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乱条は老人と、その後方で顔を歪めて、何とか立ち上がろうとする新藤を見て、状況を察したようだった。


「なるほどな、お前が本物のホン・ウーヤーか」


乱条は正面の老人に人差し指を向ける。ホン・ウーヤーと呼ばれた老人は、特に表情を変えることなく乱条を見返した。数秒間、二人は視線を交わす。それは、今すぐにでも血で満たさなければ、壊れてしまいそうな何か。傍から見ている新藤すら、それを感じて緊張が高まった。


今にも始まってしまう。それを察した新藤は、胸が潰れてしまいそうな痛みに耐えながら、何とか声を発した。


「乱条さん、遠い距離から入ってくる速い踏み込みに注意してください。あと、超至近距離からの一撃は、絶対に受けちゃ駄目です!」


新藤の警告が聞こえたのかどうか、乱条は臨戦態勢に入った。それは老人も同じだ。先程と同じく、腰を深く落として、必殺の一撃を放つ姿勢に。


先に動いたのは、乱条だった。一気に拳が届く距離まで詰める。どうやら、新藤の忠告が耳に入っていたらしく、速い踏み込みを封じるため、最初から近距離で勝負することを選んだらしい。


乱条は右足を前に出した構えから、右の拳を放つ。そのスピードは普通であれば、目では追えないほど速い。が、老人は軽く身を反らして躱すと、反撃に右の足を突き出した。乱条は腰を捻りつつ、僅かに右側へ重心を移動させることで、老人の爪先を免れると、さらに踏み込んだ。そして、左の拳を老人の顔面へ目がけ、真っ直ぐと突き出す。切り裂くような一撃を前に、達人であっても顔を守るか、身を退いて距離を取ることだろう。しかし、老人は違った。


二人は、拳の威力を最大に発揮するために、これ以上ない距離だったが、老人はさらに一歩前に出る。それは、新藤が一撃で吹き飛ばされたときと、同じ距離だ。老人は、乱条の鳩尾付近に、拳をただ置いた。


普通であれば不意の一撃を受けるところだが、乱条は右手で老人の拳を叩くと同時に、素早く後ろに退いた。それは新藤の助言によるものだけでなく、彼女の本能が危険を察知したからだ。


新藤は、乱条があの一撃を封じたことに、一瞬安堵したが、老人の攻撃はそれで終わりではない。一歩退いた乱条に、あの凄まじい踏み込みで接近すると同時に、拳を突き出した。踏み込みの勢いに乗った拳は、回避不可能かつ壮絶な破壊力を持っていた。乱条だったからこそ、腕をクロスして顔面を守ることができたが、その衝撃に後退し、さらに膝を付く。


そこに、老人はさらなる追撃を放っていた。乱条は膝を付いた状態で飛んできた回し蹴りを、またも腕で防ぐことしかできない。重たい一撃に、腕が悲鳴を上げた。先程の踏み込みと同時に放たれた拳に加え、この蹴りだ。さらに続けて腕で受けてしまったら、乱条の攻撃にも支障が出てしまうだろう。一度離れて体勢を立て直したいところだ。


だが、彼女は動じることなく、次の判断を下していた。それは距離を取るのではなく、逆に老人の腰に向かって飛び掛かった。大木であろうが、押し倒してしまいそうな乱条のタックルだが、老人はそれを受け止める。十秒程度、組み合いながら、お互い良いポジションを探すような時間があった。老人はその見た目からは想像できないほど、腰が重く、バランス感覚に優れているため、簡単に倒せない。


先に仕掛けたのは乱条だ。乱条は、一瞬のタイミングを狙って、足払いを仕掛ける。足を刈り、床に叩きつけるつもりだったが、老人の足捌きも速かった。足払いをすべて凌いだと思うと、拳を乱条の鳩尾辺りに置く。


あれがくる。乱条は老人を両手で突き飛ばしつつ、自らも距離を取った。乱条は、老人が持つ最大の脅威を、申し分なく対応できたかのように思えたが、これだけで終わらない。凄まじい踏み込みに乗った拳が飛んできたのだ。だが、乱条はそれを読んでいた。すぐに身を屈めつつ、老人の背後に回り込むように移動することで、それを躱してみせる。


だが、それは新藤から見ても、危険なタイミングだった。乱条の判断が、もしくは足の運びが、少しでも遅れていたら、あの一撃を受けていたに違いない。先読みができていたとしても、もう一度同じ展開になったら、乱条がそれを躱せるかどうか、疑わしいところだ。


その証拠に、乱条は距離を取ってから、動きを止めて、老人の様子を見ていた。信じられないことだが、あの乱条でさえ防戦一方の展開を強いられている。何か秘策がなければ、このまま同じ展開が続き、いずれ乱条が致命的な一撃を受けることになるだろう。


「ジジイ、なめるなよ」


それでも、乱条は強い闘志を見せた。負けるつもりは、ないらしい。しかし、新藤は焦っていた。このままでは、乱条は敗れる。


新藤は体を引っ張るようにして、自分と同じように、老人と乱条の打ち合いを茫然と眺めていた少女に近付く。それから、どうするべきか、考えがあったわけではない。ただ、老人のもとに帰すわけにはいかない、という気持ちがあっただけだ。だが、それは幸運を呼ぶ行動だった、と数秒後に知ることになる。


再び、エレベーターがこのフロアに止まることを表す電子音が聞こえた。これだけの騒ぎになったのだ。新藤は、警察かホテルの従業員が、異常を確かめにやってきたのだと思った。しかし、エレベーターの方から姿を現したのは、スーツ姿の複数名の男たちだった。しかも、明らかに堅気ではない。


「いたぞ、あいつだ!」


スーツ姿の男たちは、一斉に懐から拳銃を取り出した。彼らの目的が何かは分からない。とにかく、新藤は少女の安全を確保しなければ、と動いた。まず、少女の腕を掴んで引き寄せると、傍にあった柱の影に隠れる。乱条も動揺に向かい側にある柱に身を隠したようだ。


「また、あいつらか!」


乱条が吐き捨てるように苛立ちを言葉にした。


「乱条さんの知り合いですか?」


「知らねぇ。さっき、急に襲い掛かってきたんだ。そのせいで、成瀬さんに連絡できなくてよ。後で怒られるんだろうな、ちくしょう」


銃声が響いた。銃を持った人間がどれだけいたのか、確かなことは分からないが、それは連続して新藤の耳を打った。


「先生!」


柱から顔を出そうとする少女を新藤は抑える。


「乱条さん、ここは一度退きましょう」


新藤の提案に、乱条は顔をしかめた。


「くそ、これからあのジジイをぶん殴ってやるところだったのに、仕方ねぇ。向こうが非常階段だったな」


銃声が止むと同時に、新藤と乱条は動く。少女は抵抗するが、新藤は強引に彼女を持ち上げ、非常階段へ走る。銃声と悲鳴が交互に起こり、新藤は一度だけ振り返ってみると、信じられない光景が広がっていた。それは、血だまりの中で踊るように、殺戮を繰り広げる老人の姿。凄まじい速さで、銃を向ける人間の背後に回り、至近距離から強烈な一撃を放つ。その繰り返しで、次々と男たちを屠って行った。


あれは、異常だ。何かの異能力を使っていない限り、武装した人間を一方的に殺戮するなんて。新藤は走った。ここから、離れなければならない。あの異常者に追いつかれては、次は命がないだろう。

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