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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
3. ねがい、いのり、希うなら
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4. 壁のむこうへ



 弾かれるように振り返った、黒の瞳が驚愕に見開かれる。

 その表情に、カリアは苦笑した。いつもなら軽口のひとつでも叩くところだが、生憎今は、そんな時間も意味もないのだ。

 カリアが第八騎士団の詰所を訪れたのは偶然だった。

 事件の進捗を、尋ねに来たのである。実際に言葉を交わしたところで今更妙案が出るとも思えなかったが、紙面上の報告では伝わってこない些細なことが、ときには解決の糸口ともなりえるのだから、と、いうのは彼女の副官の言だった。

 けれど。断りは入れていたにもかかわらず、肝心の団長閣下は団の騎士たちとともに捜査に出かけているとのことで不在だった。

 相変わらず仕方のない。ため息をこらえて騎士見習いの少年へとお礼を言い、踵を返そうとしたときだった。


 ――アンブルトリアの、縮尺が正確な地図が欲しいんだ。


 聞こえてきた声に驚いた。それはつい先日、別の場所で耳にしたばかりのものだった。

 同時にその声が発したのは、一般市民が口にするにはあまりにおかしい内容だった。

 思わず帰る足が止まった。

 結果、ふたりの会話をすべて、カリアは聞いてしまったのだった。


「あなたでも、あんな風に声を荒げたりするのね、リョウ」

「あ、……ええと、いや」


 言うと、どこかばつの悪そうな顔でリョウは視線をさまよわせる。

 まさかクレイトーン・オルヴァ以外に聞かれているとは、夢にも思っていなかったのだろう。


 ――おまえらが人を守らないで、誰が、何を守れるんだよ!?


 言葉は、今のカリアの耳には大変痛かった。

 声は、意思は、厚くないドア一枚程度あっさりと貫通した。無知で、無謀で、ただ、それしか知らないみたいにまっすぐに、カリアの胸を衝いた。

 なにしろ思い返せば返すほど空しくなるばかりだ。ただ椅子にふんぞり返って部下の報告を待つだけの面々、机上の空論ばかりが飛び交う「会議」、堂々巡りする調査報告。税を納め労働する民なくして貴族が成立するはずもないのに、そんな基本すら忘れて己の地位に胡坐をかく人間の、どれだけ多いことか。

 だからこそ同時に、カリアは思った。やはりリョウは普通の人間ではない。

 彼が思考し叫んだ言葉はすべて、一介の庶民が、位階持ちの騎士を相手に口にできる類のものではなかった。


「リョウ。条件があるわ」

「……カリア?」


 だからこそカリアは静かに切り出す。何を言われているのか分からない顔で、リョウは眉をひそめた。クレイは既に自分の出る幕ではないと、場を乱さぬ静観者となることを決めたらしい。

 この青年と、場を同じくするのは二度目だった。

 噂に聞く「無魔の第六位階」クレイトーン・オルヴァ。無魔であるにもかかわらず位階を得、下賜名貴族の一角オルヴァ家の養子として迎えられた男。魔術と権威とをまず尊ぶ気風の強いこの第八騎士団では、ひときわ目立って異質な男だった。

 そして、なにより彼はリョウの友人だった。

 すべてのはじまりのあの日以降、リョウとクレイが友人になった話は聞いていた。


「アンブルトリアの、縮尺が正確で詳細な地図。アイネミア病の調査にあたって、必要だと考えているのでしょう?」


 告げる瞬間、リョウが目を見開く。

 勝手に少しだけ胸が痛んだ。こんな言い方しかできないから、きっと最初には相談してもらえなかったのだろうとカリアは思う。悲しいくらいに、かわいくない。軽くなれない。可能性の芽を摘みとり、知らぬふりを決め込むような余裕もない。

 感情はすべて押さえ込んで、静かな声音でカリアは言葉を続けた。


「今はまだ、いいわ。だから、そうね、今回の事件の片がすべてついたら」


 虚しさと共に少しだけ夢想する。ただひとりの友人として力を貸す、それだけだったらよかった。

 だがここにいるのは、謎の病・アイネミア病の解明にあたるべき責任者のひとり、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアだった。


「リョウ、おしえて。あなたが何なのか」


 微動だにせず、黒い目はカリアを凝視する。視線は、さまざまなものを、まだはかりかねている。

 現場の住民、一人一人に着目して調査する。症状の有無、および重症度を評価する。

 驚いた。そのような、地道で直接の治癒につながらない調査、まず行おうとする発想がなかった。そもそもカリアにとって病気とは「治癒魔術で治すべきもの」であり、治癒が不可能な理由を探ることはしても、病それ自体に着目し、評価しようという意識がない。

 なかったのだということすら、今、この瞬間に知った。

 彼の目が明らかに「ちがう」ものを見ていることで、わかり得た。

 ちがう。

 言ってしまえば一言だが、もはや意識の「飛び越え方」が、リョウは、あまりにもおかしかった。


「……別に、俺は」

「部外者が内部に喰いこもうとするなら、あなたはそれなりの有用性を私たちに見せる必要がある。……わかるでしょう?」


 嫌な言葉に、口が苦くなる。言葉を止めてしまうリョウの沈黙が苦しい。

 本当なら、それこそ彼だってカリアにとっては「守るべきもの」なのだ。この異様な事件は、どこで何が何につながるかもわからない。そんなものに素人を飛び込ませるための理由など、すべて詭弁にしかならない。

 わかっている。わかっているのだ、けれど。


「……リョウ」


 そんなものにすら賭けたくなるほど、カリアには既に時間がなかった。

 アイネミア病が、庶民街であるアンブルトリアの東と西区画に限局して起こっていることがその原因だった。現場により近い場所に居を構える貴族らは、この病を殊更気味悪がった。一部など、病人は全員投獄し全てから隔絶しろという無茶を喚き出していた。

 それらを抑えるべく、ぎりぎりの妥協案としてカリアは「刻限」を定めた。削り出した期限の刻は、あと五日にまで迫っていた。きのうもきょうも、事態は、ひたすらに膠着して進展のかけらも見えなかった。

 少なくとも今、この瞬間まではカリアにとってはそうだった。

 彼に会うまでは、そうだった。


「だからリョウ、教えて。示して見せて。あなたが「何」なのか」


 知らない感覚ばかり、カリアに与えてくる相手。

 知りたかった。この黒い青年は「何」であるのか。どうして当然のように、カリアを、クレイを、更にはヨルドたちをも、己と対等であるかのように扱ってしまえるのか。

 彼に「過去」がないことは、ニースからの報告で知っている。どう探っても、どこにもないという。この国の誰のものと比較しても決して引けを取らないであろう、ニースの情報網をもってしても彼の詳細が暴けない。わからないまま、不可解が大きくなっていく。

 ふとした瞬間、こちらとの思考方向の違いと深さとを垣間見せる青年。

 彼は何を持っているのか、分かるのならば、知りたかった。


「……だよ」

「え?」


 つらつら考えているうちに、不意に発された彼の言葉をカリアは聞き逃した。

 彼から外していた視線をもう一度向ける。ふっと、どこか困ったようにリョウが苦笑した。


「俺は、医者になりたいんだよ」

「いしゃ?」

「医者になりたくて、医者になるために育てられてた人種、って言うのが正確かな。医学生だったんだから」

「いしゃ、に、なる? いがくせい……?」


 知らない言葉を、彼が口にする。

 しかし「いしゃ」という言葉は、妙にすとんとカリアの胸に落ちた。なじみのない響きは、なぜか彼にとても似合いであるように感じられた。

 名前を呼ばれる。


「カリア、クレイ」

「……なに?」

「何だ」

「俺の、何を信じなくてもいいよ。でも、これだけは疑わないでほしい」


 どこか寂しげな目で。

 お願いだからと、苦しそうに笑って彼は言葉を紡ぐ。


「俺はアイネミア病を、患者さんを放っておけない。何としても治したい。一刻も早く原因を突き止めて、一人でも、この病気に苦しめられる人が少なくて済むようにしたい」

「……リョウ」

「だから、お願いします。どうか、……ラピリシア、第四魔術師団長閣下」

「……っ……」


 敢えて、その名でリョウはカリアを呼んだ。

 境界線を引かれた感覚に、一瞬息が詰まった。なにをいまさら、嘲る声が頭の奥で響く。そもそも最初に「その立場」で彼へ言葉を向けたのは彼女だというのに。

 深々とこちらに下げられる頭が苦しい。かなしい。

 できるなら、今すぐにでもその顔を上げさせたかった。そんな頼み方なんてしなくていいと、協力ならいくらでも惜しまないと、そんなきれいなことばを向けてあげたかった。

 しかし現実は動かせない。打開のために、カリアが告げられる言葉はひとつしかない。

 嘆息を呑み込んだ。


「分かりました」

「閣下!?」


 驚いたように声をあげるクレイに、小さくカリアは首を横に振った。

 ここに踏み込むと決めたときから、望まれさえすれば、はじめからカリアはそうするつもりだった。


「いいのよ。リョウ・ミナセ。あなたの申請を、奇病アイネミア病に関する特例として受理します」

「!」

「ただしこの許可により一時的に下賜される一切を、本件以外の用途に用いることは固く禁じます。少しでもおかしな行動を見せれば、いつその首が飛んでもおかしくないと思いなさい」

「わかっ……分かりました」


 砕けて、うちとけていたはずの彼の声が、言葉がかたく丁寧になる。

 吐き気すら覚える嫌悪をおさえて、加えて言い置いておかねばならない言葉をカリアは告げる。


「もうひとつ。この特例に関する責任の一切は、第四魔術師団「シーラック」団長、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアが負うものとします。第八騎士団「リヒテル」所属、第六位階騎士クレイトーン・オルヴァ。この特例に対する、証人はあなたです。異論は?」

「いいえ。閣下の御心のままに」


 大凡を察してくれたらしい彼は、すぐさま姿勢を正し、その場に膝を折った。

 かたい静寂がわずかに落ちた。破るためにふうっと大きくカリアは息を吐く。背筋を伸ばしていたリョウと目線を合わせる。どちらからともなく、苦笑が漏れた。

 ごめんなさい。意味のない言葉はすべて呑み込む。

 代わりに言った。


「やっぱり、あなたはただの従業員なんかじゃなかったのね、リョウ」


 はじめから普通じゃないと思ってはいたけれど、まさかここまでとは。

 しかしそんな彼女に、リョウは首を横に振る。


「ちがうよ」

「え?」

「一応クレイにも言っとくけど、俺は、ただ医者になりたいだけのふつうの医学生だよ」


 また先ほどの、カリアの知らない言葉を口にして彼は笑った。何度も繰り返す、知らない響きの言葉はきっと、彼にとって特別な意味を持つものなのだろう。

 それこそ「ただの従業員」という面を彼から外させるほどに。

 黒を宿した青年は、肩をすくめてこう続けた。


「俺には何も、特別なことなんてない。ただ、少しでも患者のために、やれる限りのこと、やりたいって思ってるだけだ。そうしなきゃ、まず、自分が一番嫌なんだ」


 言葉はどこか、寂しそうで、途方にくれているようで。

 それでいて自身に言い聞かせるような、つよい響きも帯びていた。



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