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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
4. やみにも征くは
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13. 絶望にひかり降る

2話同時に更新しております。

前が短くて申し訳ないのですが、ページを変えたかったので…!


 そのとき起こったことを、ニースは理解できなかった。

 個としての許容量など、軽く超えそうな大音声が鳴り渡る。おぞましい限りの振動に、聴覚どころか、視界すら一瞬真っ白になった。彼が視界を、聴覚を取り戻したときには、その増殖を抑えるための氷の魔術がすべて木っ端微塵に砕け散っていた。

 愕然とする。慌てて、誰かが術式を構築しようとした。だがオルグヴァル【崩都】級が「哂った」。こいつオルグヴァル【崩都】なんかじゃねえだろ、震えながらつぶやく声が聞こえた。無理もない、先ほどまでその根部を抑えていた魔術は、魔術師団の魔術師二小隊分の魔力が持続して消費されていた。そんなものを破るオルグヴァル【崩都】級など、例がない。

 有り得ない。有り得ない。有り得て良かろう、はずもない。

 しかし目前の現実は、いくら否定しようと変わることはなく。


「……っうわあああああああ!!!」


 最初に声を、あげたのは誰か。魔術師か、あるいは騎士であったか。

 どちらでもいい。どちらでも招かれる結果に変わりはない。あまりの事態に、ほぼすべての人間が我を失った。呆然とその場に竦み、本来取るべき集団としての行動を忘れた。統制も、命令も何もかも忘れて逃げまどおうとした。

 集団が、無力な烏合の衆と化す。愚昧を、無力を嘲るように、その身を喰らい尽くさんと、一面に触手がびちゅびちゅと盛り上がる。大挙して押し寄せる、ひとつでも多く、喰らおうとする。

 ニースの思考が戻ったのは、その接触の直前だった。迫る触手、咄嗟に防護の氷壁を展開――襲い来る触手の数があまりに多すぎる、間に合わない。

 薄氷が、甲高く破砕音を鳴らす。

 触手が衝突する瞬間、氷は触手もろとも、欠片すら見えなくなるまで一気に粉砕された。


「あ、あああ、あ、」


 ぴくぴくと、おそらく不随意にであろう「誰か」の指が視界の端で動く。

 振り返ってやる暇がない。まだ全方向にぎちゅりと触手がうごめく。一瞬前には生きていたものたちが、物言わぬ串刺しの屍へ変わり果てていた。

 鉄錆びた異臭が蔓延する。

 触手はニースの行動など待たず、ひと息にそれらを己の元へ、がばりとおぞましく開いたその大口へ引き込み―――喰らいついた。

 肉と骨の咀嚼の音。


「……っ!!」


 あちこちからめちゃくちゃに投げつけられた魔術が、すべて異常な方向に跳ね返った。

 ぎゅいぃいいいい、あがる声はまるで歓喜のようだった。根部が、急激な伸長を開始する。ぐちゃり、ばきりと容赦のない粘着質の鈍い音が響き渡る、次々に「それ」の大口の中で、惨劇が展開され続ける。

 己の触手もろとも、オルグヴァル【崩都】級は人間を喰らった。放り込み、咀嚼し、そのたびに甲高い歓喜の雄叫びをあげた。

 五度目の咆哮と同時、それまで潰し続けてきた両翼が、突如爆発的に再生した。比喩ではなく、そのとき羽が爆ぜた。悲鳴がまた増える。触手を斬った男がさらに苦悶の絶叫をあげる、剣が、手が、腕が!! 振り返ってやる時間がない、確実に、どうしようもなくろくでもない。

 文献の隅に参考として、小さくしか記載されてはいなかった「事実」。

 それが現実となりかけていることに、愕然とする暇もない。またも歓喜めいた魔物の絶叫、痺れたままの鼓膜が更に麻痺していくような感覚、その翼が生み出す、禍々しき烈風。

 異常なまでの圧に、呼吸が押し込められた。その風もまた、それまでニースたちが受けて来たものとはまるで比べ物にならない。

 三度目の圧迫で、疲弊の蓄積したニースの身体は限界を超えた。


「……ぐはっ!!」


 受け身も取りきらぬうちに、巨大な瓦礫に叩きつけられる。ぎしりと胸の内側で骨が軋む音。しかし痛みに顔をしかめる時間すら惜しんで、ニースはその場から渾身の力をもって跳躍する。

それでも脛がえぐれた。

 命が刈り取られる、絶叫がまた不協和音になった。

 騎士が、魔術師が、全身のありとあらゆる場所を貫かれていた。烈風にニースと同じように吹き飛ばされたものの多くが、その一瞬にして彼らへ降り注いだ、或いは地面から這い出てきた触手の犠牲になった。

 噴き出る鉄錆びた血の匂いが、瞬く間に嗅覚を蹂躙する。

 まだうごいている。睨まれた気がした。脚を引きずり、彼は避けた。触手は縦横無尽に動くものへ躍りかかる、ニースの防護の術式が、ぴきりと不吉にひび割れる音を立てた。


「第三位階未満の騎士および魔術師は下がれ!!」


 声を張り上げたその瞬間、肺腑に突き刺さるような痛みにニースはえづいた。

 身体の損傷は、確実に重大だった。しかし今、こんなところで己が引き下がるわけにはいかない。下がることはできない。ただの事実だ。

 彼の主の術式は、まだ砕けてはいない。

 だが、確実に薄くなっている。すでに同じものが三枚、場には張り直されている。だがここまで想定外が続いてしまっては、たとえ最上級の防護結界であっても、この異常のオルグヴァル【崩都】級のすべてをその内側に封じ込められるかどうか。

 歓喜の咆哮をあげて「芽」が伸びる。非常識なまでの速さに、誰かが絶望した。

 時間の浪費である。この魔物、常識が通用しない、奇妙な進化を続けるオルグヴァル【崩都】級を倒す。彼らにはそれ以外、できることなど何もない。今ここでひざを折って逃げ出したところで、こんなモノの「開花」など、想像を絶するろくでもない惨劇しか呼ばないだろうことは容易に想像がつく。

 彼らは最終防衛ラインにいた。

 砕けた瞬間、この国の未来は確実に蹂躙され、絶たれる。


「――火を、炎の魔術を使え!!」


 命令とともに、焔が爆ぜる。

 そのあかあかとした輝きは、瞬間、狂乱した前線さえも鎮めて見せた。ただわらっていた魔物の絶叫と黒焦げる物体をもって、確かな有効性を示して見せた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。焔が投げ込まれ始める。鎮められた思考が、理解を始めていた。

 氷の魔術がすべて砕かれてしまった以上、今できるのは「一つでも多くを燃やすこと」しかない。上へ上へと延びようとする、その頂点に「花」を咲かせようとするオルグヴァル【崩都】級の妨害をすること。それしかない。

 仮初にも、混乱は一つの意識へと収束する。――燃やし尽くせ。あれを。


「【焔よ】」

「【生まれし炎よ】

「【煉獄の赫焔よ】!」


 次々、各々を鼓舞するように火が上がる。叩きこまれる魔術に、ようやく襲い来る触手の乱舞がわずかな緩みを見せる。

 その隙を見逃さず、騎士たちが剣を、槍を、己が得物をかかげて走り出す。魔術師たちはその切っ先に炎の術式を宿し、四方で展開される術式紋が、まるで華のように中空へと開く。

 オルグヴァル【崩都】級との交錯の瞬間、それまでよりさらに規模の大きい炎の爆発が起きた。

 爆ぜる炎の爆音は、魔物の絶叫で即座にかき消される。鼓膜が痺れる不快の感覚、触手の動きが低下する、切り刻まれる。数人分の風が連なった刃が、その背におぞましく広がる翼の、一方を切り落とすことに成功する。

 しかし、足りない。――足りない。


「【撃て、掃え。礫は守り護るもの、隔て、礎の不動に渦巻くもの】」


 ニースに焔の魔術適性はない。使えないわけではないが、彼の得手とする氷の魔術とは比較対象にもならぬほどに、使用効率が落ちるのだ。

 ゆえに彼は、炎を打ち込む魔術師たちを守る側へ立った。死角ばかりを狙う狡猾の触手を、飛散する零下の礫をもって打ち掃う。掃う、掃う、掃う。

 だがまだ足りなかった。時間が、力が。

 押し潰すには、あまりにも足りない。枝葉は、燃やされていく中でも伸長を止めない。黒々と、消し炭にされながらものびる。上へ、上へ、まるで、破滅への階段のようだった。

 何度目かに撃ち放たれた炎に、どう、と大きな音をたててオルグヴァル【崩都】級が倒れた。

 しかしそれでも、まだ足りない。

 本体の攻撃も防御も棄て、ひたすらの伸長を続ける枝葉を止めるには足りない。

 うそだろ、呟く声を無視する。ひたすら伸び続ける枝葉は、己の残滓すら喰らいながら、その眼球の位置にまで到達する。

 焔はない。

祓いの、絶対の焔はあらわれない。


「お嬢様、」


 結界はまだ、壊れていない。最年少の団長ながら、既にこの国最強の焔遣いとも綽名される己の主をニースは思う。

 あなたはいったい今、どこで、なにを、


「まずい、っ火力をあげろ、総員、斉射……っ!!」


 そのとき。

 今度こそ完全に、場で意識を持つ全員が、色という色をすべてなくした。

 頭部の頂上まで、枝葉が伸びる。もはや何かも分からぬ飛礫が投げつけられ刃が枝葉を刻み、襲来する焔がすべてを燃やそうとする、魔物のさらなる絶叫が響き渡る――止まらない。

 オルグヴァル【崩都】級の全身が、その全てを一点に集中させるかのように急速に萎しなびていく。代わりにその一点、頭頂部に、濁った緑色の蕾のようなものがかたどられ始める。

 間に合わない? 現実になっていく悪夢に、思考すら凍りつきかける。

 あらゆる魔術の驟雨の中、蕾は決して朽ちることなく。

 その色を徐々に、そして確実に赫めいたものへと変化させていく――




「――――――【この手が抱くは殲魔の光。遍く祓い、暁を降つ、無二の時告げの刃なり】」




 赫に色づいた花弁が、今にも開こうとした瞬間。

 その中心を貫いたのは、何にも侵されることのない「白」だった。




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