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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
2. 揺らぎの宵
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10. 助力者が笑う



「うぁ~……」


 妙なのが情けなく唸っている。

 最近拾ってこの家に居ついた、真っ黒で奇妙な男が床に寝そべってごろついている。

 カチンガシャンと音がするのは、小さいという言葉とは無縁な図体が、ヘイがあちこちに置いていた部品やら何やらを縦横無尽に踏みつけ吹っ飛ばしていくからだ。簡単に壊れるような代物はさすがに置いていないが、自分の創ったものを足蹴にされて、気分の良い魔具師はいない。

 きっと眉をつりあげて、ヘイはぐだぐだと床になつく居候をにらみつけた。

 こうも面倒にうるさくては、まともに集中できない。


「リョウ、ダレんなら部屋のスミでダレてろ。んなとこで寝っ転がンな、ウゼえ」

「いや、だって、疲れた……」

「知るか真っ黒。邪ァ魔だ、邪魔!」


 蹴飛ばす勢いで言葉を向けても、相変わらずにリョウは床にだらしなく伸びたままだ。心底疲弊していますと、その背にはでかでかと書いてあった。

 昨日が昨日なら今日も今日である。何をしているのやら、どうせ誰の予想もつかないことをやったのだろう。ヘイはだらしない背に声をかけた。


「でェ? ちゃァんと何か、掴んできたんだろうな」

「んー? あー……」


 リョウの声は、いつもにまして非常に鬱陶しく曖昧だ。ごろごろとただ床に転がるその背は本当に蹴っ飛ばしてやろうかとも思ったが、どうせ蹴ったところで何の効果もなさそうなので止めておく。

 家へ帰ってくるなりぽいとこちらへリョウが放った、一枚の紙切れをヘイは拾い上げる。

 今日のリョウが家へ持って帰ってきたのは、この紙切れ一枚。神霊術の基本術式紋になぜか、二本の黒い線が引かれている。全体として円を描くそれを、三分割するようにして書き加えられている。

 手書きの線をなぞりながら、寝転がったままの黒い芋虫に目線で答えを促した。本気で疲れ切っているらしい顔で作った、ひどく不格好な笑みが返ってくる。


「あいつがこの世界の治癒魔術を、外科と内科にしたかったらしいことはとりあえず、分かったよ」

「……は?」

「しかし、あれだ。俺、ホント、……使えないよなあ」


 ぼやく黒。何を見て何が見られなかったのか知らないが、現在のリョウにはくっきり自己嫌悪が見える。ヘイが彼を拾った当初は、毎日のように目にしていた色だ。

 あいつって誰だ何のことだ、そもそもゲカトナイカってのはまたテメエの自分勝手な自分だけの言葉か。まったくヘイには理解ができない。

 うっとうしい。意味不明の嵐も勝手な居候の自己嫌悪を目の当たりにするのも、どちらもぶん殴りたいほど面倒くさい。

 半目でヘイは彼をにらんだ。


「リョウ、テメエ、ンッとにいい加減に、」

「なあヘイ、あのさ。もしその術式紋のみほん使って魔具作るつもりなら、三分割して、三つそれぞれ別に作ってくれないか」

「はァ?」


 しかし彼が何を言うより先に、リョウがへろりと唐突かつとんでもない内容を紡いだ。

 この男が意味不明な内容を口にするのは、今に始まった話ではない。ないが、今回はその方向がやたら素っ頓狂に違った。なまじ内容が「魔具制作の依頼」であるが故に、余計にまったく理解ができない。

 術式紋を、三分割しろ? まさかこの黒のヘンな線は、その分割の目安だとでも?

 思わずもう一度術式紋、そして手書きの黒線を目線と指でなぞったヘイに、さらにリョウは続けた。


「上は全身の代謝の亢進、真ん中は血流およびリンパ流の容量・循環的正常化、下は免疫機能の促進」

「……オイ、リョウ」


 完全に言葉が通じない。異世界語とはまさにこのことだ、そうとしか思えないようなものをリョウはすらすら口にする。

 既に何度目かも分からないヘイの声にも、過剰の疲労に意識が飛びかけているらしい彼は応じない。どころか。


「だ、とは、思うんだけど。……ああもう、俺ホントどこであいつにそんなの見せたんだろ。というか見られたのか? 漁られたのか。その可能性もあるな、大いに、あるよな」

「オイ」


 さらに意味不明度がだだ増した。というかそもそもあいつって誰だ。

 手にしていた制作途中の魔具(ただし現時点でほぼ失敗確定)を、あと少しで本当にヘイは投げつけそうになった。

 直前で思いとどまったのは、改めてこちらを向いたリョウの眼がやたら真剣だったからだった。


「ヘイ、頼む。上と、真ん中と、下だ」


 異世界言語には、どこまでも翻訳作業が付きまとう。

 つまり何だ。本日リョウが家まで持ち帰ってきたこの神霊術の基本術式。これはそれぞれ、別々の効果を持つ術式が、上、中、下の三部分に分割・組み合わせられたものだ、と。

 立てる意味が分からないほど、壮絶にぶっ飛んだ仮説である。

 なるほどヘイも多少は納得した。どうせ疲労困憊の理由も「その気づきをぺろっと何も考えずに口にしたから」なのだろう。しみじみ動いても動かなくても理不尽にぶっ飛んだ男である。いまさらだが。


「三つ、ねェ」


 どれ程目を凝らしたところで、その線をなぞってみたところで、ヘイにはリョウが見たらしい境界などさっぱりだ。

 基本的にヘイは、感情の沸点が低い人間である。そんな彼にここまで意味不明な言葉の翻訳を当然のようにさせる人間など、まずこの居候だけだ。ヘタなバカの言葉なんぞは、そもそも、耳を貸してやる気がない。

 拾ったことに、特に意味はなかった。

 言葉を聞いたのは、知識も意識も人格も何もかもがちぐはぐだったからだった。

 とことん意味不明過ぎる言葉に、口の端が勝手につり上がる。結局、ヘイにとってはなにより面白いのだ。ああもう死にてェ、めんどくせぇ。笑うように、呪うように常に意識から離れなかった口癖を、あっさり、この男はヘイから奪い去った。

 どんなに何を言っても、「自分のため」にはリョウは動かなかった。

 だが「他人のため」には、拍子抜けするほどあっさり動き出した。

 ヘイには到底理解できない、ほとほと高尚な身勝手である。自分勝手に横暴に、リョウはヘイの奥底にまだ残っていた色々なものを猛烈に掻き立て焚きつける。確かな炎に、何かを照らすものへ仕立て上げようとする。

 まったく笑うしかない。


「ったァく。人にお願いするってのにその態度かよ、リョウ」


 違う世界から放り出された男。

 どこまでも、染まれるようでここに染まり切らない、あきらめきれなかった、図体ばかりデカい子ども。

 斜に笑うヘイに返事もせず、いつの間にやらリョウは床の上で意識を失っていた。なるほどガキはもう寝る時間らしい、どれだけ、そのお利巧なオツムに詰めた異質の塊で相手を驚かせたのやら。散乱具合はきっと、このめちゃくちゃな床の惨状と大して変わりない。

 考えるのもバカバカしい。笑いは止まらない。

 そもそも、何をどうしたら図書館でキュアドヒエル【癒志の灯火】が釣れるのだ。どうして個人として認識される、のみならず、言葉を交わし、施術の見学さえ許されるような事態になるのだ。

 ヨルド・ヘイルとアルセラ・ヘイル。流れのヘイさえ知っている名前だ。

 それは到底彼が及ぼうとも思わない聖人たちの名。とある異常の災厄から、貴賤の別なく一人でも多くの人命を救うことに尽力した人物たちの名だ。その高潔ゆえに、現国王は彼らをキュアドヒエル【癒志の灯火】と称し、そう名乗ることを許した。

 そんなれっきとした大貴族が、誰も何も知らない無魔に手を差し出した。

 そんでもってきっとこいつは、明日にも、教え教わる立場を引っ繰り返す。

 ヘイは確信していた。

 就寝直前に投げつけられた依頼に、その突飛さについまた笑った。


「ハッ。術式紋を切り刻め、だとよ」


 三つの要素が複合されて、神霊術が成立しているという仮説。

 それは「不可能」をつぶす可能性だ。無機物には決して到達し得ない領域と、断言されていた過去を覆す可能性。ヘイにしてみれば、奇跡だの神だのなんだの、おタカい論理を並べ立てられるよりよほど納得のいく説明である。

 リョウに投げようとした失敗作も、これまで壊してきた多くのどれも、刻んだ術式それ自体には、絶対にどこにも不備はない。だが再現はできなかった。すぐに壊れた。何に耐えられないのかが、ヘイにはずっと疑問だった。

 それが、なるほど、二つ以上の術式を同時に操り組み合わせて使用している。

 思考能力を持たない「モノ」には負担が大きすぎる高等技法だ。魔具の限界は、そこにある。

 くつくつと、喉奥でヘイは笑い続けた。


「ンッとに、おまえがいると飽きなくていいわなァ、リョウ」


 だらしなく投げ出された手足。力も気も抜け切って眠りこける黒い頭。揃いの目。緊張感などかけらもない。

 それだけならば別にいい。この国ではめずらしいが、大陸中を眺め見れば、黒髪黒目の人種が主な国も存在する。

 リョウがおかしいのは、その先だ。その国は確か、成人男性なら髪を伸ばす風習があったはず。しかしリョウの髪は短く、拾った当初に着ていた服も、かの国の衣装ともこの国のものとも違っていた。

 しかも彼は当然のように、一言目からここ近辺の共用語を口にした。

 こいつは絶対に普通じゃないと、その瞬間に、ヘイは感じた。


  ――嫌なんだよ。このまま何もしないのは。


 爆睡している居候を見る。ぴくりとも動かない。人として最低限の生活しかしていなかったヘイの日々は、リョウの出現であっけなく終わりを告げた。

 失っていたはずだったのだ、そもそも。創作意欲なんぞというもの。貪欲に創り出そうと画策する熱なんぞ。

 最初は焚きつける材料だった。たかが本当にそれだけのために、ヘイは不可能の代名詞に挑んだ。

 黒の不持の青年は、しかし気づけばヘイを逆に煽っている。

 ばかばかしいほど必死に過ぎて、乗ってやろうという気にもなってしまう。


「まあ、あれだ。今更何考えても何にもならねェ。拾っちまった以上、面白ェと思っちまった以上は仕方ねェ」


 完全に暢気に寝こけている顔は、とても異常の塊には見えない。

 本当に笑うしかない。乱雑に、部屋の隅でぐしゃぐしゃになっていた毛布を魔術で移動して体にかけてやった。


「テメエの夢の「イシャ」ってヤツに、つきあってやろうじゃねぇか、なあ、リョウ」


 なんでもリョウの話によれば、それは一切の魔術なしに他人の病気や怪我を治すのだという。

 それこそどんな夢物語だと、当時のヘイは心底笑ったものだが。

 案外、本気でこいつはそんな、唯一無二となりうるのかもしれない。




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