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日本は二度目だった。だから、言葉や文化の違いに苦労することなく、物事はスムーズに進められた。しかし、この国はあまり好きではない。嫌な想い出があるからだ。


私と先生は、今回の目標である如月葵が勤めている、事務所に近いホテルを取った。親子で旅行…という体ではあるが、アジア系の顔立ちである先生と私とでは、関係を疑う人も少なくない。しかし、日本のホテルマンは疑うような視線を向けてくることもなかった。


部屋に通され、窓から如月探偵事務所が見えるかどうか確認してみた。やや遠いかもしれないが、問題はないだろう。私は先生を残してホテルを出ると、如月探偵事務所の周辺の下調べに取り掛かった。


周辺の通路や建物だけでなく、事務所が入っている等々力ビルの中にも入ってみる。驚くほどセキュリティは低く、今すぐ乗り込んで如月葵を始末することだって可能のように思えた。ただ、慎重さに欠けることは、失敗につながる。私はある程度、周辺やビルの構造を把握してホテルに戻ることにした。


ホテルに戻って先生に報告すると、満足そうに頷いてくれた。


「明日の夜、本人が出てきたところを追跡し、人気の少ないところで葬るとしよう」


「分かりました」


話が終わると先生は、部屋の隅にある椅子に腰を下ろしたが、その動きには疲労の影が濃い。そして、また咳き込み始めた。私は先生の背をさすって、落ち着いたタイミングで飲み水を渡す。


「先生、やはり…体調が優れないのでは?」


私は改めて確認する。先生は薄く笑みを浮かべた。


「お前に心配されるほどではない。仕事が始まれば、体は自然と集中力を高め、不調は消える。今より悪い状況で、さらに困難な仕事をこなしたことも少なくない」


そう言って先生は、握った拳を私に見せた。


「それに、これを目標に叩き込むだけのこと。もう何十年も同じことを繰り返してきた。今回も何も変わらない」


しかし、その拳は僅かに震えている。それは不調によるものなのか。それとも、衰えによるものなのか。どちらにしても、これ以上の疲労は、先生の体に負担をかけることだ。私は躊躇ったが、やはり先生は休むべきだと判断し、再びあの提案を持ち出すことにした。


「そうかもしれませんが、流石にお疲れのようです。ここは、やはり私が一人でやります。日本は他の国に比べて警戒心が低い人間ばかりです。さらに、如月葵という人物は、現在護衛を付けていません。あえて言うなら、助手らしい男が一人。あの程度あれば、今すぐ私一人で行ったとしても、首を取ってこれるでしょう」


「阿保、奢るな」


先生は静かに言う。


「この仕事は、どれだけ準備をしても決して万全であることはない。それだけ、予想もしないことが起こるものだ。すべては慎重に進めなければならない。いつも通り、二人でやるぞ」


「……分かりました」


説教を終えた先生は、短時間ではあるが、また咳き込み出した。私は溜め息を吐く。


「先生、約束してください。この仕事が終わったら、長い休みを取る、と。十分な蓄えもありますし、私一人でこなせる、簡単な仕事だってたくさんあります」


先生のところに舞い込む仕事が、異様に難易度の高いもの、というだけで、世の中には下から上まで、殺したい相手がいる人間ばかりなのだ。


「そうだな。そうしよう」


珍しく先生は、私の提案を受け入れた。


「約束ですか?」と私は念を押す。


「約束だ」と先生は返した。


先生は咳が落ち着いたのか、深く息を吐いた。本当に、この人は歳を取ってしまった。後、どれけの時間、こうして過ごせるのだろうか。


先生の咳が落ち着いたことを確認した私は、部屋を出ようとした。


「どこに行く?」と先生は私を引き止める。


「水を買いに行ってきます。他にも何か必要なものがあれば買ってきますが?」


「いや、必要ない」


私は部屋を出て、エレベーターに乗って一階まで降りた。このときまでは、本当に水を買って、すぐに帰るつもりだった。先生に何かがあってはいけないから、できるだけ傍にいなくては、と考えていた。しかし、一本の電話が私の考えを変えることになる。


ホテルを出て、水を売っていそうな店を探していると、携帯端末に連絡が入った。この携帯端末は、今回の仕事のために用意したものだ。かかってくるとしたら…依頼人だろう。


「もしもし」


「申し訳ない。こちらの仲間が逮捕されたことで、如月葵の暗殺を君たちに依頼したことが漏れてしまった。恐らくは、警察が動く」


「その程度のことでしたら、大した問題ではありませんが」


「そうじゃない。異能対策課、という少し特殊なやつらが動き出したらしい。しかも、如月葵を匿うために、隠れ家も用意しているようだ。難易度が上がることは間違いないが…」


「そうですか。確かに、セキュリティの高いところに隠れられたら、面倒です」


だが、それは面倒というだけのことだ。先生ならどれだけセキュリティが高かったとしても、仕事をこなす。


いや、今の先生に負担をかけて良いのだろうか。それに、この仕事を終えたら休む、と約束もしてくれた。多少、卑怯かもしれないが…やはり、私一人で仕事を終えてしまおう。この足で、そのまま如月探偵事務所へ向かい、如月葵とその助手を抹殺して、水を買ってからホテルの部屋に戻る。恐らくは二十分程度ですべてを終えられる。先生は怒るかもしれないが…謝れば許してくれはず。そう言う人だ。


「また連絡します」と私は電話を切った。

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