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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
4. やみにも征くは
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10. いくさするものたち A


 目前に現れた新たな触手を、手にした剣で即刻切り飛ばす。

 軽く肩で息をしながら、改めて、目前のそれの本体にちらりとクレイは視線をやった。このアンブルトリアを崩しうる脅威として存在するモノ、クレイ程度では滅多に目にすることのない魔物、オルグヴァル【崩都】級。いま、魔術師団の一小隊が起こしたかまいたちによって、再生の兆しが見え始めた右翼を叩き潰されている。

 それは彼からは幾分遠い場所の景色である。現在のクレイが相手取るのは、オルグヴァル【崩都】級がここ一帯に這い伸ばした、縦横無尽にのたうちまわり生物を喰らおうとする無数の触手だった。

 先ほど切り飛ばした先端が、悪足掻きのようにわずかに視界の端で不気味にうねった。思わず目を見開く、しかしそれはうねった瞬間、完全にその場で氷結し、砕ける。

一つクレイは息を吐いた。


「すまないな。地味な仕事ばかりさせる」

「いえ」


 クレイより少しばかり斜め後方。一切の魔術が使えないクレイに、彼の不得手を補う形でついてくれている蒼穹の瞳の騎士見習いが立つ。今日も彼は、非常に隙なく優秀だった。

 まともな会話をする時間もなく、また、地下茎の一本がぐぬりと目前に盛り上がる。すかさず触手を吐き出す前に、彼、ジュペスの風の刃が炸裂した。

 地下茎を切り刻んで潰してしまえば、そこから新たな触手は来ない。

 既に複数人の騎士が戦闘不能に陥っている、現場の経験則からの行動だった。

 現着当初は、おそらく誰もが、そう、時間も手間も必要とはしない収束を考えた。しかし実際は、誰もの予想を飛び越え異常に難航している。

 理由は大分してふたつ。

 ひとつはオルグヴァル【崩都】級の「開花」を少しでも遅らせるため、魔物の根部で使用され続けている氷の魔術だ。二小隊規模というとてつもない規模の展開で、ようやく抑え切れているかいないか、という状況である。

 また、そんな状況のため、本来ならばこの類の魔物とは最も相性が良い炎の魔術が制限されているのだ。

 切り落としても、その切り落とした先端が独立した魔物として新たに闊歩を始める厄介な触手。それが燃やせない、焼き払えない。異例の状況は確実に、現場に混乱と、討伐方法の工夫を余儀なくさせていた。

 そして、さらにもうひとつ。


「ジュペス!」


 ぞわりと、瞬間ひどく嫌な感覚が全身を走り抜けた。

 傍らの少年の名をクレイは呼ぶ。警笛がごとく声が響く。地面を割って現れるまた別の地下茎。見る間に生え出した触手がぐじゅりと音を立てて寄り集まる、その形は醜悪な、毒蛇の頭のようにも見えた。

 彼らも周囲も、状況が理解できずに一瞬の行動が遅れた。ゆえに、なにも間に合わない。誰の攻撃が「それ」へと向かうより前に、赤い、閃光めいたものが「目」の部分に点る。

 クレイが剣を振るうより前に、「それ」は完全に焦点を合わせてしまっていた。


「な、っ!!」


 最も近い位置にいたクレイではなく、ジュペスに。

 愕然と、蒼穹の色をしたその目をジュペスが見開いた。

 基本として纏う術式に加え、さらなる防護術式の展開――その完成よりも、攻撃発動のほうが早い。間に合わない。術式紋は浮かび上がらない。代わりに中空に飛び散ったのは、赫だった。

 獲物に飛び掛かる蛇のごとく、跳躍するようにひといきに「それ」のあぎとは伸びた。

 基本の防護術式を破る、甲高い音が耳障りに響く。ようやく切っ先が届くころには、ジュペスの右腕へ、猛烈な勢いで「それ」が食らいついていた。


「ぐ、っあ……!!」

「ジュペス!?」


 一瞬にして、どす黒く腕が変色する。どんなにきついしごきを誰から受けようと、滅多なことでは声一つ洩らさない彼が、いかなるものも唇をかみしめて耐える少年がいま、彼の目前で悶絶する。

 認識した次の瞬間には、比べ物にならないような絶叫が四方八方から容赦なく叩きつけられた。

 腕を押さえ、どさりとジュペスがその場に倒れ込む。更にさらにと狙いをつけた、幾本もの触手が大挙して襲いかかる。後のことなど考えられるはずもない、ほぼ反射的に振るったクレイの刃は、せめてもとばかり、それらすべてを一瞬でめった切りにしていた。

 しかしいくら切り刻んでも、地面へと落下した次の瞬間、それらはまたぐじゃりとうごめき始める。どうしようもないなと言いたげな舌打ち、誰かの放った風の魔術が、断片を、再生不可能な細かさにまで切り刻んだ。


「っぎ、あぁああああああっ!?」


 だが、そんな舌打ちすら、瞬きのうちに苦悶の絶叫に取って代わる。

 そこへ視線を向けられる余裕はない、同時に、状況から理解せざるを得ない。

 それまで相対していたはずの、他の騎士を乗り越え触手が向かってくる。魔術師に向かって。触手を完全につぶすことができる人間を、優先的に殺そうとするように。

 腕をあれに噛まれたジュペスは、起き上がることもできずその場に無様に転がったままだ。

 クレイは彼を守るように、そのすぐ前方へと飛び込み迫りくる触手を正面から見据えた。


「クレイトーン様……っ!」


 彼が魔術を使えなくなった今、ただの剣は無用の長物でしかない。

 魔術も使えぬ無魔の剣士は、何の役にも立たぬ足手まといでしかない。

 どうしようもない、動かしようもない事実に小さくクレイは苦笑した。そのような現実の中で、己のすべきこと、可能な行動は一つしかない。

 今この手にする愛剣を、無用の長物から「変える」。


「動くな、ジュペス」


 告げる声はかすれて低い。止めでも刺そうというのか、こちらへと向かい来る触手はまた、あのあぎとを形成しようと奇妙なうねりと収束を見せている。

 赤の点滅。次の瞬間には完成した、ヘビのような、それが目前まで迫っていた。迫りくるモノから目をそむけ、逃げることは、決してしない。

 逆にクレイは踏み込んだ。飛び込むのはそれの真正面。交錯を果たす瞬間、手にする剣の握りをわずかに変える。

 大上段に構えた剣を、ひと息に向かい来る触手ら目がけて振り下ろす。

 剣は眩い白銀にきらめき、その「あぎと」へと炸裂した。


「――――はァッ!!」


 裂帛の気合とともに、さらに次なる一閃。動きは止めない。うごめく触手、地面からはい出そうとする地下茎。それらすべてを、闇の内にも煌々と光る、白銀の刃で一気に裂く。

 ぼたりと落ちた残骸は、しかし再生することも独立することもなく、じゅわりと不気味な音を立ててその場にとけおちた。その後先もまともに見ることはなく、更にクレイは転進。想定外の展開に呆気にとられた様子の他の騎士へ、不意を打とうとする触手数本を、まとめて地面に光で叩き落とした。

 そして次には右、左。刃の宿す白銀色が次第にくすんでいくのが分かる、時間が元からないことなど、クレイは百も承知だった。

 視界に入る限りの触手を根こそぎ叩き切った後、ふっとひとつ息を吐いて、クレイは改めて周囲を見た。ひとまず自分たちの周囲の触手はすべて片付けたことを確認する。呆気にとられたままの他の騎士たちの合間を縫い、倒れたままのジュペスにクレイは駆け寄った。


「……っ、今の、は、」 

「下がるぞ」


 切れ切れの、相手の言葉を問いかけを打ち切るように。短く告げるや否や、クレイは己のマントの端を破った。

 不格好な即席の紐で、止血のため、きつく少年の上腕部を縛りあげる。まともな治癒の心得などないが、今も出血が続く傷口をそのままにはしておけない。だらりと垂れ下がる腕の周りには、すでに血だまりができている。

 応急処理ののち、クレイは少年を担ぎあげた。

 少年の応えも聞かず、騎士たちの間を抜け、衛生兵のもとへ走り出す。小さい、苦しげな声が謝罪の言葉を作った。


「……っ、申し、……ぁけ、あ……ませ、っ……」


 たった一言の謝罪すら、まともに発せない。

 彼の言葉に、小さく頭を振る。クレイとて奥の手を切ってしまった以上、もう長くはこの戦場、前線にはいられない。

 周囲の状況を見るに、あれにやられた他の人間の状態は、ジュペスよりさらに深刻なようだった。やられた人間も、まだやられてはいない人間も。だれもが目前の触手に対抗するだけで手いっぱいで、負傷兵を後方へ、救護所にまで下がらせるような余力はどこにもない。

 少年の浅く荒い息を背に、疾駆しつつクレイは唇を噛んだ。

 どうしてこんなことになっている。あれはただのオルグヴァル【崩都】級ではないのか。

 クレイは思わずにはいられなかった。決して長くはないはずの距離は、時間は、ひどくぬるく、長く感じられた。

 多くの騎士や魔術師たちの間を抜け、前線よりもはるか後方、衛生兵たちの詰める救護所へと辿りついたときには思わず嘆息した。同時に察知する。そこもまたひどい「戦場」になっていた。

 衛生兵たちは既に、誰もが蒼白だった。

 重傷度もおそらくさまざまなな数多の怪我人で、救護所は既にあふれかえっていた。もはや機能マヒ寸前と言っても過言ではないほどの飽和状態にあった。

 喧騒と騒乱に包まれた救護所の光景など、そして。

 ただのオルグヴァル【崩都】級程度の討伐で、この国において見られるようなものでは、ない、はずだった。


「……なぜ、こんな」


 声に応じる人間はない。多くの怪我人が呻く救護所には、ベッドの空きはおろか、まともに座ることができる空間を探すのすら容易でなかった。

 しばし周囲を見回して、ようやくテントの紗幕際の隙間を見つける。クレイはそっと少年をおろし、壁にその背をもたせかけた。

 手の空いていそうな衛生兵の姿も探したが、ここには既に位階持ちの騎士や魔術師、貴族出身の者たちも少なくない。平民出身の騎士見習いに手当の順番が回ってくるのは、絶望的なまでにまだ先だろう。

 おそらく礼かなにか言おうとしたのだろう、ジュペスがふと顔を上げた。

 しかし実際にその唇からこぼれたのは、浅く速い、苦しげな呼吸だけだった。


「構うな。安静にしていろ」

「……、……っ、」


 いつもなら晴れやかな蒼穹の色を宿すその目は、今は、すぐにも雲に取って代わられそうな、不安定な空の色にしか見えない。

 内心、クレイは舌打ちをした。明らかに異常な重傷だというのに、ただ身分が低い、それだけで彼は優先されない。常の不条理だった。だがお家の末席に「お情け」で名を連ねさせてもらっている程度のクレイでは、不条理で不条理を曲げることすら、できない。

 不意に先日、言われた言葉が思い出された。

 そうしなきゃ人が死ぬんだと、おまえたちはいったい何を守るんだと必死の声を上げた、

 奇妙な点が多すぎて、何が奇妙なのかも分からなくなるような不思議な、黒い友人の。


「……もし」


 あり得るはずもない仮定に、少年が怪訝な顔をした。

 何でもないと首を振り、水と包帯をもらってこようと、クレイはその場を離れた。激痛により戦闘が継続不可能になるような傷を負ってしまったジュペスも、己の剣に刻んだ時限性の術式を既に発動させてしまったクレイも、もう、あの戦場へ戻ることはできない。

 あのオルグヴァル【崩都】級に、異常にてこずっている理由の、もうひとつ。

 刻一刻と時間を経るごと、明らかに魔物が強くなっているのだ。

 そもそも戦い始めた当初は、斬り飛ばされた触手がそれ単体で魔物として動くなどということはなかった。地下茎から飛び出す触手は一本きりで、烈風を生み出す魔物のいびつな両翼にしても、あそこまで異常な再生速度はなかった。

 理解不能な事態というのは、えてして現場を混乱させる。

 更に言うなら古今東西、混乱が招くものに、ろくなものがあったためしがない。


「……リョウ」


 苦悶と疲弊、先の見えなさと底知れなさ。

 負の感情に覆い尽くされた騒がしい場を歩き回りながら、こと治癒魔術に関連する事柄に対して、異常なまでの興味と集中力を示す友人の名をぽつりとクレイは呟いた。

 もし今彼がこの場にいたら、一体誰に何を言い、こちらにどんな無理難題を吹っ掛け、何の論理をぶち壊して、どのように動き始めるだろう。どんな顔で、何をしようとするのだろう、あいつは。

 彼が大人しくしているという考えは、一切クレイにない。ここ数日、地道で時間も手間もかかる調査に、クレイがつきあっていたのも大きいだろう。

 患者の一人一人から、丁寧に話を聞き、メモを取っていた姿が脳裏によみがえる。

 柔らかな物腰で親身に患者へと接する彼の様子は、驚くほど、意外としか言いようのないほど、凛々しく頼もしく感じられるものだった。


「……まったく」


 思い返される光景に苦笑する。もはや彼とともに城下を回ったのが、同じ「今日」であることが嘘のようだ。

 それほどに、確実にクレイもまた、続き続ける異常の戦場で疲弊していた。


「すまない、その水はどこで貰える?」

「あ、ああ、水ならあっちだ。もう貯蓄分は使いきっちまって、どっかの貴族のとこから借りてきてるらしい」


 水らしきものが入ったカップを手にした男に聞けば、腕一本を包帯をぐるぐる巻きにした彼は震える指で教えてくれた。

 礼を述べ、結構な人数の並ぶそこへクレイは足を向けた。居並ぶ誰の表情も決して明るいものではないのは、この討伐がいつまでかかるのか、本当にこの、元は大貴族であった一族の邸宅が存在していた一画だけで、事態が収束できるのか。誰にも分からないからだろう。

 ようやくクレイまで順番が回り、支給のカップに水をもらう。同時、誰にも使われることなく無造作に机の上に転がっていた新品の包帯を、クレイは拾い上げた。


「これを貰ってもいいか」

「ああ、勝手にしてくれ!」


 バタバタ動き回る衛生兵は、叫ぶように半ば投げやりのように返す。

 ほんとうに前線もここも、随分な地獄だった。


「ジュペス、水だ。自分で飲めるか?」

「……っ、は、い、……」


 声を上げ、うなずくことすらひどくきつそうだった。

 なんとか自力で身体を起こそうとするジュペスの上半身を支え、ゆっくりと口元に水の入ったカップを近づける。見たところ傷からの出血は収まってきたようだが、本当なら飲ませるだけでなく、傷を洗い流すための水も欲しかった。

 ともすればぐらつきそうになるその首のうしろへ手を回す。介助して、ゆっくり、何とか水を飲ませてやることに成功する。

 何もできない己の無力が、今更のように刺さる気がした。


「……ぁ」


 ふ、と。

 目を伏せてされるがままになっていた彼が、愕然と目を見開き顔をあげたのはそのときだった。

 唐突な彼の行動に、まだ半分以上中身の残っていたカップが引っ繰り返る。しかしそれに、ゆっくり驚いていられるような時間もクレイには与えられなかった。

 そのとき彼らが感じたのは、振動。そして音。

 相当の距離があるはずの、今までは一度もこの救護所までは届いてこなかったオルグヴァル【崩都】級の咆哮だった。



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