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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
1. はじまり/日常風景
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5. 邂逅②


 それは、こんなところにはあまりに不釣り合いの言葉だった。

 あるはずもない対象の名前であり、ありえないものの、はずであった。

 ぴしりと音がしそうな勢いで、場の空気が完全に凍りついた。

 椋もフリーズした。なに、なんだって、カリアが、……「ラピリシア」。

 気づけば椋は、何事かと店に出て来た店主へと声を張り上げていた。


「ごめんおやっさん、俺の客! ちょっと二階貸して!」

「……っ、リョウ、」


 色々とないまぜの表情で、カリアが名前を呼んでくる。椋を訪ねてきた青年は、ひとまず状況の静観を決めたらしく無言だ。

 だからこそ椋は声をあげた。場所を移し他人の目を遮断するために。いま、絶対に、こんな人目の多いところで口にされるべきではない単語が飛び出た。椋でも、それくらいカリアを見れば分かる。

 クラリオンは、酒と情報を売る店だ。よって一階は酒場、二階と地下は、情報や依頼のやり取りを行うための特別な個室が複数設えられている。クラリオンの古株の店員は、酒場よりも「部屋」を回す業務を多く担っていたりもする。

 とはいえ、まだクラリオン歴一カ月半の椋には「まだ早い」。

 のだが、クラリオンの主、ガルヴァスは察してくれたらしい。妙に不敵な、面白がるような表情で、笑って椋に頷いてくれた。

 特殊な加工の施されたカギが、無造作に椋に放られる。


「今空いてる部屋はそこだけだ。さっさと行け。部屋代はあとでしっかり聞かせて貰うからな? リョウ」

「ありがとう。おやっさん」


 我儘に礼を伝え、二人へ向かって椋は目くばせする。

 相変わらず、場の視線はすべて椋たち三人に釘づけだ。明日の常連さんたちが怖い、というかまず終わった後のクラリオンのみんながまず怖い。思いつつ、椋は厨房から階段へ足を踏み出した。

 無言の二人があとに続く。最低限の明りしか使われていない階段は、全体的にぼんやりと薄暗い。

 薄暗い空間で三人分の影と足音が、じゃっかん軋む木造の階段に響く光景はそこそこホラーだった。


「ん、ああ、ここだ」


 改めて、渡されたカギの番号と辿りついた部屋の番号とを確認する。確認して驚いた。この二階では一番上等な部屋である。まだ椋は、一度も足を踏み入れたことがない場所である。

 しかし驚いている暇もない。椋はカギをあけ、扉を開いた。先に「客人」であるふたりを中へ入れ、自分もあとに続く。

 自分の常連、と言っていいくらいクラリオンに通ってくれているカリアはともかく、彼もよく、黙って従ってくれているものだ。今更ながら不思議に思った。


「どうぞ。座って楽にして下さい。何か飲み物などの注文はございますか」


 微妙に所在なげな二人に椅子を勧め、従業員としての対応マニュアル通りの言葉を椋は口にする。こんな不測の事態にも、つるっと言葉が出てくることにまた驚いた。やはり一ヵ月半というのは、決して短い時間ではない。

 しかしどうやら「いつも通り」だったのは椋だけだったようだ。

 何とも言えない微妙な空白ののち、ふっと男の方が不意に笑った。


「昼の一件からして普通ではないとは思っていたが、本当に妙な男だな、おまえは」

「そうね。見た目も含めて彼くらいに変な人間を探すのって、アンブルトリア広しといえど、かなり難しいと思うわ」

「ひどいな」


 普通に失礼な形容に、カリアまで笑って乗ってきた。というか続いたカリアの言葉のほうがひどかった。

 椋は肩を落とすが、一方の男は、はっと彼女の前で居住まいを正した。当然のようにそうする彼の様子に、カリアは、諦念めいたひかりを瞳に揺らした。

 笑い切れない表情のまま、小さく首を振る。


「残念。折角今まで、ただのお客でいられたのに」

「……閣下、」

「別にあなたのせいじゃないわ。今まで誰にもバレなかったのが奇跡みたいなものだったのよ」


 カリアの声は静かだが、薄い笑みは硬く、あきらめている。

 思わず椋が声をかけようとした瞬間、ひとつ小さく彼女は指を鳴らした。場違いに軽やかな音を耳が拾う。椋は動きを止め、次には、生じた鮮やかな変化に目を見開いた。

 愕然とする椋を映す瞳は、透明度の高い、うつくしい金色に。

どこか所在なげに中空で揺れるツインテールは、一切の混じりけのない白銀に。

 どくん。

 ひとつ、妙な具合に心臓が鳴る音を聞いた。


 ――少女の瞳には強き金、髪には禍を弾く銀。


 過去に目にした文章を、勝手に脳が再生する。

 まさか、いや、でも。自分の「識って」いるものと、今目の前で起きている現実がうまく重ねられずに椋は混乱した。

 心臓の跳ねが、おさまらない。二度三度、五度六度と重なっていくそれは既に動悸だ。何かが変わる、変わり出す予兆にも似ていて、そこから先なんて全く想像がつかない。

 ともすれば呼吸することすら忘れそうになる。奇妙な息苦しさが頭痛まで意識の端にひっかける。強いて意識しないようにしていた疑念が、椋自身は意図しないうちに、勝手に取り払われてしまう。

 ただ愕然と言葉を失うしかない、椋の様子を果たしてどう思ったのか。

 金と銀とを宿す少女、カリアは困ったように曖昧に、笑った。


「ごめんね、リョウ。だますとか、そんなつもりじゃなかったの。……ううん、ウソついて何も言わなかったんじゃ一緒ね。甘えていたの。あなたに。あんまりあなたが、私に、なんでもないみたいにしてくれたから」


 目前の少女は苦笑う。どう見ても十八にも届くかというくらいの少女が、当然のように閣下と呼ばれ居住まいを正される少女が、謝罪の言葉を述べる。

 男が目を瞠る。何か途轍もないものを見ているかのように。

 それはこのカリアという少女の地位が「簡単に他人に謝罪などしてはならない」ような高いものだ、ということに他ならなかった。


「閣下、あなたはなぜ、……ここに?」


 静かに、男が口を開く。

 尋ねる言葉も口調もすべて、丁寧で物腰低く、控えめだ。つい先ほどまでの椋のそれとは、まったく比べ物にならない。

 緑の瞳をした浅黒い肌の男に、なにか納得したような表情をカリアは浮かべた。


「リョウに助けられた貴族の家のものというのは、ルルド家の使用人のことだったのね」

「はい」


 きっぱりと言い切り、やはり今でもどう見ても貴族である男はまっすぐ椋を見る。

 向けられる表情はどこまでも真摯だった。鮮やかな緑色の目に、澱みや打算は一切何も見えなかった。ゆえに、逆に椋は混乱した。

 いまのやりとりを見るに、この青年は「団長」にも名前が通っているような人間、らしい。そんな人間がこんなところまで、ただ一般人に、平民に礼をするだけのために足を向ける。ぜんぜん普通じゃない。

 むしろ宮廷直属の騎士、魔術師というのは、強さは確かだがプライドも高く、傲慢で、下手に触ればこちらが要らない怪我をするような人間も多い、らしい。だからおまえみたいな不用意なやつは余計に気をつけろよ迂闊に触れるなよ! 既に何度も椋は言われていた。実際、そんな光景にはち合わせてしまったこともあった。

 よって、どうしても同じような否定を、また椋は口にしてしまう。


「いやあの。俺、本当にぜんぜん、なにもしてなくて」

「リョウ、さっきも言ったでしょう? あなたのなにも、って、全然当てにならない」

「うぁ」


 しかし必死の否定の言葉は、あまりにもざっくり、カリアに切って捨てられた。

 思わず零れた椋の情けない声に、彼女はどこか楽しげに相好を崩す。カリアいわく騎士らしい青年も、はっきりと表情は変わっていないものの、どこか椋を面白がっているように見えた。

 なぜか庶民な自分の前に、騎士、らしい男と、団長、と彼から呼ばれるような立場にあるらしい少女が目の前にいる。

 意味が不明な展開である。口を開けない椋に、もう一度ふと笑ってカリアが口を開いた。


「改めて、自己紹介をさせてもらうわ、リョウ。私はカリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシア。第四魔術師団「シーラック」団長にして、アイゼンシュレイムの名を戴くこの国の筆頭貴族の一つ、ラピリシア家の現当主よ」

「そう言えば俺も、名乗っていなかったのだったな。第八騎士団「リヒテル」第六位階騎士、クレイトーン・オルヴァだ。今日は本当に助かった。あれはうちの古参の者で、俺も妹も、随分世話になっているからな」


 がつん、とか、どん、とか。

 頭をぶん殴られたようなショックが、二回来た。

 おまえもか、非常に勝手な感覚が椋の胸に沸く。思い出した。またひとつ、がちりとピースがはまるような感覚に手足がしびれる。


 ――カリアは表情を変えない。敵へ己の存在を名乗り、その金と銀とをもってまっすぐに相手を見据える。

 ――これで終わりか、と、クレイの静かな緑の目が問う。まだかすり傷ひとつどころか、息すら切らしていない。剣先は決してぶれず、少しでも気を抜けば、正確に急所を狙い貫いてくることだろう。


 それは、描かれようとした物語の「ヒロイン」の名だ。

 「彼」の指導役である、青年の名前だ。

 金色の瞳と銀色のツインテールを長く伸ばした、若くして多くのものを背負う魔術師の少女。短く切りそろえた砂色の髪に緑の目、この国の人間とは違う、浅黒い肌をした、己の実力ひとつでのし上がった騎士。

 頭痛がしてきて、椋は思わず頭を抱えた。足元がふらつくような感覚まである。

 ああ、やっぱり「そう」なのか。どこかで思っていた、何も知らないはずなのに、妙に知っているような感覚。それはお金の単位であったり、時間の数え方であったり、市井の生活における魔術の浸透の具合であったりした。

 礼人。

 おまえの書いてたヒロインと、主人公を支える兄貴分の男が、俺の目の前に。


「……リョウ」


 不安そうな声で、カリアが椋を呼ぶ。

 だが応じられない。変に笑いたくなってくる。ただでさえいきなり放り出されてわけがわからないのに、なんでまた放り出されたその先が「おまえの世界」なんだ。

 驚愕と衝撃が、目の前で渦を巻いている。

 うまい言葉が見つからない。沈黙するしかない。それが、不釣り合いに身分の高い人間に丁寧な態度を取られたため、そう思われることを椋は願った。なんとか自分の中身を立て直そうとする。事実を、事実として受け止め整理しようとする。少しでも。

 ただ衝撃を受けていても、事実を拒絶しても何にもならない。

 ぐっと一度目をつむり、ひらく。前を向いて、笑って見せる。


「……俺みたいなやつに、過ぎた言葉を、ありがとうございます」

「リョウ?」

「あれは昔、少しだけならった知識を使っただけなんです。知ってさえいればほんとうに、なんでもないことなんですよ」


 ほんとうを見せてくれた二人に、嘘は言わない。だが同時に、すべての事実を口にもできない。

 まず、ただ静かに、クレイに向けて椋は言葉を発した。最終的に何もないままこの場を収めるために、軽くわらう。その笑みが、それなりにきちんと笑顔に見えていることを祈る。

 半分、自分でも何を言っているのか分からない。


「だからクレイさん。もし俺に何かして下さるつもりなら、ここ、贔屓にしてやって下さい。値段の割に量は多いし味もいいって、このあたりじゃ結構評判なんですよ」


 妙な疲労感を覚えつつ、それなりに「まとも」な言葉が出てきたことにほっとする。

 口先を滑り出た言葉は、たぶんそれなりの筋が通っている。折に触れて素っ頓狂な質問をして皆を爆笑させるような新米従業員にしては、店のことも考えた、悪くない発言だと、思う。

 しかしそんな椋の言葉に、怪訝に彼は目を細めた。


「具体的な褒賞は何も、要らないと?」

「ええ、本当になにもしていませんし。……それと、」


 そこまで彼と話してようやく、椋はこの場にいるもう一人に改めて視線を向けた。

 それはどう考えても「大貴族の当主様」に対する態度ではなかった。しかし、カリアは椋を怒るどころか、何かを恐れるように、びくりと細い肩を震わせた。

 安心させるように、そっと笑って見せる。


「これからも俺は、きみをカリア、って呼び捨てにしていいの?」

「……リョウ」


 驚きに金の瞳が瞠られる。そのまままっすぐ見つめていると、徐々に怖がるような緊張は消えていった。かわりに、どこかほっとしたような微笑みが浮かんだ。

 純粋に、きれいだと思った。

 まだ知り合って半月だが、その半月で椋は知っていた。カリアは優しい。人を遠ざけてしまいそうなくらいの美貌とはうらはらに、年相応の幼い表情も見せる、ひとりの女の子なのだ。

何にも一生懸命で、甘いものが好きで、何でもない椋の日常の話に楽しそうに耳を傾けてくれる。様々なことを知っていて、もの知らずの椋に折に触れ教えてもくれて、かつ、明らかに奇妙で訳ありな椋に、過剰な干渉はしてこない。

 ひとりの客として、それ以上に友人として。

 椋にとって、彼女はありがたい存在なのだった。――それに。


「リョウ」

「はいはい」

「今日はあなたも含めて、ここで飲ませて」


 金色の瞳が、綺麗に明りをはじいて光る。こんな状況で彼女のお願いを断れる人間がいるなら是非とも紹介して欲しい。

 更に空気を読んだクレイもまた、カリアの言葉にさらりと乗ってくれた。


「その支払いは全額、私がいたします。リョウ、それでいいか」

「はい。わかりまし――」


 た、と。

 久々に普通に酒を飲んでも怒られなそうな機会の到来に、多少の嬉しさも感じつつ返事をしようとした、そのときだった。


「!」


 それまで穏やかだった二人の表情から、一瞬にして甘さがすべて抜け落ちた。

 その変化に椋が驚く間もなく、邪魔になったらしいフードとマントを、乱雑にカリアが投げ捨てる。物凄い勢いで部屋のドアをクレイが開く、次の瞬間、階下から響いてきたのは悲鳴だった。


「きゃあああああっ!!」


 しかもその声の主は、滅多なことで動揺などしないはずの、下手をすれば椋よりずっと肝の据わっているはずの従業員の一人の声。

 何が何だか分からない椋を置いて、険しい表情を浮かべた二人は階下へ向かって走り出した。




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