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老人が深々と腰を落とす。老人が繰り出す一撃を待ち構えるため、新藤も腰を落とした。新藤は全身に走る緊張を感じながら、自らが興奮で溢れかえることに耐えなければならなかった。あくまで、その瞬間は冷静でいなければならない。恐怖や興奮で、動作に過不足があれば、間違いなく命を落としてしまうからだ。


老人が地を蹴った。その姿が幻だったかのように消えるが、もちろん本当に消失したわけではない。次の瞬間には、正面に現れることは、分かっている。


目の前に、老人の姿が。その距離は、あまりに近く、拳で迎撃できるものではない。そんな距離で、老人は拳を持ち上げ、新藤の腹部に添えるように置く。同時に…いや、それよりも一瞬だけ早く、新藤の拳も動いていた。


それは、老人と全く同じ動きだった。拳を突き出すわけではなく、そっと持ち上げ、添えるように老人の腹部に置く。そして、二人は殆ど同時に動いた。次の瞬間、新藤の体を凄まじい衝撃が貫く。だが、ホテルの一戦で受けたものに比べれば、それは強烈ではなかった。なぜなら…。


老人の体が跳ね上がった。いや、突風に貫かれたように、後方へ吹き飛んでいる。老人の体は放物線を描き、壁に激突してから崩れるように倒れた。


激しい事故に巻き込まれたような衝撃を受けたことは間違いない。それでも、あの化物のような老人であれば動くこともあり得る、と新藤は数秒だけ彼の動きを見守っていたが、ついに跪いてしまった。全身に響き渡る痛み。これが収まることはないのかもしれない。そう思えるほど、強烈なものではあったが、少しずつ痛みを押し込めていった。立てるかもしれない。新藤がゆっくりと腰を上げると、悲鳴が耳を打った。


「先生! 先生!」


少女は師の敗北が信じられないのか、悲愴な表情で何度も老人に呼びかけた。それでも、老人はぐったりと倒れたまま、反応がない。少女の頬に涙がつたい始めた頃、新藤は倒れる老人へと歩み寄った。


新藤が見下ろす老人は、咳き込むようにして、血を吐き出した。どうやら意識を取り戻したらしい。

「負けたか」

老人は呟くと、ゆっくりと上半身を起こし、何とか壁にもたれて体を支えた。


「先生!」

老人の無事を確認できた喜びか、少女が再び叫ぶ。それに応えるように、老人は少しだけ微笑んだ。

「私と同じ技を使う人間がいるなんて、信じられないことだが…」

新藤は首を横に振った。

「ちょっと真似させてもらいました」


どこか後ろめたそうに笑う新藤を見て、老人は「真似、か」と呟く。老人が長い年月を重ねて、作り出した超近距離からの一撃は、どんなに真似しても、短時間で習得できるものではない。踏み込み、体のうねり、拳を突き出すタイミング。これらすべてを連動させることで、超近距離から凄まじい一撃を放つ。それは、どんなに格闘のセンスがある人間だったとしても、感覚を掴めないこともあるほど、難易度の高いものだ。


「あとは僕の方が少しだけ速かっただけです」

殆ど同時に放たれた一撃だが、僅かなスピードの差が勝敗を決した。もし、老人が幾分か全盛期に近い肉体だったとしたら、結果は違ったかもしれない。

「貴方の負けです。如月さんの命は諦めて、大人しく退いてください」


「……大人しくも何も、体が動かない」

それは老人の降伏宣言だった。

「それから、あの少女についてですが…」


少女の今後について、老人に伝えなければならない。新藤が言い掛けたとき、屋敷の扉が乱暴に開かれた。そこには、スーツ姿の男たちが立っている。ホテルで見た集団に間違いなかった。成瀬の情報が正しいのであれば、流星会の連中だ。人数は五人…いや、六人か。妙なことだが、中心に立つ人物は異様に若かった。少年と言えるような容姿の男は、線が細く、身長も決して高いわけではない。だが、彼らの中でも異様な存在感を放っていた。


「間違いない、あの女だ」

少年が向けた指先。そこには少女の姿があった。

「お姉さん、久しぶりですね」


少年は口の端を吊り上げた。まるで、道端で偶然知り合いに出会ったような調子だが、表情の奥には狂気が見え隠れしている。新藤は少年を制圧すべく、僅かに体重を動かしたが、彼らの動きは早かった。男たちは銃を取り出すと、新藤を制止するように、それを向けてきたのだ。少年は動きを止めた新藤を見て満足気な表情を見せると、再び階段の上に座る少女に目を向けた。


「覚えていますか? 僕ですよ。五年前、貴方たちはこの国で仕事をしたでしょう。そのとき、押し入れに隠れて震えていた子供です」

「復讐ですか?」

質問は新藤のものだ。少年は新藤を一瞥したが、すぐに少女の方へ視線を戻す。

「父を殺されたことはどうでも良いことなんです。ただ、彼女に伝えたいことがあるだけですよ」


少年は恍惚を覚えるように、体を震わせた。

「何年も探しましたよ。そしたら、運の良いことに、貴方がこの国に戻ってきた。この機会を逃すわけにはいかないでしょう」

少年は、爛々と目を輝かせながら、歩み出そうとした。


「全員、動くな」

しかし、それを止める一声。新藤のものでなければ、老人のものでもない。それは階段の上に現れた、成瀬のものだった。


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