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「新藤くん…大変なことになったぞ」


いつになく如月は深刻な面持ちだった。


「ど、どうしたんですか?」


新藤は最悪の事態をいくつか想定する。付近で大手の探偵事務所が商売を始めたのだろうか。それとも、ついにオフィスの家賃が払えなくなったのかもしれない。いや、如月が過去に犯した罪が明るみに出てしまった…ということもあり得る。


「これを…見てくれ」


如月は自らの前に設置されたモニターを見るよう、新藤に命じた。新藤は自分のデスクから離れ、恐る恐る如月の前にあるモニターを覗き見る。そこに表示されていたのは…。


「……お知らせ。全品、値上げ?」


「うん。どうしよう、本当に大変なことになった」


新藤が見たものは、駅前のハンバーガショップの情報だった。どうやら来月から、すべての商品が数円から十数円ほど値上がるらしい。


ここは、如月探偵事務所。賑やかなオフィス街の隅にある、おんぼろ建築物、等々力ビルの三階だ。所長である、如月葵は顔面蒼白で、危機が迫っているような素振りを見せたため、助手の新藤晴人もついに事務所の存続が断たれるのか、と不安を抱いたのだが…。


新藤は大きく溜め息を吐くと、自分のデスクに戻って、途中だった仕事を再開した。

衝撃的な事件を共有する相手であるはずの新藤が、いかにも興味がないというリアクションを見せるから、如月からしてみると、何が起こっているのか、理解できなかった。


「どうしたの? なんで何も言わないの?」


心底不思議そうに首を傾げる如月に、新藤は無反応を続けた。


「おい、新藤くん。そういう態度で良いんだな? 私は君の立場なんてものは、いくらでも危ういものにできるんだぞ。それにも関わらず、この歴史的事件の衝撃を私と分かち合う気持ちがない、と言うんだな?」


「何ですか、その脅し方…。ハンバーガーの値上げで歴史的事件って騒いでいる人、如月さんだけですよ」


「そんなわけがないだろう。これだけ恐ろしい事件だって言うのに。この店、去年も値上げしているんだぞ。二年連続となれば来年だって値上げするかもしれない。そしたら、再来年はどうなる? 十年後は? このまま値上げを続けたら、そのうち誰も食べられなくなるぞ。この店が客を大事にする気持ちがあるのか、私は疑問だ。こういう態度であり続けるのなら、私は決して許さない」


「じゃあ、もう食べなければ良いじゃないですか」


新藤の指摘に、如月は一瞬だけ目を見開いた。だが、次の瞬間には、怒りを取り戻したように、新藤を睨み付ける。


「そういう話をしているんじゃないんだよ。私は信頼関係の話をしているんだ」


「お店側だって色々事情があるんですよ。それを言うなら、如月さんがお店を信じてあげないと」


新藤は、如月の言う信頼関係、というものが何を指しているのか理解していなかったが、適当に返してみた。しかし、これが案外響いたらしく、如月は暫くの間、閉口する。ただ、すぐ反論すべき点を思いついたらしい。


「でも、だったら…違うところで補填すべきだと思わない? せめてポテトだけは値下げするとかさ。客を喜ばせる姿勢が、私には見えてこないんだよ。そういうところが、私は許せないと言っているんだ」


「許せないなら何なんですか? 食べなくなるわけじゃないんでしょう? それとも、もう二度と食べないんですか?」


「……それは」


なぜか半泣きの表情の如月に、新藤は溜め息を吐く。


「如月さん、月に一回はあの店の文句言ってますよね? そのくせ、足しげく通っているのは、何なんですか?」


「私とあの店の関係がどれだけ長いと思っているんだ。それは、愛憎入り交じった関係にもなるさ」


「それって、結局は好きってことですよね?」


「……そういうわけじゃない」


「じゃあ、今からあの店に行ってきますけど、如月さんは何もいらないですね?」


「好きって明言し続けなければ食べちゃダメなの? 人間の感情はもっと複雑なものなんだよ!」


「そうですかね…」


「当たり前だ。新藤くんみたいな極端な感情しか持ち合わせていないような人間の方が稀なんだから。それに…あ、思い出した!」


如月の目が見開かれ、新藤は何だか嫌な予感がした。


「君がそういう柔軟性のない性格だから、この前、依頼人からクレームがあって私が対応したんだぞ!」


「え、あれは如月さんの指示通りに動いたんですよ。僕は致し方なく…」


「あー、言い訳するんだ! その辺りも君が臨機応変に動かなかったことが原因なのに!」


どうやら如月は、自分が不利だと悟ると同時に、理不尽にケチをつけて新藤を黙らす作戦に出たらしい。


「なんだかなぁ…前から思っていたけれど、君のそういうところ、頼りないよ」


「た、頼りない?」


「そうだよ、私が素直に礼を言えるような、頼りがいを見せて欲しいな。いつも細かいことに文句を付けて、ケチなことばかり言ってさ、私は君に守られているんだ、って思えるような働きを見せて欲しいよ、ほんとに」


いつも細かいことに文句を付けて、ケチなことばかりを言うのは如月の方である。現にハンバーガーが十数円値上がったことで、これだけ不機嫌になっているのだから。しかし、新藤は「そんな…」と呟いて、押し黙ってしまう。如月が話を逸らして、暴論で抑えようとしていることは百も承知だが「頼りない」の一言があまりに響いてしまった。


「それからね…」


如月が何かを言い掛けたとき、事務所の電話が悲鳴を上げるようになり出した。如月は顎を軽く突き出して、新藤に出るように合図した。新藤はショックで電話に出れずにいたが、鳴り響く呼び出しを無視し続けることはできなかった。


「はい、如月探偵事務所です」


「あー、新藤くんか。葵さん、いる? 代わって」


新藤は電話の向こうから聞こえた声に心当たりがあり、不快感に眉を寄せる。


「いますが、手が空いていないので、出れないそうです」


ここで如月がこの男と楽し気に話し出すことがあれば、新藤のメンタルが持たない。彼は嘘を吐くことにした。


「本当かなぁ? まぁ、そこにいるなら、取り敢えずは大丈夫だ。今から行くから、決して動かないように、と伝えてくれ」


「今からですか? 電話で済む用件なら、今僕が聞いておきますけど」


「いや、直接話した方が良い。久々に葵さんの麗しい姿も見たいしね。それじゃ」


電話は一方的に切れてしまった。しかも、今から行くから決して動くな…というのも、あまりに一方的ではないか。


「誰だった?」と如月。


「成瀬さんでした。今から来るそうです」


警察公安部、異能対策課の成瀬。彼は異能犯罪を取り締まる警察で、如月探偵事務所とは協力関係だったり、敵対関係だったり、複雑な関係である。そんな彼が訪れると聞いて、如月は顔をしかめた。ここ最近、如月と新藤の中で、成瀬が絡むと厄介事が起こる、というジンクスを疑い始めていたからだ。


「なんだろう…。ここ最近で、一番の最悪が起こる気がする」


と如月は寒気を感じたように肩を震わせた。


「そんなこと言わないでくださいよ」


新藤は冗談を楽しむような笑顔を浮かべたが、次第にそれが失せて行った。そして、やや青ざめた顔で呟く。


「……何が起こるんでしょうね」

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