1. もう一度の日常へ
吟遊詩人は高らかに歌う。闇を切り裂く閃光は、唯一無二の殲魔のひかり。
聴衆は身を乗り出し息をのんで、新たな「奇跡」に酔いしれる。彼らの「王」は帰還した。おそらく誰の意図をも超えて、ひかりをもって、国の禍を祓って見せた。
悪夢のような長い夜は、そのとき希望に成り代わった。
椋が顛末を知ったのは、収束と終息を告げられたのは、絶望のさなか、何もかもが尽き果てて、患者の手を取ることもできなくなりかけた頃合いだった。
「リョウ! この兄ちゃんにこれと同じの追加で!」
「こっちの注文、まだか! 遅ぇぞーリョウ!」
「リョウ、あたしたちのも注文ー追加!」
「あーあーはいはい! なんで全部俺に言うかな!?」
吟遊詩人の語りが終わり、やんやの喝采が降り注ぐ。あっという間に喧騒が戻り、かわらないクラリオンの光景に、椋も笑顔で仕事をする。
彼がいままで紡いでいた歌は、現在のアンブルトリアで一番人気の題目だ。
王都を襲った異常事態と、すべてを滅ぼさんとした魔物、そして、絶体絶命の危機に、颯爽と現れすべてを救った「光の王」。当時聞いたより具体的な「討伐」の顛末などは、吟遊詩人たちの語りで椋は知った。
始まりと同じく、あまりにも唐突にアイネミア病は終息した。
夜の闇ごとはらうように、天を灼いた白の光。魔物、オルグヴァル【崩都】級が討伐されると同時、新たな患者の発生はぱたりと途絶えた。三度目のショックを起こしかけていた、死に瀕していた男性は、何とか駆け付けたひとりの施術によって回復し、そのあとはもう、なにも起こらなかった。
魔物が消滅した後は、もう、何も起こらなくなった。
あのとき椋がヨルドと背筋を凍らせた「仮定」の真実味はさらに増した。
だが。
――証明はできなくなったな、これで。どうやっても。
――どういうことですか? だって、
――状況証拠だけじゃあ弱い。……もちろんああする他に、誰もどうにもできなかっただろうけどな。
だから、ほら、あともう少しだ、と。
混乱する椋にさらにわからないことを言って、少し苦く笑ってヨルドは彼の背を叩いた。
「リョウ!」
「おーい、リョーウー!」
椋の日常は、以前とほとんどかわらないものに戻った。
変化はほんの少し。椋が、何かにつけて、お客さんたちから親しみをもって呼ばれるようになった。この東区画のみならず、西区画にも、ずいぶんたくさんの知り合いができた。
本当は、辞めようと思っていた。
あの日一日で見られただけでも、あきらかに椋は「普通」ではなかった。いくつも「異常」の知識を振るった。魔具を使い、患者を助けようとした。カリアが――特異の金と銀をもった少女が椋を呼んだことも、彼女に言伝を頼んだ相手が「あの」ヘイル夫妻であったことも、なにひとつとして、ふつうじゃなかった。
だが椋の言葉は、言いたいことの半分にも満たないうちに打ち切られる。
「リョウ、できた?」
「出来てるよ。そっちの赤い縁の皿は二階の三号室用、緑のやつは六番テーブル」
「了解っ」
むしろおまえが何をした、と。
俺たちを何だと思ってる、と、そう、その場にいた全員が口をそろえた。
――あのなあ、おまえが変なのなんて最初から知ってる。言っただろう。
――それが今更、ちょおっとわかりやすくなったところで何だい。そもそも、まだうちとあんたの契約期間は切れちゃいないよ?
――無魔でも人を助けたい、誰かの力になりたい。そうやって、言い張って、必死になって、あちこち走り回って自分のできること探して、探して、やってのける、とか、さぁ。
――ね。……ねえリョウ、あんたはね……
あのとき向けられた言葉を反芻するだけで、口元がむずむずする。
ごまかすように椋は咳払いした。次へ取り掛かりながら、口を開く。
「ともあれ、みんなが元気になってホントによかったよ」
「まったくだ。ああいうことがあるとしみじみ、健康の大切さを思い知るよな」
半ば独り言だった声に、予想外に応えが返る。視線をやった先には、ケイシャが笑顔で立っていた。
心底楽しげな彼に笑み返す。あっちはそれ、そっちはむこう、ほかの厨房担当からの言葉にケイシャは頷き、上機嫌にテーブルへ向かっていった。
椋が今回思い知ったのは、健康の大切さだけではない。
自分が勉強不足であること、経験なんて皆無であること。
それこそ、助けてもらわなければ本当にほぼ無力だ。所詮、椋は学生でしかなく、フィクションのようにカッコ良く人助けなんてできない。
もしもヘイがいなかったら、ヘイがあの魔具を、試作品段階とはいえ完成させてくれていなかったなら。
ショックで倒れる患者を前に、椋は何もできなかった。きっと、ただ患者たちが命を落としていくのを、呆然と見ていることしかできなかった。
「……ん?」
軽快にドアベルが来訪を告げる。瞬間、入口周囲が妙にざわついた。
目を向けると、対応していたユディがこちらに向かって手招きする。左右を見るが、彼女が呼んでいるのは椋だった。
彼女の隣には、燕尾服にアスコットタイ姿の、妙に違和感がある男が立っていた。
やたら眩い美形である。どんな俳優も裸足で逃げ出しそうな彫りの深いはっきりした顔立ちに、プラチナブロンドの長髪、深い青の瞳。そして違和感である。まずこんなところにいるのがおかしいとんでもオーラなのだが、何というかそれ以上に大変「しっくりこない」。
所謂執事服の、恰好が似合っていない、わけではない。だが、どうしたって違和感しかない。
椋の姿に男がにこりと笑う。それだけで女性のみならず、男衆までもぽかんと口を開けた。
なんだこれ。何をまともに考えるより前に、彼はさらりととんでもないことを口にした。
「主命よりお迎えに上がりました。リョウ・ミナセ様」




