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新藤は、目の前に立ち塞がる孝弘を観察した。ただ棒立ちしている様を見ると、何か心得があるとは思えないが、決してここを通さないという、圧倒的な自信が窺える。そうだ、イスヒスだ…と新藤は思い出した。どれほどのものかは分からないが、孝弘は超人的な身体能力を獲得しているのだ。新藤は授業中に発言する生徒のように、右手を挙げた。


「悪いけれど、僕は暴力を使ってでも、陽菜さんと君を連れて行くつもりだ。でも、お互い痛みを伴うような事態は避けたいはず。穏便な解決を提案したい」


その提案に対し、孝弘は無言で答えるかのように、拳を持ち上げてみせた。新藤は溜め息を吐き、同じように拳を握りしめる。


先に仕掛けたのは新藤だった。数歩の間合いは開いていたが、それを一気に詰め、低い蹴りを放った。乾いた音が暗い通路に響き渡る。新藤が放った、脹脛を側面から狙うような一撃は、客観的に見ると地味だが、受けた人間は激痛を感じるものだ。


これは、人体の構造と言うべきか、我慢できる類の痛みではない。普通の人間であれば、崩れるようにして跪くことだろう。しかし、孝弘の反応は薄い。まるで、子供に小突かれた程度にしか感じていないかのように。


妙な感触だった、と新藤は思う。踏み込みから、蹴りの勢い、当てた場所。どれを取っても申し分ないはずだが…何かが変だった。普通よりも硬い…というだけでは説明できない、妙な感じだ。


新藤はすぐに距離を取って、孝弘の様子を見る。孝弘の不気味な反応に、新藤は必要以上に距離を取った。五歩分は離れている。これだけの距離があれば、どんな瞬発力を持った人間だったとしても、射程圏外のはずだ。


そのはずだったが、孝弘は例外だった。地を蹴った、と思ったら、五歩の間合いを一瞬で詰めてくる。たった、一歩で。これが、イスヒスの異能を持った人間の身体能力だ。


孝弘が瞬時に目の前まで移動したことに、新藤は少なからず動揺した。それでも、頭部に対する一撃は受けまいと、身を屈めると、頭上で何が通過したような音がした。見えていなかったが孝弘は、踏み込みと同時に、拳の一撃を放っていたらしい。新藤はバックステップでもう一度距離を取ろうと思ったが、あの踏み込みで追撃されては、今度は躱せない恐れもある。


新藤は低い姿勢のまま、孝弘の右側へと踏み込み、さらに背後へ回った。だが、孝弘は素早くそれに反応し、振り返って拳を放ってくる。新藤はそれすら躱し、今度こそ距離を取ったが、案の定、孝弘が踏み込み、鋭い追撃が頭部を狙って飛んできた。新藤は必要最低限に首を傾け、孝弘が放った右の拳をやり過ごしつつ、彼の腹部に一撃を叩き込んだ。カウンター気味に入ったそれは、かなりのダメージを与えられたはずだが…孝弘の追撃は止まらない。振り回すような左の拳が、新藤のこめかみを狙う。新藤は一歩下がって、それをやり過ごしたが、驚くべき現象を目にした。


新藤を捉えることができず、勢い余った孝弘の拳が、通路の壁を陥没させたのである。それを見た新藤の口からは、カエルが潰れたような音が漏れた。


「これは、いくらなんでも…」


通路の壁は、コンクリートだろう。それを陥没させるパンチを受けたとしたら、新藤の骨だって潰れることは間違いない。だが、脅威的なのは、彼の攻撃力だけではない。新藤の蹴りを受けた脹脛、カウンター気味に入ったボディブロー。孝弘は、どちらもダメージを受けていなかった。


イスヒスの異能は、新藤の想像を遥かに超える力を持っているらしい。どのように戦うべきか、考え直さなければ…。しかし、孝弘は新藤に考える時間なんて与えてくれない。


恐るべき破壊力を持った孝弘の拳が、またも飛んでくる。新藤は身を捌き、それをやり過ごしたが、孝弘の勢いは止まらない。一撃でも受ければ、大ダメージは間違いない、という状況に、新藤は回避行動を続けるしかなかった。どれだけの攻撃を躱しただろうか。


流石の新藤も、息が上がり始める。少し息を整えてから、状況を作り直したいところだが、孝弘はそれを許さない…と思われたが、彼の動きが止まる。打ち疲れだろうか。だとしたら、スタミナまでは超人というわけではないらしい。その辺りに、逆転の鍵があるのではないか。


そんな新藤の期待は裏切られる。孝弘は、攻撃を続けたことで疲れたわけではなかった。彼はフロアの方で何か騒ぎがあったことを察したのだ。新藤がそれを理解したのは、何者かが通路を走ってくる音を聞いたときだ。


「動くな!」


孝弘の後ろ…フロアの方から複数の何ものかが駆け付けてきたらしい。それが何者なのか、防護ベストや籠手を身に着けた姿を見て、新藤は瞬時に理解した。警察だ…。それを察してしまうと、続けて嫌な予感が脳裏を過った。


これは、成瀬さんと乱条さんが来たのかもしれない。それは状況が大きく変わることになる。新藤は後ろにいる陽菜と芳次を見て、どうやって脱出すべきか考えたが、同時に誰かの呻き声が聞こえた。視線を戻すと、警察らしき人物が、床に倒れ込むところだった。


孝弘を取り押さえようとして、返り討ちに合ったのだろう。さらに二人の警官が警棒を振り上げ、孝弘を抑え込もうとしたが、彼は警棒を腕で受け止めても、動きを止めることなく、すぐさま反撃に移る。あっという間に二人の警官が地に伏し、新藤たちがこの場を離脱するための時間は、なくなってしまった。

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