13. ねがい
「……おいしい」
「ん、そんならよかった」
本日の椋のデザート、となるはずだった杏仁豆腐がカリアの口の中へ消えていく。未だにその頬が微妙に赤いのは、椋の気のせいではないだろう。敢えて指摘はしない。
椋の目の前で、少しずつ、少しずつ山が崩されていく。一気に食べてしまうのは勿体ないと思ってくれているからなのか、本当に食が細くなってしまっているからなのか。わからないが、とりあえずちゃんと食べてくれることにほっとする。
見やる彼女の輪郭は、記憶の中のそれより少し削げている。どことなく血の気も薄くなっているように思える顔に、見た瞬間にまず体調が心配になった。聞いてみれば、外れてほしかった予想は外れてくれなかった。
眺めていると、ふと顔を上げたカリアと目が合う。ふわりと微笑まれた。
「ほんとうにすごく、おいしいわ。リョウのつくったもの、久しぶりに食べた気がする」
「ああ、最後にカリアがクラリオンに来てから、もう半月くらい経ってるもんなあ」
それは椋にとって、すべての変化が始まった日だった。
なりゆきでひとりのひとを助け、クレイが椋をたずねてクラリオンを訪れた。常連客だったカリアの本当のことを、わずかに知った。
魔物、ラグメイノ【喰竜】級が、突如としてクラリオンの前に現れた。
そして、
「……最初の患者って、いつ出たんだっけ」
「え?」
知らず口にしていた疑問に、また手を止めたカリアが瞬きをする。
はっきりしたことを椋は知らない。あれから数日後、という感覚しかない。最初に話を聞いたのは、具合が悪いと言っていたのは、「同じ」だと、そう感じたのは?
ラグメイノ【喰竜】級をあのとき討伐した関係で、だろうか。カリアがそれらに関する一切の責任者に任命されたらしいと、椋が聞いたのもそれくらいの時期だ。西区画の件は同じように、第七騎士団の団長がその責任者になった、とも聞いた。
静かな瞳が問うてくる。
「それがあなたが、ここにいる理由?」
「……うん」
「そう。……ねえ、本当、びっくりしたのよ」
ぽつりと、落とすようにカリアが笑った。
カップを両手に抱える彼女に、わずかな影が見えたような気がして椋は目を細めた。
「どうしてるかな、とは思っていたし、あなたが元気だとは、聞いてはいたけれど。でも、まさかこんなところでリョウと会うなんて。また、こうやって、話ができて、あなたのお菓子も食べられるなんて考えてもみなかったわ」
「俺だってびっくりだよ。というかカリア、より、ニースさん? おっさんに何の用だったんだ?」
「おっさん、って……リョウあなた、ヨルドのことなんだと思ってるの」
「え、サンドイッチ泥棒?」
「……突っ込まない方がいいのかしらね。それ」
正直なところを口にしたら、カリアに頭を抱えられた。
確かに突っ込まれてもどうしようもない、非常にしょうもない出会い方だった。
「そのサンドイッチ泥棒に、どうして師事することになったの?」
「知りたいことがあって。何でこの世界には治癒職が二つあって、かつ一方は物凄い隆盛してもう一方は消えかかってるのかな、って、思ってさ」
見て、感じて、痛いほどわかった。ヨルドもアルセラも、ふたりとも、何も知らない椋の目から見ても「一流」だった。
患者も、同じ職を手に持つ人たちも、みんな、明らかにふたりに向ける目が違った。ちらほら運ばれてくる「彼らでなければ治せない患者」は、椋程度では、何が起きているのかよく分からない。
そしてそんな人間を、当たり前のようにカリアは呼び捨てにしている。
ここであえて理由を伏せても、きっとそう遠くないうちに「団長」としての彼女に情報が上がるだろう。そもそもクレイも言っていたとおり、カリアだってアイネミア病の調査をしているのだ。たぶん、言わない必要もない。
ぱちりと瞬きをした彼女は、ゆっくりと首をかしげる。
「どうしてそんなこと知りたいの?」
「アイネミア病で苦しんでるのって、俺が世話になってるひとたちばっかりなんだよ」
「それは……でも、それと神霊術と創生術に、何の関係が」
「皆が治らないどころか、悪くなってくの、見てるだけなのは嫌だったからさ。どうしても」
「!?」
「かといって、俺に何ができるかって言われても分かんないんだけど」
愕然と目を見開くカリアに、小さく椋は笑う。
言ってしまってから、そういえばカリアはどこまで何を知って何を追ってるんだろう、と思った。神霊術の否定もしちゃったな、とも思った。
やつれるくらいに頑張って、それでも事態は終わらない。
椋が必要なのかはわからない。なにもしないより徒労の方が全然マシ、とは思っている。悪くなっているのも、治らないのも全部ただ椋の錯覚でしかなく、他の何とも同じように「普通に」治ってほしいと、そう願っている。
誰だって同じだろう。
黙り込んでしまった、目の前で瞠られる金色の目が星のような透明の彼女も。
「……リョウ」
「ん?」
「リョウは、ほんとうにだいじょうぶ、なの?」
「え、なにが」
待っていると、よくわからない質問が来る。心配されているらしいこと以外、言葉の意味が読み取れない。
椋は今日も健康である。今夜もまた、時間になればクラリオンに赴く。
首をひねる椋に、欲しかった返事は得られなかったんだろうカリアが苦笑した。
「……あんまり無理しちゃだめよ」
そして彼女は、今以上の追及を止めた。でも何となく、ただ表面的にとらえてはいけない言葉である気もした。
椋は肩をすくめる。
「それ言うならカリアもだろ。身体は資本だぞ。どんだけ大変でも、無理やりでもちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝るだけでだいぶ違うんだから」
「ふふ。リョウ、おかあさんか何かみたい」
「母親って、カリア。俺は真面目に、」
「知ってる。……うん、わかってる」
噛み締めるように、声の響きがさらにやわらかくなる。
しずかに微笑む表情がきれいで、どこか遠く、願っているようにも見える。カリアが美人なのは知っているのに、またどきりと心臓が妙な音を立てた。
その表情のまま、カリアは椋を呼ぶ。
「ねえリョウ、信じてくれる?」
「なにを?」
「絶対に、このままなにもわからないまま、迷宮入りになんてさせない」
金のひとみが、一度の瞬きのあとにはっきりと前を向く。
宣誓の声が、ふたりの場を打つ。この奇怪な現象を、病を、決して暗中には埋もれさせないと、澄んだ声が言う。
まっすぐなそれに、ゆっくりと椋は笑った。寸分たがわず同じことを、椋もまた願っている。一日でも早く、なにかがわかればいい。患者が少しでも良くなる、新しいことが見つかってほしい。発見するのは、自分でなくても全く構わない。
透明な金色にうなずいて、椋は彼女へ手を伸ばした。
「信じるよ。俺も、カリアも」
理想に手を重ねる。自己満足な言葉を、自己満足に彼女へ贈る。椋自身もまた、この眼に相対できる実直であれるよう、願う。
重ねた先のカリアの手が、驚いたようにピクリと跳ねた。細くて華奢な指先は、わずかに震えて冷たかった。
信じるだけでは救えない。事実、真実と呼べるものは、眼を開いた先にしかない。
それでも彼らは願っていた。
刻限が訪れてしまうまで、黙って、二人はそうしていた。




