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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
4. やみにも征くは
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9. そうと誓うために



 ナマモノがぶすぶすと焼けただれる、特有の悪臭が容赦なく鼻を突く。

 目前の魔物は絶叫を上げながら、しかし焼けただれたそばから、その部分―――巨大な赤黒い花を再生する。

 じくじくと疼くように痛むわき腹を押さえ、カリアは小さく苦笑した。

 現在、彼女の目の前にいるのは、今まで一度も見たことがない形をした魔物だった。もしかするとどこかの変種報告には掲載されているかもしれないが、少なくともカリアが一度でも目を通したことのある報告には載っていなかった。

 もしもカリアの体調が万全であり、決して近くない場所で大規模な結界の展開などしておらず、場所がこんな狭い路地でなかったなら。

 彼女は己の持てる焔すべてを総動員し、完膚なきまでにこの魔物を一瞬にして焼きつくしただろう。すべてを浄化するものとして存在する「しろがね」の焔を、ラグメイノ【喰竜】級を倒したあの時と同じように、彼女は呼ぶことができた。

 しかし現在のカリアには、本来の魔力も体力もない。

 彼を守るため負った傷、脇腹からの出血もいっこうに止まる気配がなかった。とっさの行動を後悔する気持ちは微塵もないが、しかしニースなどに知られれば、確実に長尺説教まっしぐらだろう。どうでもいいことをカリアは思う。

 これの等級は何なのか、どのような攻撃を誰に対し仕掛けることのできる魔物なのか。注意すべき点は何であり、どう戦っていけばいいのか。

 ここまで何も分からないのは、初めてのことかも知れなかった。


「【焔火ほむらびとうノ火、現れ踊れ。暗き奥底の住人に、光を以て楔とせよ】」


 いつもなら、容易に詠唱など破棄できるはずの術式を声にする。防護の術式が即席のお粗末なものでしかないことも、体の芯に染みついて消えはしない強い疲労も結界維持のために垂れ流され続ける魔力も、痛み続ける傷の鬱陶しさも。すべてを振り払い、ただ今は目の前の魔物の討伐だけに集中する。

 負けるわけには、いかないから。

 守らなければ、ならないから。


「【集い焔は劫火となりて、悪しき穢れを打ち払う】……!」


 術が完成し術式紋が現れた瞬間、完成した術の炎に魔物が絶叫する。

 縦横無尽にこちらへと、魔物がその葉を花びらを、驟雨のごとく飛ばしてくる。美しくなどないそれらを、すべて、呼びだした炎をもって、カリアは片っ端から燃やしていった。その醜悪な口からは今も絶え間なく流涎が続き、じゅう、じゅうと音を立てて、地面が無残に焼けていく。この魔物が巻き散らすすべては、周囲への何らかの影響があると判断していた。

 守ることは、勝つことより難しい。

 分かり切っている事柄を、不完全にもほどがある状態で今、カリアは実行に移す。

 護身のため、常に持ち歩いているナイフを構える。

 刃に刻まれた術式をそっと撫でる。ふわりと舞いあがる、蛍火のようなきらめきと揺らめき、徐々にその刀身に纏いついていく白色の焔。無茶苦茶に策もなしにこちらへと突進してきた魔物の腕の一本、その関節部へと鋭く突きを入れる。


「はッ!」


 気合一閃。交錯の瞬間、雄々しく燃えあがる美しい白の焔が炸裂する。

 間近で耳を劈つんざく魔物の絶叫に、その醜悪さにカリアはわずかに眉をひそめた。むろん動きは微塵も止めない。目前の魔物の中心へ、瞬間的に魔術で強化した足で思い切り蹴りを入れた。

 ボグッと鈍い音とともに、魔物が突き飛ばされる。

 ギイ、ギイ、痛みに叫びのたうち回る魔物を注意深く観察する。今カリアが手にしているナイフで斬り落とした腕が再生してこないことを見ると、おそらくこの魔物はラグメイノ【喰竜】級よりもう一等級下、アルナフィア【滅師】級の魔物なのだろう。

 しかし常の彼女ならともかく、満身創痍のカリアには、そのアルナフィア【滅師】級の相手も容易くはなかった。

 再度彼女へと狙い澄まして放たれる葉と花弁の波状攻撃を、とっさに己の右方向に身体を転がすことで躱す。それが地面へ打ちつけられるほんの刹那だけ前に完成させた魔術により、放たれたすべてを、焼き払う。

 汚れる? 傷つく? なんだっていい。


「……守らせてって、言ったのよ」


 ――おまえらは騎士なんだろ? 国を守るために、力を授かった人間なんだろ?

 それは直接カリアに向けられた言葉ではない。けれど、あるいは直接その言葉を向けられたクレイ以上に、カリアの、心の奥深くに突き刺さった。

 動かない他人に辟易し、上がらない効率に眉をひそめ。

 何のために力を欲したのかすら分からなくなりかけていたカリアに、その言葉はあまりに痛かった。

 カリアは幼いころからずっと、絶対に自分で守らなければならなかった。本当に守りたいと思うもの、自分の大切だと思うものはすべて。何一つ例外などなかった。

 だから強くなりたかった。強くなることを、強く強く望んだ。がむしゃらに、貴族の、それも脈々と受け継がれる第一位の下賜名、アイゼンシュレイムを戴く大貴族の子どもはまずやらないだろうと思われるような訓練すら、自分から進んで幾つも行った。

 その結果としてある己を、しかしカリアは忘れかけていたのだ。


「守らせてって、……言ったの」


 ――おまえらが国の人間を守らないで、誰が人を守るっていうんだよ!!

 力を得たのは、守るため。失わないため。護るため。……誰も泣かせたくないと、そう、カリア自身が願ったから。

 彼が、苦しむのは嫌だ。つらいのを隠して無理に笑おうとする、その表情が嫌だ。

彼が泣くところを、みたくない。なんの躊躇いも遠慮もなく、ただの一人の人間として、カリアと並んで立ってくれる、彼を少しでも悲しませたくない。

 たとえそれが、自分のもたらした因果の結果であったとしても。

 それでも心底、嫌だとカリアは思うのだ。不思議な黒を宿したあの規格外の青年は、誰に対しても当然のようにあまりに優しい。

 彼が、笑える場所を願った。

 誰もが彼を彼として、一緒に笑っていた場所に戻りたかった。


「だから」


 ナイフの焔が渦を巻く。恐ろしい勢いで自分の中から魔力が吸い取られ失われていくのが分かるが、今はそんなの知ったことか。

 振り回される、残り五本になった腕を避ける。交錯と同時に、白の焔が渦巻くナイフをその頭部へ向けて切りつける。

 切りつけ、その結果として葉の部分へと刃が触れた。その瞬間一気に膨張した焔は魔物の頭部どころか全身をも包み込む勢いで燃えあがった。グギャアアアアアアア!! 至近距離での絶叫に鼓膜がわずかに痺れる。キン、と頭の中で奇妙な音、無視する。

 討伐のための、術式を紡ぐ。長い時間と手間とをかけ、ともすれば傷の痛みに疲労の強さに集中を途切れさせられながら。

 白の火達磨になりながらも、魔物はこちらへ噛みついてこようとする。鋭い歯を避け切れず、わずかに肘先が口の周辺をかすった。途端にジュッというひどく嫌な音とともに激痛が走る。思わず目線を遣れば、服どころか肘周辺の皮膚が、完全にその瞬間で溶け落ちてしまっていた。

 先ほどの脇腹、そして今の肘。二か所に増えてしまった傷を抱えながらそれでもカリアは笑う。

 ああそうだ、笑って見せるとも。だって私は彼に言った。自分ならできるからと、この場を去る彼の背を見送った。

 だから。

 だから、私は。


「だから私は、……守るの……!」 


 ようやく完成する術式に応じ、浮かび上がる術式紋がまばゆく光り輝く。下手をすれば目も焼き切れそうな煌めきを宿すナイフの刀身は、まるで彼女の手の内で光る星のようにも見えた。

 魔物が絶叫する。彼女もまた最後の一撃のために叫ぶ。

 その手からひと息に放たれたナイフは、まるで流星のように鋭く、魔物の中心へと過たずまっすぐに突き刺さった。

 白焔が爆発する、魔物が燃滅する。

 よくやったなと、彼ではない、ありえない人物の声を聞いたような気がした。


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