7. ただ、前へ
「ハァ、なるほど?」
家に帰り、食事を餌にヘイを部屋から引っ張り出す。
椋の予想通り昼抜きでぶっ通しで作業に没頭していたらしい彼は、用意したスープやら炒め物やらをものすごい勢いで空にしながら首をひねった。
「で、同じこと明日も続けるってか」
「話聞けた人がそもそも偏ってるからな。できるだけ色々データ取るって意味でも、あと二、三日は最低でもやらないと」
「いや偏るもクソもねェだろ。そもそも平民の聞き取り調査ってェ時点でよ」
「それはおやっさんにも言われた」
小さく椋は笑った。
水瀬椋は、ただの医学生である。魔術も使えない。
そんな今の彼に、病気の治療はできない。魔術の分類と作用機序は何となく見えたけれど、まだ今は、どの症状に何を役立てられるわけでもない。
だからこそ、椋はヘイル夫妻のもとを離れて「別」のことをしようと考えた。同じところで同じ仮説をこねくり回しても、これ以上は堂々巡りだと思ったのである。
実際、今日一日だけでもそれなりの「結果」は得られた。その事実に、少しほっとしてもいた。
なら一方のこいつは。屑に焦げ目に解れまみれの服を気にする様子もなく飯をかきこむヘイに椋は尋ねた。
「おまえは? いまはどんな感じなんだ?」
「あ? あー、試作品ってェ呼べる程度のモンは出来た。一応な。しっかし相ッ変ァらず、ドイツもコイツも一回の消費魔力がバカにならなすぎだ。三回もマトモに動かせやしねェ」
ざらりとヘイが返した言葉に、椋は軽く目を見開いた。
神霊術および創生術の基本術式の魔具。今、「新たな案」をもとに、改めてヘイが制作に取り組んでいるものだ。
神霊術は内科、大分して三つの要素の組み合わせ。創生術は外科、魔力によって「欠失」を補填する方法。
とんでもなく証拠もない椋の「仮説」に、ヘイは家ごと揺らすような勢いで大笑いした。
笑って、そして。
「ものすごい進歩だろそれ。最初は一回も発動できずに爆発してたんだから」
何度も、確実にもう数える気をなくすくらいの失敗を繰り返している。試行錯誤を繰り返しながら、椋が願うものを、形にしてくれようとしている。
魔術は理を捻じる術。だから具体的に願えばいい。考えろ、創り出そうとしろ。絶対に思考を止めるな、いつだって意識は前にだけ廻せ――以前は毎日のように言われていた言葉だが、最近は聞かなくなった。
言われなくても勝手に動いているからなんだろう、と思う。今とて椋は考える。考えてしまう。
「動かせた」とヘイは言った。癒すことが、少なくとも一回はできたと言った。
あのひとたちに、もしその「試作品」が使えたら。
フンとヘイが鼻を鳴らした。
「進歩ねェ。ンなこと言ったって、たった三回っぽっちの未完成品なんざ、テメエにゃ絶対持たせねェぞ」
ぎろりと、内心を見透かすように睥睨される。
思わず目を見開いた椋に、けっとヘイがわらった。お見通しだとでも言うように。
「一回だろうが二回だろうが、使えるなら寄越せとでも言ってみるつもりだったか? 崇高な理想は大変に結構だがなァ。ある程度現実もちゃァんと見ろ。理解しろ。不完全な魔具ってのはな、テメエが考えてる以上に誰にも危ねェんだよ。特にテメエみてェなオヒトヨシは、何の異常も気づけねェで制限以上に使い続けて、とんでもねェ暴発招くオチが目に見えてる」
「……でも」
「でももだっても何もねェ。そもそも、おいリョウ、このたった三回こっきり一個で、今のテメエに何が救える? 一回でも使ってみやがれ、すぐ街の全員がテメエに集ンぞ。助けて助けてって縋られて、来られた時にゃァコイツはゴミ。テメエは調査もできねェで、見当違いに勝手に恨まれンだよ」
淡々とよどみなく流暢に、袖口から取り出した指輪を手のひらでもてあそびながらヘイは言う。銀の環に嵌め込まれた赤い石が、血のような光を鈍く弾いて、内に刻み込まれた模様を浮き沈みさせる。
返す言葉もなかった。
受け取ったらきっとそうなるだろうと、想像してしまえることに何より腹が立った。回数制限なんて忘れる自分、壊れた後本当に何もできない自分、それでも苦しいと治りたいと助けてと、切実に祈る人たち、果てには魔具を暴発させる自分。
椋は眉を寄せ、唇を噛んだ。それは、絶対に起こしてはいけない未来だった。何もないほうがよほどましな未来だった。医者ごっこならよそでやれ。ただ無意味に場をかき回すしかできないなら、そもそもまず動こうとするな。
どうして俺は、こんなにも何もできない。
今日の調査でも何度も思ったことだ。ぎりぎりと胸が苦く痛むのをどうにもできずに、椋はうつむいた。
ただ、自分の無力と無知と半端が悔しくて仕方がなかった。
少し、沈黙が落ちたあと、ヘイが苦笑する声がした。
「……っとに、なんでテメエはそう、バカ正直で半端に物分かりがいいかねェ」
おもむろに伸びた手が乱雑に椋の頭を掴む。無理やり上向かせられた目線の先で、ニッと、どこか不敵にヘイが笑った。
「だから待てっつってンだろォが。辛気臭ェ顔してるヒマあんなら考えろ、言ってみろ。一度完成させたモンを、テメエがどう使おうがテメエの自由なんだからよ」
この世界で椋が最初に出会った男は、今日もまた同じことを言った。
動けと言う。待てと言う。希えと言う、考えろと言う。
魔術でひとを癒すこの世界に、椋の目指していた「医者」はいない。存在理由がない。望まれることがない。
そんな世界のただ中で、気持ちと半端な知識以外、なにもない椋に、それでも足掻いて、声を上げろとヘイは言った。願えば、待てば創ってやると言った。だからテメエは諦めろ、諦めることを諦めろ。消しきれねェだろう、埋められねェだろう。今更諦められなくなった「意志」を、いつだってヘイは言い当てた。
そうやって、最初から今まで協力してくれている。あと少し待てば、本当に魔術で、椋にも人が治せる、かもしれない、ところまでコトを進めてくれている。
ただ椋が願うならと。
椋がヘイに差し出せるものなど、なにもないにもかかわらず、だ。
「……なあ、ヘイ」
「あ?」
「なんでそこまでしてくれるんだ?」
「あァ?」
だから気づいたときには、疑問が言葉として零れてしまっていた。
言ってしまってから我に返る。目前のヘイは、思いきり眉間に皺を寄せている。
だが椋はもう知っているのだ。この国における魔具の価値、魔具を作るために使う材料のおおよその値段。「大したもの」を作るには到底足りない程度の下等なものでも、現在の椋の一週間分の給料が容易に飛ぶのだ。
そんなものをヘイは、次から次に取り出して失敗作の塵芥に変えていく。
どうして――椋が望むだけの答えを、今日も目の前の魔具師がくれることはない。
「今更ンなこと言うなら、最初ッからウチの真ン前でぶッ倒れてんじゃねェよ」
ただそれだけ言って、ヘイは椋を鼻で笑い飛ばす。
あまのじゃくなこの魔具師の、消え失せていた創作意欲に己が再度火を点けたことなど、椋には知る由もないのだ。
 




