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事件が終ってから、一週間が経ち、如月探偵事務所は静かな日々を送っていた。


新藤は一週間経っても尚、あの施設について思い返す。まず、大原結衣のこと。あの日、彼女を施設から連れ出し、如月探偵事務所に戻ると、依頼人である議員秘書たちが待っていた。


そして、彼らは大原結衣を囚人のように扱い、車に乗せると、支払いについて軽く話し合った後、去って行ってしまった。きっと彼らの中に、大原結衣を丁重に扱うものはいないだろう。立ち去る車を見つめ、新藤は思った。いつか彼女は絶望から抜け出すことができるのだろうか、と。しかし、それを確認する術は、新藤にはない。


そして、もう一つ思うことは、下内明日香…いや、野上麗のことだった。新藤は、一連の事件の黒幕が彼女であり、この世界にとって敵であるような存在だ、と如月から説明を受けた。実際のところ、どうなのだろうか。新藤の前で、この世界に対する不安を語る彼女は、少なくともそんな風には見えなかった。


他の人がそうであるように、ただ孤独に怯える。そんな女性にしか見えなかった。せめて、もう一度話すことはできないか。彼女は如月にとって敵であるはずなのに、新藤はそんなことを考えてしまうのだ。


「新藤くん、何を考えている?」


唐突に如月に声をかけられ、新藤は肩が揺れるほど驚いた。しかも、如月に対して疚しい気持ちがある瞬間だったため、余計に驚いたことは、どうしても気付かれたくないことだった。


「えーっと、ですね」


たじろく新藤に、如月は鼻で笑った。


「どうせ、大原結衣のことを考えているんだろう。帰りたくもない、この世界に帰ってきた彼女に、救いはあるんだろうか、とか…そんなことだろう」


「は、はい。そんなところです。そんな感じです」


明らかに慌てている新藤を見て、如月は少しだけ眉を寄せたが、特に言及することはなかった。ただ、大原結衣について彼女なりの意見を述べる。


「彼女はきっと失敗を繰り返して、この世界が嫌になってしまったんだ。だから、外に出ようとした。でも、この世界の外なんて存在しないんだ。結局は、この世界で生きて行くしかない」


如月の言葉を聞いた新藤は、すぐに大原結衣の今後について思いを巡らせた。新藤が描く彼女のその後は、陰鬱なものである。


「それでは、やっぱり救いがあるようには、思えません」


「大丈夫だ。彼女はまだ若い。辛抱強く待てば、次の幸せがやってくる。諦めなければね。それまで、充実した時間を過ごせるかどうかは、彼女次第だ」


「諦めなければ、ですか」


大原結衣が助けを求めているのなら、手を差し伸べる機会があったかもしれない。しかし、彼女は他人であって、依頼人ですらない。新藤が彼女の人生に介入する権利も義務もないのだ。だが、きっと如月の言う通りで、それは彼女自身の問題で、彼女が諦めなければ、いつか幸福はやってくるはず。彼女が求めることをやめなければ、手を差し伸べようとする人間だって、いつかは現れるはずだ。


人は幸福になろう、という気持ちを忘れるべきではない。彼女が新藤に見せた、あの世界。あれが新藤の求める幸せなのかどうかは、自分自身にも分からない。しかし、あれに近しいものだということは、間違いない。そんな景色を描ける大原結衣なら、きっと心のどこかで幸せになろうとする気持ちがあるはずだ。


そう言えば、如月にとって幸せとは何だろう、と新藤は考えた。だが、正面を切って質問することが、何となく怖くて、新藤は少しばかり遠回しに聞いてみることにした。


「如月さんは、この世界から消えてしまいたい、と思うことはあるんですか?」


如月は返答が遅かった。顔を背けているため、どんな表情をしているのか、新藤には見えなかった。だが、彼女は普段と特に変わらない調子で答えた。


「たぶん、ないよ」


少しだけ引っかかる返答だ。


「たぶん、ですか。ないと言える決め手は、あるんですか?」


「そうだね…」


新藤の質問に、如月は天井に視線を向けながら、少しだけ考えた。そして、視線の位置をもとに戻すと、僅かに微笑む。


「私はなんだかんだこの世界が好きだからね。嫌だ嫌だと言うけれど、結局のところ好きなのさ」


どこか優し気に微笑み如月を見て、新藤も自然と笑みが零れた。


「さて、今日は先に帰るよ。最近、徹夜が多かったら、少しばかり疲れている」


「お疲れ様です。ゆっくり休んでください」


「君もね。残業代なんて出ないから、すぐに帰るんだよ」


「分かっています」


新藤は苦笑いを浮かべる。


「この資料を少しまとめたら、すぐ帰りますから」


「そう。じゃあ、お先に」


如月は荷物をまとめると、すぐに事務所を出て行ってしまった。




如月は事務所を出て、すぐに電話をかけた。


「はいよ」


と重田がワンコールで応答する。


「あいつが私の前に現れた。そして、扉に攻撃を仕掛けた」


「へぇ。君の読み通りだったね。プロテクトを強化しておいてよかった。それで、やつをデリートしたのかい?」


「いや、逃がした。新藤くんに、捕らえるように言ったんだけどね。彼、寸前で躊躇ったんだよ」


「あー、あいつには感情干渉プログラムがあるからね。やつがその気になれば、大抵の人間は心をコントロールされてしまう。新藤くんも同情心をくすぐられたんだね。まったく、やり口が変わらないねぇ」


「そういうことだ」


「あ、そういうことか」


「何がだ?」


「君が電話してきた理由、分かったぞ」


「分かってもらっていない方が困るが…念のため答え合わせしておこうか」


「感情干渉を防ぐプログラムを作れ、って言うんだろう?」


「何を言っている。扉のプロテクトの強化だ」


「はぁ? やったばかりじゃん」


「やつが攻撃を仕掛けてきたんだ。対策を取られる前に、強化すべきだろう」


「……まぁ、そうか。仕方ないよなぁ。でも、良いの?」


「強化する分には良いだろう」


「そうじゃなくて、感情干渉プログラムの方。また、新藤くんが操られたりしたらどうすんの?」


「それは大丈夫だ」


「大丈夫? どうして?」


「わからん。でも、彼がそういう男だから、信用している」


「信用、ねぇ」


「用件は伝えた。切るぞ」


「はいはい。じゃあねー」


如月は電話を切って、何となく振り返る。等々力ビルの三階は、まだ明かりが点いていた。一瞬、不安が過った気がしたが、それはただの疲労のようにも思えた。早く帰って休もう。如月は等々力ビルから目を離すと、帰路に就いた。

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