それだけが、この強さの原因だと思うか?」
「……それは、どういう意味ですか?」
如月の問いかけに、新藤は首を傾げる。如月は人差し指を立てる。
「そんなもの、一つしか考えられないだろう。異能を使っているんだよ」
「でも、どんな能力ですか?」
「料亭で彼女に襲われたとき、不自然だと思ったんだ」
新藤は自分でも何が違和感だったのか思い返すが、特に心当たりはない。黙って如月が続けるのを待った。
「彼女は突然のように窓の外に現れた。瞬間的に移動する能力かもしれないが、それだとしたら、あのとき新藤くんからの追跡を逃れることはできたはずだ。だから、私たちがいる部屋の窓の外に、瞬間的に移動したわけではない、と思う。しかし、中庭は成瀬さんが見回っていたという話だ」
「成瀬さんもそれなりに、注意して見回っていたはずです。簡単なことではありません」
「さらに、流星会の人間が一方的に狩られているのだとしたら、どう考えても普通ではない」
「つまり?」
「つまりだな…彼女は気配を断つ異能力者ではないか、と私は推測する」
「だとしたら…」
だとしたら、この状況は下手に動くよりも待ち構えた方が、確実に少女を止められるはずだ。新藤は五感を広げるイメージで、周囲の気配を探る。流星会の一行は絶滅したのだろうか。周囲は木々や草が揺れる音しか聞こえない。
新藤は横目で如月を見ると、彼女は目を閉じ、何やら集中していた。恐らくは、自身の異能力の発動に集中しているのだろう。後は、新藤がどれだけ少女の気配を察知できるか、ということが問題だ。正面からの襲撃はない、と新藤は考える。正面からの襲撃は、如月が推測する、彼女の異能を発揮するものではないからだ。死角からの襲撃。真後ろか。それとも、左後方。いや、右後方か。
新藤は、自分が気配を断つ能力を持っているとしたら、と考えるが、そんなものは状況や気分で変わるものではないか、と頭を抱えたくなった。それでは、今の彼女の気分とは、どういったものだ。師を失った怒りと悲しみ…そうだ、復讐に違いない。それはきっと、ただ新藤晴人という人間を殺すだけで済むことではないはず。自分の怒りを、悲しみを理解させるのであれば、それは同じ地獄に突き落とすまでだ。つまり…。
考えがまとまると、ほぼ同時。新藤は、それを確かに感じ取った。真後ろ。負の感情を纏い、復讐を達成する悦びが一歩進むごと高まっている。タイミングを誤ってはならない。あくまで、その気配に気付いていない調子で、その瞬間を待つのだ。
殺意の歓喜が極限に高まった。そして、それは自分の背には突き刺さっていない。やはり、狙いは…如月だ。
新藤は、隣の如月を力いっぱい押し飛ばす。
「え?」と少女の戸惑う声が聞こえた。
そして、間髪入れずに振り返りずつつの後ろ回し蹴りを放つ。
確かな感触。少女は側頭部を金づちで叩かれたような衝撃を受けたことだろう。脳を揺らす一撃に、彼女は崩れ落ちた。
「ど、どうして」




