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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
1. はじまり/日常風景
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2. あがけない黒


 結局、家主は閉店までクラリオンで飲んだくれた。

 とにかく酒だけ飲もうとするので、ときどき適当な食べ物を目の前に突き出した。突き出せば食べる。むしろそっちを待っていたとばかりに貪り食う。

 この一か月半で知った、椋の、ヘイとの付き合い方だった。


「……でェ?」

「なんだよ」


 家へ帰る道すがら、脈絡のない声が突如振られる。ウイスキーでいえばボトル半分はあけておいて、ヘイは顔色一つ変えない。

 目力の強い三白眼は、その色も相まってナイフのようだった。思わず身構える椋に、ヘイは鋭利に言葉を刺した。


「いい加減、どォにかする気になったかよ」


 椋を見据えて放たれるそれは、大変に事実で、どうしようもなく酷い言葉だった。

 構えていたにもかかわらず、それでも椋はわずかに息を詰めた。

 ヘイは、現時点で椋の「事情」を知る唯一の人間だった。椋のフルネームが水瀬椋であること、この国どころか、この世界の人間でないこと、医者を目指す人間、医学生であったこと。そのすべてを、彼は知っている。

 ハッと鼻でヘイは笑った。


「仕事中もまァ、ちっちぇェ治癒魔術にもイチイチ気ィとられやがって。ンッとにわかりやすいなあ、テメエは」


 わかりやすい。ああ、本当にいまさら指摘されるまでもない。

 なぜ椋が「平民なのに治癒の魔術に興味を持つ」のか。持たずにはいられないのか。

 答えは簡単だ。それこそが椋の、長年の夢だったからである。つい最近までは、そう遠くない「目標」に変わっていたはずのものだから、である。

 ぼんやり物心ついたくらいのときから、椋には医者になるという夢があった。

 今となってはいったい、何が最初の憧れだったのかはよくわからない。近所の開業医の先生だったのか、何かのドキュメンタリーの影響か、たぶんどれも正解で、しかしどれもはっきりはしない。

 確かなのは、それがずっと揺らがなかったことだ。

 揺らがな過ぎて、他の職業に就く自分の姿を、椋は少しも考えたことがなかったのだ。

 ぐらりと腹の底が煮える気がして、思わず椋は両拳を握り締めた。


「どうしろって言うんだよ、だから」


 流そうとしても、伏せきれない苛立ちが声に棘として混じる。

 青年は、ある日突然何の前触れもなくこの世界に迷い込んだ。迷い込んで、人生の迷子になった。なぜなら、彼には魔力がなかった。

 からっきしであった。魔術で成立する、医療はイコール魔術と言ってもいい、少なくとも大多数にそう認識されているこの世界で、だ。

 椋から話を聞きだしたあと、ヘイはまず椋の「魔力測定」を行った。

 文字や絵がぎっしり詰め込まれたような盤に手をかざさせられた。何の変化も起きなかった。彼は首を振った。

 そして通告。テメエにゃかけらの才能もねェな、と。


「ハッ、腑抜けた顔してよく言う」

「何の不都合もないところに、どうやって何もない俺が入っていけるんだ」

「何もねェハズねェだろう。テメエのオツムは飾りかよ」

「ヘイ」

「俺ァな。確かにそこに使えるモンとして在ンのに、誰もそれも使わねェ、見向きもしねェって状況が何より大ッ嫌いなんだよ。テメエの持ってるモンを、一番に活かせるのは俺じゃねェ。ちったァ手助けぐれェはしてやってもいいけどよ、所詮はその程度だつッてんだろが」


 さらに苛立ちをあらわにする椋を、その感情ごと突き通すようにヘイは続ける。

 こわい彼は「魔具師」である。魔術を応用した道具を作り出す、れっきとした職人である。

 昔は「いろいろとやりまくった」らしいが、今はアンブルトリアの片隅で、小さな店を営んでいる。妙なものばかり並べた店では、常に閑古鳥が鳴いている。

 椋は眉間にしわを寄せた。


「なんで、そんなに拘らせようとするんだよ」

「むしろテメエは、何をそんなにビビってやがる。そこまでタマ小さくする理由が、いったいどこにあるってんだよ」

「……おれは」


 縮こまったように、椋の舌はうまく回らない。

 うまく答えよう、適当に切り抜けよう――少しでもそんなことを考えようものなら、本当に文字通り放り捨てられそうだった。

 ゆえに。


「だって、俺の知識は完璧じゃない」

「誰だってそうだろうよ、ンなもん」

「知ってることだって、穴だらけですごく浅いんだよ。そんなの、どこに活かせるんだ。ぜんぶ、なんだって魔術で治せて、それで、ぜんぶ回るんだろ。問題は、ないんだろ。それより遅くて非効率的な方法なんて、誰が、どこで必要になるんだよ」


 ただ、事実を並べるしかない。かたい声は、半ば自分自身に言い聞かせるような響きも帯びていた。

 ヘイの半眼が恐ろしい。視線を振り払うように、椋は首を振って空を仰いだ。


「どうにもできない。……どうしようもないんだよ、だから」


 いずれ、医者になれるはずだった。

 這う這うの体で大学受験をなんとか突破して、医者になるための教育を受ける権利と義務を、確かに椋はつかみ取っていたはずだった。

 なのに、あの日唐突に、椋にとっての「いずれ」が消えた。

 どうして自分はここにいるのか、気づいたときには、ヘイの家の前で倒れていたという。理由はわからない、違う世界の人間など、前例のひとつも聞いたことはないと、ヘイは言う。

 迷い込んでしまったのは、医者がない世界だった。椋が絶対に、医者になれない世界だった。

 魔術師であることが、医療にたずさわる大前提である世界だった。

 医者になること。それは椋にとって、何より大切な夢だった。いつから考えたのかももう忘れてしまったくらいに、昔から願いつづけたことだった。

 目標にできたと、思いはじめられていたことだった。

 なのに、いきなり根こそぎ全部奪われた。

 大きすぎる絶望から這い上がって次なんてものを考えるには、まだ、どうしたって椋には時間が足りない。


「……めんどくせェ奴」


 たいへんに呆れた調子で。

 呟かれたヘイの言葉は、聞こえないふりをした。



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