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如月の目的地は、いかにも格式の高そうな料亭らしい場所だった。
新藤はこんな場所に足を踏み入れたこともなかったので、その門を前にしてやや気後れしたが、次の瞬間には如月の身を守ることだけに集中しなければ、と自らに言い聞かせた。
「なんだよ、儲かっていない探偵のくせに、偉い上品な場所で飯を食うんだな」
合流した乱条が吐き捨てるように言う。如月は乱条を見て、やや顔を引きつらせ、新藤の影に隠れた。如月は、乱条と初めて遭遇した際、酷い目にあったため、今でも彼女が苦手なのだ。
「大丈夫ですよ。今回は、如月さんを守ることがあの人の仕事なんですから」
新藤は、安心させようと如月に言葉をかけるが、あまり効果はなかった。
新藤は緊張しながらも、如月の後に付いて料亭の中に入った。異能対策課の二人は、如月が約束している相手の顔を見ないためにも、後から入ることになっている。奥へ進むと、黒いスーツを着た男が、如月の顔を見て頭を下げた。
「こちらに」
黒いスーツの男は、如月を個室に案内する。だが、如月は入ろうとせずに、新藤を見た。
「新藤くんはここで待っていてくれ」
「いや、普段ならそうしますが…今回は」
「大丈夫。中には向こうの護衛もいるし、簡単にはやられないさ。何かあったら、ちゃんと大きい声を出すから」
「しかしですね」
食い下がる新藤に、如月はなぜか泣き出しそうな笑顔を見せて言った。
「お願いだよ」
そんな顔をされては、従うしかない。
「分かりました」
「すまないね」
「何かったら、すぐに呼んでくださいよ」
「真っ先に呼ぶ。頼れるところを見せてくれよ」
そう言って、如月は個室へ入って行った。その際、中の様子が見えたが、座敷に知っている顔があった。すぐに襖は閉まってしまったが、間違いない。あれは、つい最近関わった事件の依頼人だ。確か、議員秘書を名乗る男だったはず。前回の仕事に関する話だろうか。だとしたら、自分も含めて話を聞いても良さそうなものだが。
「先生と直接お会いできるはずでしたが?」
挨拶を終えると、如月は議員秘書に尋ねた。議員秘書は、如月の質問が常識外れだと言わんばかりの嘲笑を浮かべた。
「何を言っているんですか。貴方が暗殺者に狙われていること、私が知らないとでも思いましたか? そんな危険な場所に先生をお連れするわけにはいかない。むしろ、私だってここに来たくなかった。それでも、先生が貴方に感謝の意を伝えるため、会えと言うから来たのです。そんな先生のご好意を理解いただきたい」
如月は肩をすくめる。
「それでご用件は?」
議員秘書は時間を惜しむように本題に入った。如月は小さく頷く。
「先日、依頼いただいたとき…ある方の紹介だとお聞きしました。その人物は、何者なのでしょうか」
「……それを聞いてどうするんですか?」
議員秘書の目付きが鋭くなる。踏み入るな。そういう警告が含まれているようだ。
「お会いしたい。それだけです」
如月は、議員秘書の警告を理解しながら、怖気づくことなく、そう答える。数秒、重たい空気が二人の間を漂った。
「やめた方が良い。この世界には、知らなくて良いこと、触れなくて良いこと、意識しなくて良いことがあります。これは、そういう類のものです。私だって貴方に感謝しています。そうは見えないかもしれませんが。もし、この前のように私たちには解決できない事件があるのなら、また依頼したいとも考えています。だから、貴方から私たちに面会の申し出あがったときは、できる限り希望に応えたいと思っていました。しかし、こういうことなら、話は別です。いえ、むしろ親切心から言わせていただきます。それについては聞かない方が良い。聞かない方が、身のためです」
議員秘書の警告を静かに受け止める如月。だが、彼女は引き下がるつもりはないのか、真っ直ぐと議員秘書を見た。
「その方が、どういった人物なのか、理解していないわけではありません」
その言葉に、議員秘書の顔が険しくなる。まるで、口の中に入れたものが、苦いと知らずに噛み砕いてしまったかのような表情だ。
「もし、それが本当ならば、私の言っていることも理解しているはずです。私としては、口にできるものではないことも」
「分かりました。それだけで、その人物が何者なのか、確信を持てました」
如月が薄く笑ってから続けた。
「もう一つお願いがあります」
「あの方に関することは、協力しない」
「無理にとは言いません。きっかけがあれば、という程度の話です」
「……聞くだけ、聞きましょう」
議員秘書は観念するように溜め息を吐いた。
「如月が探している、とお伝えしてください。扉のことで話したいことがある、と」
「……扉のこと、ですか?」
議員秘書は、それが何を意味するのか、自分の知識や経験の中から該当するものを探ったが、思い当たるものはないようだった。
「本人の耳に入れば、分かることです」
「……分かりました。できる限りのことは、やってみます」
「ありがとうございます」
緊張感がほどけ、空気が変わった。何事もなく面会は終わるように思われたが…。
突然、窓が開いた。そこには、一人の女が立っている。
部屋の中にいる、誰もが気付かなかった。特に窓の外…中庭の方を注視していたわけではない。しかし、全員がそれなりの警戒心を持っていた。それにも関わらず、窓が開くまで、そこに女が立っていたことに気付かないなんて。
こいつ、異能力者か。
如月が心の中で呟くよりも先に、謎の女はアクションを起こしていた。早過ぎて、その動作が何なのか、如月には瞬時に判断できない。ただ、ボディガードの男が一人、突然倒れたことで、何らかの攻撃だったことに気付く。首にナイフが刺さっている。
やはり、暗殺者だ。
「新藤くん!」
如月は叫んだ。




