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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
4. やみにも征くは
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11. いくさするものたち B



 全身の気力を振り絞り、パチンと一度、柏手を打つ。

 打ち合わせた手のひらを、次には、患者の方に椋は向けた。指輪からあふれた透明度の高い赤色の光は、ふわりと患者の全身を包み、身体にしみ込んでいく。

 包む光が弱まるにつれ、蒼白だった患者の顔には徐々に赤みが戻り、手指にも温度が戻っていく。


「……っ、あの、」

「まだ、しばらくは休んでいてくださいね」

「あ、あ、……ありがとう、ありがとう、ございます……っ!!」


 おそらく患者の家族だろう。今にも泣きそうな顔で、足元にも縋りつきそうな勢いでお礼が述べられる。次々降り注ぐ重い言葉に、やんわりと、椋は笑顔を向けた。

 現在の椋は、自身の宣言の通り西区画にいた。考えていたより、かなり早めの到着になった。

 カリアに押し出された後、椋は帰る路の途中、追加の指輪を持ってきたというヘイと合流した。椋から話を聞いた彼は、そういうことならさっさと行くぞと、なんだかよくわからない魔具を使った。ぐにゃっと目の前が曲がったかと思ったら、次には西区画のとある酒屋の目の前だった。

 なにも大丈夫じゃなかった。

 心配事はかなしいほど尽きなかった。

 だが今の椋には、自分の感覚と向き合う時間もない。東と違い、西区画の患者は切れる様子がなかった。

 思う間にも、また人を呼ぶ声がする。患者がいて、自分のできることがある以上、椋は足を止めるわけにはいかなかった。

 クラリオン近辺の光景をして「地獄」と形容をした椋だったが、西区画の状態は、さらに輪をかけて深刻だった。

 もう、数十人が息を引き取ったと聞いている。所狭しと歩きまわり、治療にあたる人々の顔はみんな蒼白だ。こんな状況に慣れているわけもないだろう見習いや若い魔術師はおろか、先ほど顔を合わせたヨルドとアルセラまでもが同じような顔色だった。

 あまりにも、異常事態が過ぎた。

 彼らの疲弊は即ち、それだけの事態がここで起きているということに他ならなかった。


「やってやれねえもんでもねェが、確かに生易しいモンじゃねェなあ、リョウ」


 後ろからの声に椋は振り向く。それは三回の使用を終え、ウエストポーチの端へ指輪を放りこんだときだった。

 即座に合う目線、そこにはヘイが斜に笑みを浮かべている。だが言葉の通り、その表情はいつもより明らかに曇っていた。

 曰く「それなり」の腕の魔術師ヘイは、今、椋とともに治療にあたってくれている。

 とはいえ、ヘイの顔色は「まだ」マシだ。


「真ん中だけ、使うのが?」

「もともとそんな状況、まったく想定してねェからな」


 肩をすくめてこともなげに言うヘイ。彼は今、神霊術の「真ん中」だけを治療に使っている。椋を信じ、言葉の通りの治療を実行してくれているのだ。

 しかし同じことを伝えたヘイル夫妻曰く。


 ――これから、突然上と下を抜け、って?

 ――そもそも境界がどこだ。……うーん、失敗して無駄にする魔力のほうが多そうだな。


 渋面でそんなことを言われた。そうだろうなあと思った。もともと「ひとつのもの」として、ずっと使われ続けてきたものを突然分割し、ひとつだけ使えと言われても椋だって困る。

 おそらく、できるのは「ヘイだから」なのだろう。ここ数日ずっとそれぞれの術式紋と向き合い続けてくれた彼だからこそ、術式を「分解」することも可能なのだ。


「なあヘイ」

「ん?」

「あ、っ誰か、誰か来て……っ!!」


 会話らしい会話を交わすよりも前に、切羽詰まった叫びがふたりの耳朶を打つ。

 ごめん、あとで。首を乱雑に横に振って、その声のした方向へと椋は速足で向かった。

 気持ち的には走りたかった。が、そうできないほど、確実に、椋には疲労が蓄積していた。一度は椋を追おうとしたヘイもまた、すぐさま別の所であがる悲鳴の方向に向かう。

 ようやくひとり落ち着いたかと思った次の瞬間には、どこかでまた呼ぶ声が響く。

 ここでは絶えず、治療者が動き続けねばならなかった。誰の顔にも、安寧など欠片もない。

 なんで? どうして? 何がどうなってこんな事態に?

 新たな指輪を取り出し中指へと嵌めながら、椋は改めて表情を引き締める。


「早く! こっちだ!」

「あ……っここ、こっち、はやく、お願い……っ!!」


 人の波に押されるように、倒れ伏した患者の元に向かう。

 そこにいるのは壮年の男と、小さな女の子の二人。一度に二人が倒れている光景も、既にここでは珍しいものではなかった。

 何が違うんだ。考える暇もなく、椋は治療に入る。東で発生したショック患者の数は、それこそ一度に数人程度。また、その第一波から数分ののちに、付き添った家族やら、元からあまり状態の良くなかった患者がショックを起こし運ばれてきた。そんな程度だった。

 なんとか椋だけでも全員の治療が「できた」、やり終えられたと、そう言えた。

 対してこちら側はどうだ。違う。絶対的に違っている。それだけしかわからない、患者は途切れることがない。患者の絶対数も重症度も、どう見てもこちらのほうがひどい。

 椋の「施術」一度では、回復しきれない人がいた。使える指輪はすでに三分の一まで減っていた。

 医療者たちは疲弊していく一方で、増援はいっこうに現れる気配がない。北区画の魔物討伐が難航して、そちらでも少なくない怪我人が出ているらしいのが理由だった。魔力を使い切ってダウンする人も続出して、人出は減っていく一方だ。

 最もひどい患者では、一度治療に成功して回復したと思った瞬間、また唐突に血流が減少しショック状態に逆戻りしたりしている。

 どうして。なにが違う。

 女の子の方が、首の脈すらわずかにしか触れないことにぞっとしながらまず彼女から治療を開始することにする。大丈夫、魔術と違って魔具は即座の連続使用も可能なのだ――。


「―――っ!」


 両手を打ち合わせる音、かざした己の手のひらから光が溢れだす。

 まるで、魔法使いにでもなったかのようだった。

 酔うより前に、おそろしいと思う。魔術は、道具は、本来なら知識も技術も手段もないはずの椋にも、重症の患者の治療を可能にする。

 それはただの「奇跡」だった。椋にとってはそうだった。

 確かにこんなものがあったら、医者なんてものはいらないだろう。

 たとえ診断ができなくても、結果的に患者は、治るのだから。


「……リョウ、ちょっといいか」

「おっさん」


 二人分の治療を終える。知らず詰めていた息を大きく吐いたとき、名前を呼ぶ声があった。

 今度振り向いた先にいたのは、疲れた顔をしたヨルドだった。

 あまりにひどいその顔に、おっさんがまず大丈夫か、つい口をつきそうになった言葉を慌てて椋は呑み込んだ。患者の手前、「救い手」が揺らぐようなことを下手に言ってはいけない。

 じっと椋を見据える彼は、こっちに来いとばかりに無言で手招きする。

 薄っすらと目を開き、そろそろと差し伸ばされる女の子の小さな手を軽く握ってやる。気力をかき集めて笑顔を向けてやりながら椋は立ちあがった。招かれる場所へと向かう。


「どうしたんですか。他の人への指示とか、いいんですか?」

「正直言や、全然良くはないんだがな。どうしても気になることがある」


 疲れた顔で笑ったヨルドは、次には痛みをこらえるようにぐっと顔をしかめた。

 気になること。彼の発した言葉に、椋もうなずいた。


「俺も、気になることがあります」


 椋よりもさらに、この夫妻は忙しい。

 患者の治癒に加えてほかの者たちへの指示、環境の整備、人員の交代やさまざまな場所の状況報告、増援の要請。並べるだけでも頭が痛くなりそうな責務を、いま、ふたりは負っている。

 だから椋は、今までは一人で考えるしかなかった。わざわざ呼んでもらえなければ、近づくこともできなかった。

 目線で促してくるヨルドに、一つうなずいて椋は口を開く。


「こっちの患者と、向こうの患者の出方が違うんです」

「出方が違う?」

「俺がこっちに来られたのは、あっちだと、一定の時間が過ぎたあとは、ショックの患者が一人も出なかったからなんです。もしものために応急処置の方法は一応、店の知り合いに頼んできましたけど」

「患者がある時間を境に出なくなった? どういうことだ」

「わかりません。でも、本当に、いなくなったんです。だからここに来ました。まだ収まってないって、患者が増える一方だって、おっさんたちが教えてくれたから」


 首を振る。考えても、答えになりそうなことは何も浮かばない。あちらとこちらが違いすぎて、椋にはクエスチョンマークばかりが山積していく。

 意味が分からないのはヨルドも同じだろう。怪訝の皺を深々と眉間に刻み、腕組みをして彼が椋を見る。何一つ偽りも嘘もないから、まっすぐに椋は見返した。

 わかることを望む視線が、異常の過ぎる場で交錯する。

 ふ、と息を吐いたヨルドが、少しでも何かを見通そうとするように目を眇めた。


「なあリョウ。おまえはこの病気が、ある種の呪いによるものなんじゃないかと言ったよな」

「……はい」

「呪いによって、病気の元になるものを排除する仕組みがイカれて血を消し去っていくんじゃないか。それがおまえの仮説だったな」

「そう、です」

「もしかすると患者の血は、消し去られてるんじゃなく、吸い取られてるのかも知れん」

「……え?」


 問いかけからざらりと告げられた彼の言葉は、思考を勝手に通り過ぎそうになった。

 それほど、瞬時には椋には意味が通らなかった。

 患者の血が吸い取られている?

 完全に理解を超えたことを、大変真剣な表情でヨルドは口にしている。

 椋の混乱を察してか、ヨルドはもうひとつ息をついた。


「北に現れた魔物の、討伐が難航してる話は聞いてるか?」

「え? はい。今でもあっちのほう、時々何か見えたりしてますし」


 唐突な言葉に、わずかな逡巡ののち椋は首肯を返す。

 なぜか、ラグメイノ【喰竜】級よりさらに上の魔物の卵が突然現れて孵化したらしい。これもまた理由は今は一切不明だが、よって北区画も、現在ひどい騒ぎになっている、らしい。

 今、言葉を交わす中でも、青色やら緑色やらの光の炸裂が北側に見える。魔術の光だろうことは、門外漢の椋にも想像がついた。

 思わず視線をやった椋に、さらにひとつ大きなため息をついてヨルドが続けてきた。


「普通ならな。あそこにいる魔物は複数の団長、副団長が苦戦するような級のもんじゃないんだ」

「え?」

「しかし現実、あいつらは魔物を討伐しかねてるうえに、既に相当な数の怪我人が出てるらしい。こっちなんて放って北に急行しろと、もう俺もアルセラも誰に何回言われてることか」

「……おっさん」


 もしかしてさっきの痛そうな顔は、その「急行願い」というやつが飛んできたから?

 思わず口を開こうとした椋に、ヨルドは首を横に振った。


「ああ、いや、すまん、これはただの愚痴だ。なあリョウ、アイネミア病が発生してるふたつの地域のうち、この西側の患者にだけ、あの状態になるやつがずっと出続けてるって、おまえさんは言ったな」

「……」

「何が違う。どう違う。どう考える、リョウ」


 ひたりと、ヨルドが椋を見据える。

一切の誤魔化しも、曖昧さも許されない強い視線。促されるように、必死に椋は思考する。半月前に、唐突に二か所に現れた魔物。それから数日後に存在が顕在化した、全身を循環する、血が足りなくなる病気。

 いち早く討伐が行われた東区画と、遅れてしまった西区画。

 突然出現した「異常に」強い魔物、多数発生したショック患者。

 討伐の遅れた西側にだけ、未だに発生、し続ける、


「……まさか」


 すべてがつながっているとしたら。

 思い当たった瞬間、猛烈な寒気が椋の背筋を逆走した。そんな、そんなこと。考えようとしても、積極的に否定できる要素が何一つない。

 鳥肌が収まらず、椋は自分の腕をさすった。

 言葉を失った椋に、険しい表情でヨルドは頷いた。


「オルグヴァル【崩都】級は、とにかく早急の退治が肝要の魔物だ。一度「開花」してしまえば、このアンブルトリアはおろか、下手すれば国ごと滅びかねない。しかもあれの「供物」とするには、十分すぎる数の人間がここにいる」

「じゃあ、ここでも、あっちでも患者が出たのは、その、魔物の卵を孵化させるため? それに、こっちでだけショック患者が増え続けてるのは、」

「考えたくないんだがな。魔物の動力として、アイネミア病の患者たちの血液が奪われ続けてるのかも知れん」

「……っ!」


 息を、呑んだ。

 すべては状況からの推察に過ぎない。だれも証拠などあげられない。だが大変に悪いことに、それを事実と仮定すると、すべての辻褄がぴたりと合ってしまう。

 都を、国を滅ぼすというものと病気。

 理由なんて、まともに聞いたところできっと理解できるわけがない。そもそもこんな外道を正当化する理由なんて、知りたくない。

 しかし理由が何にあれ、今、椋ができることは少しだけだった。

 一人でも死なせないため、一人でも多くの患者の命を救うため。

 不完全で曖昧な自分の知識と、もうほとんどストックのない魔具を使って、現状に立ち向かう、――それだけしか。


「……俺は、」


 今ある魔具が終わってしまったら。今以上に、何もできなくなってしまったら。

 北で続いている戦闘が、そのときになってもまだ終わっていなかったら。

 考えたくないことはたくさんあった。それでも、思考し、動かないわけにはいかなかった。仮定して、仮説が立って、そのうえで、できることは何だ。椋は戦えない。何の力もない。それでも、そのうえで、今以上に、なにが、何なら。

 椋の意思は、まともな声にはならなかった。

どさりという複数の鈍い音、そして、おぞましい何かの鳴き声、

 ――オルグヴァル【崩都】級のはりあげた、咆哮にすべてかき消された。


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