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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
3. ねがい、いのり、希うなら
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1. 夜の独考



 宵も過ぎた夜の道を、ひとり椋は歩いていた。

 驚きの邂逅から、今日で五日になる。今日もまた椋はヨルドとアルセラのもとに赴き、教えを乞い意見を交わしていた。

 そう、五日が経った。

 状況は、相変わらずに良いとは言い難かった。


 ――ごめんねリョウ、最近本当にいつも。

 ――ありがとうな、絶対、この礼はするから。


 椋が知っているアイネミア病患者は、まだ、誰も治っていない。スタッフみんなの不調のため、クラリオンは昨日から休業になっていた。

 今の椋は、日持ちのするものを作ってあちこちに差し入れてきた帰りだった。

 優しく椋の名を呼んでくれるみんなの顔は、一言で言えば本当に「相変わらず」だった。


「……あー……」


 不甲斐無さに声が出る。仰ぐ空の月は椋の気も知らず、ふたつとも今日もうすみどりと薄黄色に丸い。目を凝らさなくても降ってきそうなくらい見えるたくさんの星は、どれをどこからつないでも、椋の知っている星座にはならない。

 端的に「異世界」を示す光景にも、最近はだいぶ慣れてきていた。

 けれど慣れない。慣れたくもない。元気だったみんなが、青白く血の気のない疲れた顔で、少し動いただけでも眩暈、ふらつきに悩まされて日常生活もままならない。動けないほどの倦怠感や、頻回の失神に悩まされる人の話も多く聞く。

 推測ならあった。最初から。

 このあたりの人たちだけではなく、ヘイル夫妻のアイネミア病患者も見させてもらって、その感覚は椋の中でより強くなっていた。


「貧血、なんだよなあ」


 先ほどあげた症状はすべて「貧血」という病名で説明することが可能なものである。

 眼瞼結膜がんけんけつまく、下瞼の裏が、誰に見させてもらっても見事なまでに真っ白なのも椋は確認していた。それは貧血のときに現れる、典型的なからだの兆候である。一元的にすべてを「それだけ」で説明しようとするのは良くない。が、日に日に椋の中で、感覚は強くなっていく。

 加えて、ここ数日で見えてきた気がする「祈道士と創生士の違い」だ。

 神霊術、魔術以外の何も使わず内科的な治療ができる術では、結果的にアイネミア病は「悪化する」。一方創生術、外科的に不要物を取り除き、「新たなもの」を補填することで治療を行う術では、術者の技量にもよるが、ある程度までのアイネミア病は「完治する」。

 決めつけるな。思いながらもひとつの病名が椋の頭の中に回る。

 目がちかちかしてきて、椋は頭を抱えた。


「……うぁー……」


 何も知らない人から見れば、明らかに怪しい光景である。

 けれど唸らずにいられない。もっと情報が欲しい。絶対にここでは手に入らないもの、ほんの少し前までは簡単に手が届いたものが欲しくてたまらない。

 教科書が、参考書が、レジュメが欲しい。切実な、現在の椋の願いだった。

 そもそも貧血とは、血液中の赤血球、全身へ酸素を運搬する役目を持つ細胞の濃度が、正常下限を下回った状態を指す。

 原因は非常に色々あるが、このひとつに「自己免疫性溶血性貧血(じこめんえきせいようけつせいひんけつ)」というものがある。

 自己免疫性、の名の通り、いわゆる「免疫」が発症に大きく関係する病気だ。本来なら「自分自身」と認識している自分の赤血球を、様々な原因から、あるときより免疫系が「異物」として認識、攻撃しはじめる。その結果、赤血球が壊され、減少して貧血になる、というものだ。

 椋が「免疫」に注目したきっかけは、アルセラと他の祈道士では、術式紋の密度が異なっていたことだった。

 上と真ん中と下。

 だいたいの祈道士は、見学していた限り三つの密度が均等だった。しかしアルセラの術式紋は、比べてみれば明らかに上が濃く、下が薄かった。「ある程度のアイネミア病なら治せる」というヨルドの言葉も、ヒントになった。

 神霊術で、より効率的で患者に適した治療を行うなら、つまるところ貧血が主な病態であるアイネミア病では「血液循環の正常化」に重点が置かれる。免疫機能の活性化は、不要である。

 「疾病に罹患した部位の入れ替え」が可能な創生術では、「ある程度」、そうひどくない患者では完治が見込める。一方で重症の患者には、おそらく魔術の限界から、少なくとも一度二度の施術では、ある程度の対症療法にしかならない。

 ここまでは、ふたつの魔術に対する仮定も含めてすべて、かなりきれいにつながる。しかし、一点、椋には腑に落ちなかった。

 実際に免疫系が赤血球を壊しているとするなら、現れてしかるべき症状が誰にも出ていないのだ。


「……くっそ、やっぱ分かんないな」


 ものが壊れれば、中身が外に出る。

 壊された赤血球の中身は流出し、本来は内側に多く保持されていた物質の血中の濃度が上昇する。

 例としてあげられるものはいくつかあるが、最もわかりやすいのがビリルビンという物質だ。酸素を運ぶ際に重要な働きをする物質が分解されてできるもので、健康な人でもある程度産生され、代謝され排泄されている。

 ビリルビンの排泄量は、体内のビリルビン濃度にかかわらず一定だ。

 よって赤血球の破壊が亢進すると、そのぶん体内のビリルビンが増える。蓄積されるビリルビンが、排泄量を上回り始める。所見は、目に見えるところでは、まず「皮膚や目の粘膜が黄色っぽくなる」という症状として現れる。医学用語で「黄疸」と呼ばれる。

 アイネミア病患者では、誰ひとりとしてみられていない症状であった。


「あー……」


 ぐしゃぐしゃと椋は髪をかき混ぜる。もともと健康だった人に、はっきりと自覚症状が出るぐらいの貧血。誰も出血なんてしていないし、ただ不足したというだけなら、神霊術で症状が悪化する理由がわからない。

 血液検査ができたなら、もっと具体的かつ客観的な数値として症状が語れるのかもしれない。が、そもそもこの世界に、採血する、血の検査をするという概念はあるのだろうか。よしんば、あったところで椋には検査ができない。検査の値がちゃんと評価できない。どんな検査方法ならどう結果が出るのかなんて考えたこともなかったし、そうして出された数値の、正常と異常の境界線も非常にあいまいだ。試薬だって知らない、どれだけの血液を、どういう風に処置して結果を出すのかなんてなおさら知らない。

 本当に何にも知らないんだよな、と思う。

 そもそも椋が立てている仮説だって、大変酔狂な大前提なしには成立のしようがない。


 ――あ~、ぁ~椋、読めない! 俺には読めん! なんだよこれ、なんでこんな略語と専門用語が無駄に多いんだ!?


 創作者はなにをどういってた?

 まず浮かんでくるのは、わめきながら部屋を散らかす幼馴染の姿である。「今回」が始まってから、どれくらいのことだったか。椋は思い出そうとした。

 それこそ「今回」は本当に、いつにもまして奴はそこに本気だった。下手なキャラや世界の設定より時間と労力を割いていたんじゃないだろうか。

 別に俺にこだわる必要ないだろ、むしろほかの大多数の読者を考えるべきじゃないのか。

 ぼそりと椋が入れた横やりに、礼人は口を曲げ顔もしかめた。


 ――は? 何馬鹿な事言ってんだよ。おまえが面白がってくれるような話じゃなきゃ意味ないだろ?

 ――ウソはな、でっかいもんであればあるほど、他はリアルにしとくべきなんだよ。


「リアル、なぁ……」


 ぼやく。思い出すほど、逆に何もわからなくなっていく。

 魔術が第一の根底として、決して揺るがない世界。ヘイいわく「意志と言葉と魔力による、世界の改変」で、みちあふれた世界。

 しかしまず「魔力」とは何なのだ。椋と魔術師の、無魔と魔術を使える人間の違いはなんなのだ。なにか特別な器官があるのか。

 考えても考えても、最終到達点がどうしても「わからない」である。答えがどこにもない。

 椋は歯がゆかった。


「どうすればいいんだよ」


 つくられた世界の嘘と本当。

 半ば無理矢理、自分の常識を嵌め込むように椋は考察した。結果、あいつが治癒魔術を外科と内科に分けたかったんだろうこと、さらに内科の効能を、三つに分割したんだろうことは、何となく分かった、気がした。

 たぶん、いや確実にこの「リアル」のせいだ。創生士が少ないのも、アイネミア病が訳のわからない「なおらない」病気になっているのも。


 ――アルセラ様の施術を受けた患者は、確実に他の患者より良くなっているんです。


 今日の光景を思い返す。椋に向かって力説する見習い祈道士に、アルセラはひどく苦い笑みを浮かべていた。

 確かにアルセラと他の祈道士とでは、術の展開のしかたが違っていた。

 神霊術の三つの作用、全身の代謝の亢進、血流およびリンパ流といった体液全般の量的・質的な正常化、そして免疫機能の賦活化。あくまでも椋の仮説でしかないが、ここにも自己免疫性溶血性貧血を疑わせる所見がある。

 アルセラはアイネミア病の治療をする際、他の祈道士と比べて、免疫機能の賦活化を格段に押さえこんでいた。どの祈道士の施術を受けても一度は患者は回復するが、アルセラの患者は、症状の軽減の度合いがより大きく、再発も遅いらしい。

 祈道士の施術を受ければ、誰でも一度は症状の改善がみられる。そして免疫機能の賦活を(理論はまだともかく)抑制したアルセラの施術のほうが、通常よりも効果が高い。さらには創生術ならば「ある程度」の患者は完治できるという話。重ね合わせて考えると、どうしても椋の思考は「自己免疫疾患」に帰結してしまう。

 だが、黄疸が出ていないという矛盾に答えが出せない。

 免疫系が完全に赤血球を欠片も残さず消してしまうというならともかく、健康だった人が貧血になるくらい赤血球が破壊されているのに、黄疸が出ない、なんてこと――


「……え?」


 免疫系が、患者の赤血球を消してしまうならともかく?

 ぐるりとそのとき、思考が回った。例えば、あくまで例えばの話だ、異常に賦活化した免疫系が、赤血球を完全に、欠片も残さずに消してしまっているとしたら。

 もちろん、椋の「常識」ではありえないことだ。しかしここは、魔術という「世界の改変」が存在する世界。それこそ人に対する悪意ある魔術、呪いなどというものもある。

ならば、免疫系の働きを「改変」してしまうことも可能ではないだろうか。

 ぶわりとそのとき、風が吹いた。

頭を冷やせとでも言うような寒風だった。

 また明日以降、改めて二人に相談してみるか。突拍子がないうえ証拠もないが、免疫系の異常変化というのは、なかなか悪くないんじゃないかと椋は思う。

 これならば、年齢や男女で発症時期や重症度の差がないこと、免疫系の賦活で結果的に悪化する貧血が起き、にも関わらず黄疸が出ないことにも、少なくとも椋には納得がいく。

 とりあえず明日、まずは話してみよう。

 あともう少しばかりの帰途のうち、椋はプレゼンのための言葉を脳内で練りだした。



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