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光の扉の向こうに、如月の意識はあった。それは、赤い光となって深紅の空間をさ迷っている。如月や野上麗が、向こう側と表現した世界は、まるで血の海の中のようだ。


如月は、念のため野上麗が追跡されていないか警戒したが、その気配はない。安全を確認した如月は、真っ直ぐに神の世界に至る扉へ向かう。いくらプロテクトを強化したとは言え、野上麗が用意したプログラムを使えば、扉が開けられてしまう恐れもある。すぐにでも、それは阻止しなければならない。


如月が扉の前に到着した。まるで、神話の中に登場する、巨人のために用意された、巨大な扉だ。血を固めて作られたかのような深紅の扉の前。その正面に、大原結衣の姿があった。意思だけの存在として、この世界に入り込んだ如月とは違って、彼女は実体を持っている。


しかし、その体は液体に放り込まれた砂糖のように、少しずつ消滅していた。この世界で実体は保てないことを、大原結衣は知っていたのだろうか。もし知っていて野上麗に協力したのだとしたら、それは自殺だ。そして、野上麗は自殺を促したことになる。それは決して許されないことだ。大原結衣は、絶対に元の世界に戻さなければならない。


如月は、大原結衣に接近すると、まずは彼女と扉のアクセスを切断に着手した。彼女の意識を傷付けてしまうことがないよう、慎重にアクセスを切断していく。野上麗とは違って、彼女は素人だ。如月による意識の介入に対し、為す術はない。アクセスを完全に切断してから、大原結衣の体を隔離すると、念のため扉のセキュリティに異常がないか確認したが、緊急を要するようなものはないようだ。


後は大原結衣の体を元の世界まで運べば、山を越えたと言えるだろう。如月の意識は、複数の触手のようなものを伸ばして、大原結衣の体を包み込んだ。抵抗できない大原結衣を運ぶことは、如月にとって、簡単なことだと思われたが…。


「嫌だ、離して!」


如月は、大原結衣の声を聞いた。


「帰りたくない。私は、ここで生きるんだから!」


そして、彼女による必死な抵抗が始まった。この世界に不慣れであるはずの彼女が、如月の制御を振りほどき、どこに行くというわけでもなく、深紅の中を泳ぎ出す。


「こんな場所、生きている実感なんて持てはしない。君は帰るんだ」


「それが私が求めていたことなんだから、邪魔しないでよ!」


彼女は必死に泳いだ。現実から逃げるために。しかし、彼女がどんなに手足を動かしても、この深紅の世界の中では、自由に前へ進むことはできない。如月がその気になれば、簡単に彼女へ接近し、捕らえることはできてしまう。きっと、彼女にとって現実も、この世界で足掻いても進めないように、どうにもできない場所だったのだろう。そして、いつか誰かに後ろから肩を叩かれ、自らの存在意義を問われてしまう。そんな、いつやってくるか分からない絶望に恐れながら続ける人生。逃げ出したくなることだってある。


「分からないわけではない。でも、それでも私たちは…あの世界で生きなければならない」


如月はできるだけ、柔らかく彼女を包み込み、精一杯の抵抗を受けながら、深紅の世界を去った。




「あれ…?」


目を覚ました大原結衣を視て、新藤は大きく息を吐いた。


「良かった、目を覚ましてくれた」


大原結衣はゆっくりを身を起こして、辺りを見回す。そして、この世界がこの世界でしかないことを認めたらしかった。


「どうして…」


彼女の瞳から、涙が流れるまで、時間は殆どなかった。一度は立ち上がり、部屋中をさ迷い出すが、数歩進むとまた崩れ落ちるように、跪いてしまった。


「出口が、なくなっちゃった…」


どうやら、あの光の扉のことを言っているらしい、と新藤は察した。泣き崩れた彼女が、顔を上げたかと思うと叫び声と共に、心の中に満ちているのだろう感情を吐き出した。


「こんな世界、戻りたくなんか、なかったのに!」


彼女の絶叫を聞いて、新藤は複雑な気持ちに苛まれる。助けるつもりだった。でも、彼女はそんなこと、少しも望んではいなかった。


新藤は横目で如月の表情を確認するが、彼女は黙って大原結衣を見つめるだけだ。それから、新藤たちは泣き叫ぶ彼女を立たせ、無理矢理に車まで歩かせた。そうでもしなければ、施設から追手がかけつけてくるかもしれない。


車に乗り込み、施設を離れてから、新藤は後部座席で項垂れる大原結衣に、何度か声をかけようと思った。しかし、彼女がどうしてこの世界に絶望したのか、少しも知らない。そう考えると、彼女にどんな声をかけるべきか、検討もつかなかった。


だから、新藤は長い時間、彼女のすすり泣く音を聞き続けた。次第に、窓の外から見えるのは、自然多い田舎の景色から、無機質なビルが立ち並ぶ都会のものに変化する。その頃には、大原結衣の泣き声は聞こえなくなっていた。

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