18
「それでは、いざ」
そう言ってプレハブのドアを開こうとする如月の横で、新藤は背後から近付く脅威的を感じ取っていた。反射的に振り返り、それが何者なのか、確認する。隣の如月は、新藤のただならぬ雰囲気に、その視線が向けられた先に何があるのか、と振り返った。
「……なんだ、あれは?」
それを見た如月は、想像していたものとは全く違ったものを目撃し、眉を寄せた。しかし、新藤は飽くまで緊張感を漂わせて言う。
「如月さん、先に行って大原さんの救出をお願いします」
「どうして? あれくらい、大した問題ではならないだろう?」
「それがですね…彼に関しては、ちょっと違うんですよ」
「……君がそう言うなら信じよう。ただ、中で何かあったら叫ぶから、すぐに助けに来るんだよ」
「もちろんです」
如月は僅かな微笑みを残して、プレハブ小屋の中へ入って行った。新藤は奥へ進む如月の背中を見送ってから、もはや十歩以内まで接近している相手に目をやった。そこに立っているのは、子供らしい面影を残す、十代後半と思われる少年だ。名前は確か、神尾…と呼ばれていた。
「あんた…この前の夜、泥棒に入っただろ?」
と神尾少年は新藤に向かって言った。
「……さぁ。何のことか、心当たりがありませんね。僕は体験入会でここに来ているのだけなので」
「嘘だ。何となく、筋肉の付き具合を見れば、分かる」
新藤は苦笑いを浮かべるばかりで、言葉が出てこなかった。
それに対し、神尾少年は数歩前に出て、新藤との距離感を詰めた。次に彼が踏み込んだとしたら、十分に拳が届くことだろう。
「怪しいやつは捕まえるように言われている。それは、力尽くでも構わない…って」
神尾少年は、無表情に剣呑なことを言う。まるで、言われたからやりました、と主張するふて腐れた子供みたいだが、彼が放つ圧迫感は確かなものである。誰であろうが、この少年は危険だと認識するような、空気が確かにあるのだ。しかし、そんな神尾少年に対し、新藤は平然と笑顔を返す。
「君はとても元気が有り余っているみたいだね。部活は何をやっているのかな?」
明らかに茶化している新藤の態度に、神尾少年の目付きが変わった。先程よりも、明確な敵意を抱いたに違いない。
神尾少年が僅かに腰を落とした。次の瞬間、神尾少年の拳が飛んでくる。数歩分の間合いがあり、新藤としてはどんな攻撃が飛んできたとしても、余裕を持って躱す自信があった。経験上、安全な距離だという確信が。それにも関わらず、神尾少年の拳を躱せたのは、殆ど運だった。新藤が想定していたよりも、遥かに速い。あの夜、彼が見せたスピードよりも。
新藤は後ろに下がりつつ、頭の中でイメージしていた距離感を修正する。これだけのスピードで動ける人間は、未だかつて出会ったことがない。子供だと思って、手加減していたら、失神していることだってあり得る。新藤は腰を落として、次の攻防に備えた。
如月はプレハブ小屋の中を慎重に進む。
そうは言っても、中は大して広くない。入り口から短い通路があって、すぐに次のドアがあった。きっと、この先に大原結衣がいるはずだ。彼女だけなら問題はないが、先程のように護衛がいたとしたら、少しばかり面倒なことになる。できることなら、彼女だけと接触し、連れ出して終わりたいところだが。
如月は警戒しながら、ドアノブに手をかけ、勢いよく開いた。屈強な男が待ち構えているのであれば、何とかしてみせよう。そんな気概もあった如月だが…彼女がその部屋で見たのは、少しばかり意外な光景だった。
その部屋は、プレハブ小屋の殆どを占める、それなりのスペースがあった。ここなら、夏休みに周辺に住む子供たちを呼んで、ちょっとしたイベントだって開けるだろう。だが、そんな空間に物が何一つない。隅にパイプ椅子がいくつか並んでいるが、どれも折り畳まれ、使われた形跡もなかった。ただ、部屋の中央に設置されたパイプ椅子だけが、そこに人がいたことを証明しているかのようだ。そう、この部屋には大原結衣さえいなかった。
「なんだこれは…」
如月が驚愕して呟いたのは、いるはずの大原結衣が存在していなかったからではない。部屋の中央に置かれたパイプ椅子。その正面には、この簡素なプレハブ小屋の中には似つかわしくないものがあった。いや、この世界中を探し回っても、それは奇妙なものとして認識されることだろう。
それは、光の扉だった。そう形容するしか言いようのないものだ。何もない空間に、白く光る枠が長方形を描き、扉を思わせるような形で存在しているのだ。多くの人は、それを目にしたら言葉を失うだろう。それだけ、奇妙な光景だからだ。しかし、如月は違った。その光の扉を数秒見つめた後、彼女は何かしらの結論に至った。そして、忌まわし気に呟く。
「野上麗、そういうつもりか…」




