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大原結衣は、意外にもすぐに見付けられた。
午前中、畑仕事の最中のことである。新藤が熱心に畑仕事に取り組み、こんな生活もなかなか悪くないと充実を感じていた。一度腰を伸ばそうと、視線を上げたとき…少し離れたところで大原結衣が歩いているのを目撃する。
新藤は「大変な作業ですね」と周りに愛想を振り撒きながら、畑を離れると、先程見た女性が大原結衣なのかどうか確認した。横から見ても、正面から見ても、写真で見た大原結衣であることは間違いないようだ。
「大原さんを見ているの?」
突然、横から話しかけてきたのは、下内だった。
「藤堂さん、彼女みたいな人がタイプ?」
「ち、違います」
「じゃあ、どうして見ているの?」
新藤は周りの目を気にして、できるだけ人がいない方に、下内を誘い出す。
「彼女と知り合いなんですか?」
「知り合いというか…あの人、少し有名だから」
「有名? どうして?」
「天才なんだって。普通の人なら、何回も夜の瞑想を重ねて、少しずつ扉が見えたり、少しずつ特別な力を使えたりして、覚醒するんだけど、あの人は違うみたい。凄いペースで色々と習得して、特別演習の参加者の中でも飛び抜けているから、スタッフだけじゃなくて、他の参加者にも注目されている。だから、私なんかでも知っているの」
「なるほど…」
新藤は、遠くで淡々と畑仕事を淡々とこなす大原結衣の背中を見つめる。きっと彼女は、ここで新しい居場所を見付けたのかもしれない。そう考えると、頑なにこの施設を出ないことも頷ける。
「有名だから見ていたんじゃないの?」
「え?」
下内が新藤の顔を覗き込んでいた。疑わしいと言わんばかりに眉を寄せた彼女に、どう答えるべきか、新藤には分からなかった。
「そうじゃなかったら、やっぱりタイプだったってこと?」
「いや、そうじゃなくて…」
「じゃあ、何で見ていたの?」
さらなる追い打ちに、新藤は目が泳ぎ始める。それを見て、下内は許すように柔らかな笑みを見せた。
「何ですか?」
と新藤はその笑みの意味を確かめるが、下内は首を横に振る。
「貴方と喋っていると、この世界の良いところを、何となく思い出しちゃうからさ。何て言うか…懐かしい気持ちと、自虐的な気持ちが同時に…」
下内は目を細めどこか遠くを見た。その表情に、新藤は手を伸ばしたくなるような感覚に襲われる。
「下内さんは…ここの生活に満足していないのですか?」
「満足しているわけないじゃん」
「でも、ここに理想の何かがあると思ってきたのでは?」
「そうだよ。だけどね。理想の場所なんてどこにもない、って確認できただけだった。ここが世界の果て。その向こうには何もない。私が行きたいのは、もっと向こう側なんだ」
「それって…どこに?」
「どこにもない。だから、本当はこの世界に順応できるよう努力した方が、幸せになれるんじゃないかって…少し後悔することがある。今更…戻れないけれどね」
「そんなことはないと思います。いつだって、どこからでも…人はやり直せるはずです」
「私には無理。弱い人間だから。それとも…貴方が支えてくれるの?」
「それは…」
新藤は言葉に詰まる。彼女は新藤の答えを待つように、数秒間黙って見つめてきたが、やがて求めている言葉は返ってこないと悟ったように、笑みを零した。
「明日香ー!」
それと殆ど同時に、どこからか彼女を呼ぶ声があった。下内は振り返り、手を上げて応える。
「ごめん。同じ班の人が呼んでくるから戻らないと。またね」
「…はぁ」
立ち去る下内の背を見て、新藤は胸を撫で下ろす。下内明日香という人間の内面に、どこか引きずり込まれるような感覚があったのだ。もし、あのまま会話を続けていたら、新藤は何かを失ったとしても、彼女を助けるために、力を貸すことになったかもしれない。そんな気さえした。
下内の姿が見えなくなり、大原結衣から目を離していた、と慌てて周囲に視線を巡らせるが、彼女の姿は最初に見た場所から、さほど離れていないところにあった。改めて安堵し、新藤は彼女を監視を続けた。
夕方、新藤は施設を抜け出し、林の方へ入った。如月に合流するためだ。昨日と同じ場所で、如月の姿はすぐに見付かった。昨日の夜から今日の午前中の出来事を報告したが、下内明日香から感じ取った何かについては、自分でも気付かないうちに伏せていた。すべてを聞き終えた如月は低く唸る。
「大原結衣を見付けたことは朗報だけど、ますます不穏な空気を感じるね」
「そうなんですよ。このままだと、大原結衣は向こう側の世界とやらに消えてしまうかもしれません。その前に、彼女を連れ出さないと」
「それもそうなんだけれど、あのときと類似している点があまりに多い」
如月は神妙な顔付きで説明する。
「これだけ似ているとなると、やっぱり背後には、同じ組織が絡んでいると考えられる。嫌な予感がしてならないな」
そう言えば、と新藤は思い出す。如月は、あのときの事件を終えた後、暫く沈み込んだ様子だった。何か思うところがあったのか。それとも…。
「とにかく」
如月が新藤の思考を遮る。
「早目に動いた方が良いかもしれない。できれば今日か明日、大原結衣にはコンタクトを取りたいところだ。それから、本当に異能者があの施設に存在しているのか、確認しておいてくれ」
「分かりました」
「じゃあ、これ」
如月が差し出したのは、帽子とサングラス、それからマスクだ。
「なんですか、これ?」
「変装セットに決まっているじゃないか。色々と探るとしたら、こういうものが必要だろう」
「……そうかもしれませんけど」
新藤はそれらを受け取り、解散する運びとなった。




