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如月は新藤が潜入してから、再び別の階でアイスコーヒーを購入して、会場から少し離れた場所から状況を見守っていた。時々、若い者が出入りするだけで、特に変わった様子はない。誰かが会場に出入りする度、入り口に立っている男たちは、笑顔を浮かべて軽く頭を下げる。先程の男は、シャツを着替えたらしい。
新藤は気付いていないことだったが、あの男は異能力者だった。鋭い感覚によって、視野が広がり、普通の人間よりも多くの動体を補足できる、というものだ。つまり、侵入者を防ぐ見張り役として、適任で、この異能を使えば、いくら死角を狙って彼の目を掻い潜ろうとしても、察知されてしまう。
それでも、新藤が会場に入り込めたのは、如月が異能キャンセルの力を使ったからだった。入り口で既に異能力者が配置されている。だとしたら、中はどうなっているのか。
「気を付けてくれよ、新藤くん」
如月が一人呟くと、彼女の視界にスーツ姿の男が張り込んできた。
「あれ、やっぱり。葵さんじゃないですか」
「……あら」
顔を上げて、その人物を確認すると、高そうなスーツに身を包んだ、端整な顔立ちの男が立っていた。長身かつスマートな体型は、モデルを思わせるが、やや緩んだ笑顔が軽薄な印象を与える。
彼が異能対策課の成瀬である。
「どうしてこんなところに?」
と成瀬は尋ねてきた。
「ただのショッピングですわ」
如月が作った笑顔を見せると、成瀬は肩をすくめた。
「今日はオフですか。だとしたら、一緒に食事でも…とお誘いしたいところなのですが」
「成瀬さんは、どうしてここに?」
嫌な予感があり、聞かずにはいられなかった。
「仕事ですよ」
「仕事、ですか…」
「はい。ここ最近、異能犯罪が異常なまでに続いてまして。それぞれの事件に関連性はないと思われていたのですが、なぜか学生による犯行ばかりでしてね。何か裏があるのでは…と調査を続けていたら、妙な組織が浮かび上がってきたんですよ。その組織を追っても、なかなか活動らしい活動を見せなかったのですが…」
成瀬はニヤついた表情を浮かべながら、視線をどこかへ向けた。その視線の先を追ってみると、例の会場の入り口である。これから、何が起こるのかは、想像に容易い。
「ここに葵さんがいる、ということは、我々は正解を引いたと言えるでしょう。私にとって貴方は、まさに幸運の女神です」
「そうでしょうか。足の引っ張り合いばかりしている気がしますけど…」
「どっちにしても、私と貴方は同じ運命線の上を歩んでいることは、間違いありません」
成瀬が誰かに合図を送るように、手を挙げた。如月は再び成瀬の視線がどこに向けられているのか確認すると、そこには知っている人物がいた。
眩しいくらいの金色の髪。まるでチンピラのようなスカジャン。明らかにガラの悪い立ち振る舞いで、どこかの不良娘に見える彼女だが、異能対策課の実行部隊とも言える人物、乱条である。彼女の姿を目にした如月は、苦手意識からか思わず呟いた。
「ら、乱条…」
十分に距離はあるが、その呟きが聞こえたかのように、乱条は挑発的な笑みを浮かべた。如月を見て、勝ち誇ったかのように笑ったのである。そして、彼女は背を向けると、例の会場の方へ歩き出すが…そんな乱条に付き従うように動き出したものがあった。完全防備した機動隊らしき、複数の人間だ。何十人…いや、百を超えるのかもしれない。
会場の入り口の前で立っていた男たちは、乱条たちを止めようとしたが、彼女は虫でも払うようにそれを跳ね除け、付き従う隊員が彼らを取り押さえた。
「異能対策課は少数精鋭…というか、人員を回してもらえなかったのでは?」と如月。
その指摘に、成瀬はくすぐったそうに笑った。
「いやぁ、苦労しましたよ。各所を回って、何度も説得して。今後も組織的な異能犯罪が起こることを説明してね、なんとか試験的にお借りできた、とうい感じです」
「成瀬さんが、そんな地味な仕事をしているとは…想像できませんね」
「やりたくないことは、やらない。そんな生き方を貫き通せるなら、そうありたいものですけどね。あ、そう言えば…」
成瀬は今思い出した、と言わんばかりに目を見開いて、辺りを見回した。
「今日は、新藤くんはいないのですか?」
皮肉のつもりだろうか。如月は笑顔で返す。
「今日はプライベートですのね」
「ああ、そうでした。プライベートな時間まで、彼を引き連れていては、葵さんも休まりませんよね」
何がおかしいのか、成瀬はくつくつと笑う。如月はそれについて、何かコメントする気にはなれなかった。
「では、私はここで」
と如月は去ろうとした。成瀬は笑みを浮かべる。
「そうですか。また異能絡みでお手伝いできることがあれば、ご連絡ください。もちろん、プライベートなお誘いも待っていますよ」
如月は踵を返し、その場から立ち去るが、背中に成瀬の勝ち誇った笑顔が張り付いているような感覚があった。
角を曲がって、成瀬に追跡されていないことを確認してから、新藤に電話をかける。乱条が来ている、ということは、穏やかな話し合いによって、あの会場内にいる若者たちを説得するわけではないだろう。だとしたら、陽菜と孝弘の身について、決して呑気に考えられるものではない。
新藤はなかなか電話に出ない。
既に込み入った状況となっているのだろうか。それでも如月は電話をかけ続けた。




